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「雨上がり」 前編

今日は彼女のご両親に結婚挨拶をしに行く日。

新調した純白のワイシャツを着込み、襟を整えてチャイムを押す。

横には先日結婚を申し込んだ彼女、いや、婚約者の△△がいる。

△△とは会社の同僚で、お互い仕事関連で色々話しているうちに恋愛関係に発展した、というもの。

「君が○○君かい?」

○○「は、はい!」

彼女の母親に居間に案内されると、彼女の父親が待っていた。

「まぁ、一度座ってくださいな」

彼女の母親に促される。

二人とも特に不満そうな顔はしていないので、このまま結婚できるかも。

そう思っていた。

「君は、娘のことをどう思っているんだい?」

○○「大切で大好きな人です。私は彼女が幸せでいる為だったら何でもすると誓います。」

「ほう、何でも?」

やけに含みのある笑い。

何となく不可解だったが、自分の意思は揺るがなかった。

○○「…はい、何でも。」

そう言うと、彼女の父親は淡々と言った。

「じゃあ娘と別れてくれ。」

○○「…はい?」

理解ができなかった。

今この人はなんて言った…?

確かに何でもするとは言った。

だがそれとこれとは話が違うだろう…?

「娘の幸せの為なら何でもするって言ったよな?娘は君と別れた方が幸せになるんだ。だから別れてくれ。それともまさか、さっきの発言は嘘だったのかい?」

俺は、空いた口が塞がらなかった。

何も言い返せず、俺は彼女の実家を後にする事になった。

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△△「ごめんね?お父さんがああ言ってる以上、○○君と結婚は出来ない…。」

△△「私たち、今日で別れよう。」

その言葉に心臓が悪い音を鳴らした。

ショックだった。虚しかった。

彼女は父親の側についた。

彼女の父親に別れなさいと言われた時も、彼女は何も言ってくれなかった。

ただ黙っていた。、

俺を庇うこともしてくれなかった。

○○「…ごめん。お父さんを説得できなくて。」

△△「ううん、君のせいじゃないから。」

俺は「さよなら」の一言が言いたくなくて、無言で振り返り、彼女の実家を背に歩き出した。

ところが、途中でズボンのポケットに家の鍵が入っていないことに気がつく。

彼女の家に忘れてきただろうか。

そう思って引き返すと、彼女の家の前から声が聞こえた。

笑い声だった。

「あいつのことか?『無償で家政婦のように何でもやってくれる便利な男』というのは?」

△△「そうだよ、一円のお金も払わずに、ご飯作りにお風呂の準備、洗濯に家の掃除、何でもやってくれてたの!便利すぎて実を言うと手放すのが惜しいぐらいなんだけどね〜。」

「ダメよ、あなたはもうすぐ許嫁の方との結婚を控えているんだから。その男を切り捨てておかないと。もうどのみちあの家も捨てるんだしあの男も必要ないでしょ?」

「まあね〜。」

「それで、仕事の方は?」

「完璧だよ!あいつは仕事もできるからね!あいつが手伝ってくれたおかげで何もかも順調!最後に仕事担当者の名前からあいつの名前を削除して提出してるから、全部私の功績として部長や社長から高評価もらってるの!」

「私は出世がほぼ確定、対してあいつは私の手伝いを全部無かったことにされたから仕事を碌にしてないことになって低評価大量!今にクビになっちゃうかも〜?」

「そうしたらより完璧に縁が切れるわね。」

「何が『愛してるから何でもできる』よ、私の便利道具としてよく働いてくれてご苦労様って感じ〜!」

「ん?それは指輪か?」

「そうそう、あいつがくれたやつ。あんまり触らないで置いたんだから!これ売り払ったらいくらになるのかな~?」


アハハハハハハッ………

彼女と彼女の家族の会話を聞いて、俺は生きた心地がしなかった。

理解が追いつかない。

いや、感情が理解するという事象を拒んでいる。

自分が今まで愛していた△△は一体どこへ行った…?

俺はそれ以上の会話を聞きたくなくて再び彼女の家を出て歩き出した。

家の鍵は結局ズボンではなく上着のポケットから見つかったが、何も安心は出来なかった。

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俺は家に戻って自分の家の荷物をすべて持って、三年ほど暮らした家を退去した。

『今日中に荷物をもって退去してほしい。』

『電気水道ガスは君が払ってたけど、あの家の名義私だからさ。』

『君も、もう別れた彼女と同じ屋根の下にいたくないでしょ?』

『本当にごめんね。』

まだ俺のことを騙せていると思っている彼女から、表面今日だけ取り繕ったメッセージが届く。

要するに、あの家は私がもらうから出て行け、ということだ。

もう俺は完全に用済みってか。

俺は荷物を載せた車を公園のわきの路肩に停めた。

車から一度降りて、ベンチに腰掛ける。

もう、頭が疲れて運転が続けられそうになかった。

ずっと彼女のことで頭がいっぱいだった。

そして荷物をすべて持ち出して一時的とはいえ気持ちが落ち着いたとき、俺は思考の全てが彼女のことや彼女と過ごした日々の回顧に回った。

一緒に出掛けたこと。

一緒に晩御飯を食べたこと。

協力して仕事を行ったこと。

あれがすべて嘘だったっていうのかよ。


雨が降ってきた。

そういえばまだ六月で梅雨の時期だし、雨の予報も出てたっけ。

だが、俺は車には戻らなかった。戻れなかった。

濡れないようにしないと、と動く気力が残っていなかった。

雨はやがて土砂降りになった。

もう、自分の頬を濡らすのが涙なのか雨なのかわからない。

自分が嗚咽している気がするが、雨にかき消されて己の耳にさえその嗚咽が届かないので、自分が泣いているのかさえ分からない。

ふと、自分の周りの雨が止んだ。

いや、自分の頭上に傘がさされていた。

そこで初めて、隣に人がいたことに気が付く。

「風邪、引きますよ?先輩。」

横を見ると、会社の後輩の遠藤がいた。

しゃがんで、自分と俺を傘のもとに入れながら、こちらをのぞき込んでいる。

○○「ごめん、情けないところ見せたね…。忘れて。会社にはちゃんと出勤するからさ。」

俺は遠藤に自分の情けない姿を見られたこともまた情けなく思い、遠藤とこの場から離れようとベンチを立った。

だが、遠藤は俺の袖をつかんで引き留めてきた。

遠藤「何か、あったんですね…?」

○○「何もないよ、少し疲れて休んでたら雨が降ってきただけ…。それじゃ。」

遠藤の手を振り払い、歩き出す。

すると今度は、遠藤は後ろから抱き着いてきた。

○○「何してんの。せっかく傘さしてたのに、遠藤の服が濡れちゃうよ。」

遠藤「目の前で泣いてる先輩を、放置できるわけないじゃないですか…。」

遠藤の俺を抱きしめる腕がきゅっと締まる。

冷たいけど、暖かい。

遠藤「とりあえず私の家に来てください。この近くなので。先輩のその濡れた体も拭かないと。」

服の自分の体だろうに、自分のことを一切言わず俺の心配だけする遠藤は、どこまでも優しかった。


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俺は遠藤を乗せた車を走らせ、やがて一つのマンションにたどり着いた。

ここが遠藤の家だという。

俺は遠藤の家に上がらせてもらい、お互い自分の体を拭いた。

着替えが持ち出してきた荷物にあったので、それに着替えさせてもらった。

部屋では俺の脱いだ服を入れた洗濯機がゴウンゴウンを音を立てていた。

遠藤は自分のは後でいいと言った。

遠藤「冷えてるでしょうから、これ、飲んでください。」

遠藤は俺にココアを淹れてくれた。

暖かくて、甘くて、今の遠藤みたいだった。

一度落ち着き、居間に二人で座ると、遠藤が話を切り出した。

遠藤「それで、何があったんですか?」

○○「…。」

遠藤「△△先輩関連ですか?」

○○「…!」

遠藤「やっぱり…。」

見抜かれた。そんなにわかりやすかったのだろうか。

俺は、遠藤の感の鋭さと優しさに観念し、遠藤に事のあらましを全て話した。

△△の親から別れろと言われ、それにあっさり△△が乗った事。

今まで自分は△△に騙され、便利な家政婦代わりと思われていた事。

協力して行った仕事から自分の名前だけが消され、△△の手柄にされていた事。

遠藤「そんな…。酷すぎる…。」

○○「ほんと、今までの俺の年月は何だったんだろうねぇ…。」

話しているうちに、改めて自分の身に起こったことを自覚した。

○○「俺もう、誰も信用できないや…。」

自分の意思に反して声が震え出す。

さっき遠藤に見られた醜態をまた晒すことになる。

視界が揺らぐ。目頭が熱くなる。

だめだ。泣く。抑えられない。

俺の目から一滴の涙が流れ落ちる。

俺はまた泣いてしまった。

今度は遠藤の家で。遠藤の目の前で。

雨で誤魔化すことも出来ない。

俺はせめてもの抵抗として下を向いた。

すると遠藤は、今度は俺の隣に座ると、俺の頭を自分の胸にうずめるようにして抱き寄せた。

遠藤「泣いてもいいんです。人間なんですから。強がってこらえても、体の中に毒がたまるだけです。」

○○「…!」

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△△(私泣くような男ダサくて嫌いなんだよね。私は○○の強くて泣かないところが好きだよ!)

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遠藤「辛かったですよね…。先輩の心の痛み、想像もできないです…。」

○○「…。」

遠藤「でも、私は先輩の味方です。先輩は今誰も信用できないのかもしれませんが、私だけは、何があっても先輩の味方でいます。」


遠藤「先輩が立ち直って、誰かを信じられるようになるその日まで、私はずっと先輩のそばにいますから!」

何でそんなことを言うんだよ。

余計に泣くのが抑えられないじゃないか。

抑えきれず漏れ出すように流れていた涙だったが、もうそれさえ限界だった。

ダムが決壊するように、涙が溢れた。

俺はその日、遠藤の腕の中で、声をあげて泣いた。

遠藤はひたすら、俺を強く抱きしめて、それを受け止めてくれた。

部屋の中に入っていたので、雨音は聞こえていたものの、今度は俺の泣く声をかき消してはくれなかった。

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○○「ごめんね、ホントに。迷惑かけて。」

○○「ドン引きだよね。男の大人が、仕事の先輩がみっともなく大泣きしてさ。」

俺は冷静になると、自分が遠藤に本当に迷惑をかけ続けていたことに気づいた。

遠藤「全然そんなことないです。むしろ、話してくれてありがとうございました。」

遠藤「辛いことを話すのって、勇気いりますから。よく頑張ったと思います。」

本当に優しさの塊のような言葉だった。

でも、いつまでも甘えてはいられない。

○○「じゃあ、俺そろそろ行くよ。雨も少し弱まってきたし。」

遠藤「え、どこに行くんですか?話聞く限り、家無いんですよね?」

○○「うーん、しばらくはネカフェかな。ホテルを何日も取ってるお金ないし。」

○○「会社にはしっかり出勤するから。心配しないで。じゃ。」

遠藤「わ、私の家はどうですか!!」

突如遠藤の大声が聞こえた。

○○「…え?」

遠藤「私のこの家、一つだけ部屋が余ってます。いや、正確には少しだけ物置になってるんですけど、他の部屋に片付けます。」

遠藤「だから、ウチで一緒に暮らしませんか!」

○○「いや、それは流石に迷惑なんじゃ…。」

遠藤「いえ、全然迷惑じゃないです。」

○○「でも…。」

遠藤「私の家なら特にお金の消費とかしなくていいですし、ネカフェより絶対暮らしやすいですし、お互い色々分担して、過ごしやすくなると思うんです。」

○○「…。」

遠藤「それとも、先輩は私と暮らすのは嫌ですか…?」

そんなこと言われたら断れないじゃないか…。

○○「じゃあ、お世話になっても、いいかな。」

遠藤「…はい!これから、よろしくお願いします!」




雨上がり 前編 終

後編に続く

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