「新しい世界へ」
僕は今、空港にいる。
もうすぐ遠くへ行ってしまう彼女の絢音を送り出すためだ。
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数日前のことだった。
家で一緒に飲んでいた時のこと。
僕は2人で食べたご飯のお皿を洗っていて、彼女はテーブルに腰掛けて俯いていた。
絢音「ねぇ、○○君。」
○○「ん?どうした?」
すると、伏し目がちに彼女が言った。
絢音「私ね、今度留学しないかって話が来て…。」
○○「…えっ?」
僕はお皿を洗っていた手を止めて彼女の方を見た。
○○「…遠いの?」
留学って言葉の時点で遠いに決まっているのに、僕は頭の回転がストップしてしまったがためにそんなバカな質問をしてしまった。
絢音「うん…外国の方。」
○○「…そっか。」
僕は皿洗いを中断し、彼女の隣に腰掛けた。
絢音「それでね、○○君…。」
○○「行きたいんでしょ?」
絢音「…いいの?」
○○「ハハッ、何年付き合ってると思ってるのさ。」
○○「第一、行きたいって気持ちがなかったらそんなこと俺に打ち明けないでしょ?」
絢音は申し訳なさそうにコクリと頷いた。
僕は、少し怖かったけど最悪の想定を口にした、
○○「…もしかして、別れたい、とか…?」
少し驚いた顔をした彼女は、再び顔を伏せ、それに返事することなく彼女は続けた。
絢音「…その方が、○○君にとっても良いんじゃないかなって。」
絢音「ホントは別れたくない…。」
絢音「でも、○○君を私のやりたい事に一方的に付き合わせて、それでいて何年も待たせるなんて、申し訳ないし、君の時間も奪うことになる…。」
絢音「だったら、君は私と別れて別の人と一緒になったりして君なりの幸せを掴んでほしいな、って。」
普段から彼女は文才だし言語能力が達者だが、ここまで早口で長い文を話すことはなかった。
そんな彼女が珍しくここまで言葉を並べ立てるとは。
多分頭の中で言葉が言いたい事やそれの補足が渋滞してるんだろう。
絢音「でも信じて、嫌いになったわけじゃないの。○○君のことは本当に好き。大好き。」
絢音「だからこそ…君を苦しめたくない。変に縛りたくない。」
相当悩んだに違いない。
僕を取るか、留学を取るか。
それを考えると嬉しくもあったし、申し訳なくもあった。
絢音「私は…!」
そこまで口にした絢音を最後まで喋らせる事なく、○○は絢音をそっと抱きしめた。
絢音「…!」
○○「…別れたくない。」
絢音「…でも…!」
○○「待ってるよ。ずーっと。」
○○「僕はもう、絢音しかいないって決めてるから。」
○○「君がやりたいって言うなら、僕はそれを全力で応援する。」
○○「待っててほしいなら、いつまでも待ってる。」
○○「だから、もう少しわがままになってもいいんだよ。」
絢音「…いいの?」
○○「だって絢音、僕に嘘ついた事ないでしょ?」
○○「いつか、僕のところに帰ってきてくれるでしょ?」
絢音は何度も頷いた。
絢音「少しだけ…いや、しばらく時間をちょうだい。」
絢音「この先どんな未来が待ってるかわからないけど、頑張るから。」
絢音「いつか、君の横に胸を張って立てるように、頑張るから。」
絢音「いつか必ず、君の前に、戻ってくるから。」
絢音「だからそれまで、待ってて。」
絢音「帰ってきたその時、私の隣にいて。」
彼女は泣きながら僕の服の裾を掴んできた。
僕はもう一度彼女を抱きしめて、泣き止むまで背中を撫でていた。
向かい合う形で抱きしめていた彼女には、僕の涙は気づかれてはいなかった、と思う。
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正直、行ってほしくなかった。
僕は彼女が大好きだったから。
でもだからこそ、彼女のやりたいことを全力で応援したい。
彼女が新しい世界に挑戦しようとしているのを、僕が足枷になるわけにはいかない。
正直、彼女があの時言った通り、別れた方が良かったのかもしれない。
でも気づいたら、別れたくないと言ってしまっていた。
僕と彼女は似ていた。
彼女も僕もわがままだった。
相手のそれに付き合おうとするところまでそっくりだった。
今、ガラガラとキャリーバッグの音を立てて、彼女が僕の隣を歩いている。
そしてエスカレーターの前で立ち止まる。
絢音「じゃあ…ここで。」
○○「…うん。」
絢音「やっぱり、迷惑だった?」
○○「そんなことないよ!」
○○「でもちょっと…寂しいかな…。」
それを言うと絢音はキャリーバッグから手を離し、微笑んで近づいてきた。
そしてそのまま僕に抱きついてくる。
僕も最後のハグを噛み締めるように、精一杯抱きしめ返す。
絢音「ごめんね、私のわがままに付き合わせて。」
彼女が僕の背中をさすりながら言う。
僕は首を横に振った。
言葉は出なかったが、感触で伝わってるはずだ。
絢音「君の気持ちと応援を裏切らないように、精一杯頑張ってくるね」
絢音「で、もっともっと立派になって帰ってくる。」
○○「うん、待ってる」
そして、彼女と僕は体を離す。
絢音「…浮気しちゃダメだよ?」
○○「しないよ、絶対。」
絢音「うん、知ってる。」
○○「絢音も向こうで浮気しちゃダメだよ?」
絢音「絶対しないもん。」
○○「知ってる。」
アナウンス「間もなく、〜便の搭乗を開始いたします…」
絢音「…じゃあ、行ってきます。」
彼女は覚悟を決めたような力強く、それでいて優しい笑顔で言った。
○○「いってらっしゃい。」
僕は彼女がエスカレーターを登り切り見えなくなるまで見送った。
見えなくなる直前、彼女がこちらを振り向いて手を振った。
僕もその手を振り返した。
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飛行機が飛ぶ様子を屋外のスペースから見送った僕は、近くの柱にもたれかかってため息をついた。
○○「…行っちゃったな。」
僕はまた、少しだけ泣いた。
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《数年後》
携帯がメッセージの着信を告げる。
数年の間、不定期ではあれど連絡を取っていた彼女からの、とてつもなく嬉しい知らせだった。
そこからさらに数日後。
僕は空港の通路に立っていた。
十数分待つと、一方向から人が傾れ込むようにゾロゾロとやってくる。
僕は目を凝らして最愛の人を探す。
僕の携帯にはあるメッセージが届いていた。
『私のことを見つけて』
『私も君のことを見つけるから』
僕は人混みの中から彼女を見つけた。
数年経って少しだけ雰囲気が変わっていたが、なぜだかすぐに見つけられた。
そのぐらい、僕が大好きな彼女の輝きは変わってなかった。
彼女も僕のことを見つけ、小走りでやってくる。
絢音「ただいま!」
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