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心を動かすのは、心からの「好き」

この半年、朝ゆっくり過ごすことが増えたおかげで、コーヒーを淹れる習慣がついた。豆を切らさないよう、前倒し気味にいつも買っていたのだけれど、タイミング悪く豆がなくなってしまい、いつものロースタリーへ買いに行ったら、まさかの臨時休業。そこで少し離れたエリアにある、前から気になっていたカフェへ行ってみることにした。

午後のコーヒーブレイクタイム、店内には先客が何組かいた。人懐こいが和やかなトーンで店主が話しかけてくる。初めての来店であることを告げると「ゆっくり過ごせる時間はありますか?」と尋ねられ、思わず「はい」と答え、案内されるまま空いた席に座り込んでしまった。あれ、急ぎの用はないけど、私、豆を買いに来たんじゃなかったっけ。でも、店主の柔らかい空気とお店の雰囲気に「一杯いただいていこうか」という気持ちになっていた。

コーヒーをいただき、目的のコーヒー豆も購入し、店を出てから思った。私は豆は欲しかったけど、元々コーヒーが飲みたかったわけじゃない。でも、あの店の空気感、思わず注文せずにはいられなかった。店主とのやり取りはとても心地よくて、ああこの人は本当に人が好きで、コーヒーが好きで、カフェをやっているんだ、ということが伝わったからだ。心からの「好き」を追求している人の持つ空気感は、温かくて心地いい。臨時休業していたロースタリーの人たちとのやり取りでも、彼らの中からコーヒーに対する「好き」があふれ出ているのをいつも感じる。そういう人たちから買う、というだけで、幸せな気持ちになれる。お金を出してモノを買う、というのは、モノと一緒にこの幸せな気持ちを買っている、ということだと思った。

カフェの店主が売っているのがコーヒーならば、今私が売っているのは、形にならない学びやフィードバックである。一杯のコーヒーは、私を幸せでのんびりとした気持ちにしてくれた。私の提供するサービスは「自分らしさ」に気付いてもらうためにある。私自身がどれだけ自分の提供するもの、ひいては自分自身を「好き」と言えるかが、私の目の前に来てくださる方たちの輝く個性をどれだけ引き出せるかにつながっているのだと思った。

自分が今要らないものを無理やり売り込まれたり、強引な勧誘を受けるのは気持ちのいいものではない。でも、それはもしかすると、自分が要らないからということよりも、相手がそのモノやサービスをどれくらい「好き」だと思っているかが関係してくるのだと思った。なぜならカフェを訪れた時、本当に私が要らないと思ってコーヒーを断ったとしても、店主の誘いを不快には感じなかっただろうと思うからだ。そうと分かればもっと私は、自分の「好き」に素直でいよう。そんな自分を毎日承認し続けよう。時には素直に「好き」と思えない時もあるかも知れない。そんな時にはあのカフェやロースタリーに行って、「好き」のエネルギーをおすそ分けしてもらおうと思う。

※自分のこと、ちょっと好きじゃないなと思う方。気学を通して一緒に自分らしさを再発見してみませんか。2020年10月の体験講座は10日、14日、18日に開催します。詳細は「智慧の雨音」HP( https://rain-sound.jimdosite.com ) まで。

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