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少しの不愉快感と大きな不安

いよいよ復職が決まったと思ったら、会社の総務から電話があり、出社を半月遅らせてほしいとのことだった。

元々復職は2月半ばであったが、3月1日からとなった。

理由はオミクロンの蔓延で、出社比率を下げており、2月いっぱいはその体制でいくため、復職後初めはデスクワーク中心となる僕の出社をずらそうということになったようだ。また初めは所属部署付けとして勤務し、管理職としての仕事はしないという形になるようだった。

それを聞いたとき、少しの不愉快感と大きな不安を感じた。

前者の不愉快感は、自分の希望する復職スケジュールが通らなかったという極めてわがままな理由から生じた感情で、ここに書くのも恥ずかしいくらいである。また、管理職を解かれるということも、自分ではゆくゆくは務められると思っていたところ、初めから外されて格下げになるというように感じ、自分のプライドが傷ついたような状態だ。

後者の不安感は、所属部署付けに格下げになるということは給与が著しく落ちてしまう可能性があると感じ、これからの生活がどうなってしまうのだろうかという感情だ。

このように書くと非常に情けない人間であることが自分でも分かる。
もっと言うと、なんで僕の言った希望が通らないんだ、僕は被害者だぞ!
なんで会社から格下げという不当な扱いを受けるんだ!
適応障害になった人間を格下げして給与を減らすというのは辞めろという意味か?!
こうして字面にすると大変お恥ずかしい…

でもこのように思ってしまうには少々理由がある。

休職する前に、総務からは営業ではなく復帰は総務でも良いのではないか、という話もあったのだ。ただし総務の知識も経験もない人間がいきなり管理職にそのままスライドするわけにもいかないだろうし、一般社員からのスタートとなると相当給与が下がるだろうと思った。また、同じ営業職だが管理職というプレッシャーから解かれて仕事するという道も考えた。それで思い切って管理職がとれたら年収がいくらになるか、と聞いてみたところ、恐らく100万円以上、下がるという返答だったため、これはないなと思っていた。

一方、転職活動の際は、給与は現状レベルから50万くらいは下回ってもよいと考えて活動を行った。最終的にはどこも内定をとれず終えたが、それでも良いと思えたのは、元の職場に戻ればこれまでの給与は保証されるから、現状維持はできると考えていたからなのだ。

しかしどうやら現実はそう甘くはないようだ。

僕の給与は下がる。それは覚悟しないといけない。妻になんて言おう。僕の精神が薄弱だったばかりに今まで築いたものが失われるかもしれない。生活が厳しくなり家庭内の雰囲気が悪くなるかもしれない。これだったら心療内科にいかずにこれまで通りじっと耐えていればよかったのかもしれない。

だんだん自分を責める悪い思考に入っていく気がした。

思い切って妻に言ってみた。
「復職したら、管理職解かれて給料減っちゃうかもしれない…」

そうしたら意外な答えが返ってきた。
「ああ、そうなんだ。まあ、いいんじゃない。」

なんと意に介さないような反応であった。それを受けて僕はものすごくホッとした。自分が責められるのではないか、もしくは会社に対して何か行動を起こせと言うのではないか、いろいろ不安が募っていたのが、解消された気がした。

いろいろ冷静になった今、考えることは、会社も配慮してくれているのではないかということ。まずは他の部員の補助的な仕事から始めて、回復が見込まれると判断した場合に、今後のことを考えて行ける余地を与えてくれているのではないかと思った。5ヶ月休んだ人間にいきなり管理職任せて実績だせ、なんて自分が社長でも言わないと思う。やはりこれは自分の考えすぎであり、悪い方向へ思考が向かってしまう自分の悪い癖であるのだろう。

しかも僕は妻が悪い反応することしか考えていなかった。それは妻に対して失礼であったと思う。

いつから、どうしてこんな性格になったのかは分からないが、自分はとにかく他人に対して警戒心が強く、簡単に心を許すことができない。だから友だちも中学時代の友人以来、今でも付き合いのある人間は、ほとんどいない。仕事でも他人に対して期待せず「どうせダメって言うんだろう」「どうせダメになるんだろう」と悪い方向に考えて何も行動せず諦めてしまっていた。だから自分で何でも抱えこんでしまっていた。

もっと他人を信用してみてはどうか。他人に頼ってみてはどうか。これは自分のこれからの課題のような気がする。それが出来れば意外とこの世は生きやすい場所になるのではないかと思う。今までのように「どうせ〜」と考えずに。せめて「もしかしたら〜」と考えるようにしよう。


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