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ふすまの絵画

 絵描きのおじさんが死んだ。持病の心臓病が悪化したのが原因だった。業界では有能なことで有名だったらしいが、近所ではふらふらと徘徊して気味が悪いことで名が通っていた。

 おじさんとは中学三年生の時に出会った。秋晴れが綺麗だったのを今でも思い出す。友達の家で夕方近くまで遊び、帰路に着いていた。近道をするため近所の公園を横切ろうとしていたら、ボロボロの格好をした一人のおじさんが大きくて白い板を設置していた。あぁまたあのおじさんかと無視しようとしたが、どんな絵を描くのか興味がそそられ、板に近寄ってみた。おじさんに今から絵を描くんですかと聞きてみると、仏頂面で「気が散る。帰れ」と返された。 俺はムッとしたが、おじさんの今からすることが無性に気になって、邪魔にならないところで見ていた。

 おじさんはそんな俺を見て、ため息をひとつ吐くと、鞄を肩から降ろした。そして中から大きな筆箱を取り出すと、そこから赤い鉛筆を一本手にとった。白い板をじっと眺め、パッと走らせた。

まだ俺は絵に関して無知だったためにおじさんの描く絵を見ているだけだった。ただ、じっと見ていた。

赤い色彩に黄色や白色が加わる。それだけで俺たちの頭上に広がる空が再現されていく。ひょっとするとこの空よりも鮮やかで綺麗かもしれない。驚いている間にも、風景が描写されていった。ただぼんやり見ているだけなのに、満たされた気分になった。

 おじさんがふいに「坊主は絵が好きか」と問いかけてきた。俺はそこまで好きじゃないが、おじさんの絵は別と答えた。学校の美術で習う絵とは何か違い、どこか面白いと感じた。

俺はそれから度々おじさんと会っては一言二言喋るようになった。おじさんは仏頂面で言葉少なだが、何故だか決して俺を追い払おうとしなかった。

 そうして、いつしか俺はおじさんの隣で絵を描くようになった。はじめはおじさんの絵を見よう見まねで描くだけだったが、次第に自分で描くようになった。見るだけでも楽しかったが、描きはじめると一層楽しくなった。時折おじさんの絵を見ては差に肩を落としたりもした。

俺は絵画にのめり込んだ。そうして頑張った甲斐もあってコンクールに入選。見事にデビューを果たした。おじさんに報告したら「そうか」と一言だけだった。確かに俺は隣で一緒に描いていただけの餓鬼だったが労いの言葉なりなんなり欲しかったのは否めない。 

 そうこうする内に俺は次第に企業や個人から絵の依頼が舞い込んでくるようになった。おじさんとは次第に疎遠になっていた――その矢先の訃報だった。おじさんの通夜は奥さんと子供さん、それとごく少数の親戚で行ったらしい。近所から疎まれ、ファンから狂信的な喝采を浴びた生活を送っていたおじさんを思ってのことだったという。

 訃報を母親伝いで聞いたとき、不思議と涙は出なかった。本当に一滴も涙が頬を伝うことはなかった。今の自分を作ってくれたおじさんに感傷を抱かないのかと愕然とした。それより頭に浮かぶのは明後日までに仕上げないといけない絵のことだった。

 それから何日か経った頃、ふいに奥さんから電話がかかってきた。遺書のことで話があるということだった。

 業界では有能で有名だったおじさんはかなり儲けていたが、あまり金に関心がないため溜め込んでいたらしい。そこでその莫大な額の遺産を誰が相続するか子供同士で揉めていた時に遺書を見つけたと言う。持病で心臓を患っていたため、いつ死んでも構わないようにしていたのかもしれない。

 手紙の内容は普段のおじさんからは察しがたいほどに、丁寧で饒舌に書かれていたらしい。子供たちや親せきに対しての感謝の念や近所の人たちに対しての謝罪などA4のレポート用紙にぎっしりと書かれていた。無論遺産に関しては法律に則ってきっちり分配することと記述されていたらしい。

ただ一枚だけ、「絵を一点だけいつもの坊主にくれてやること。やる絵は坊主がわかるはずだ」と記述されていた。

 俺はあまりの驚きのあまり茫然と立ち尽くした。奥さんが受話器越しに「あなた心当たりある?」と聞いていたが、そんなものあるはずはない。コンクールに受賞しても労いの言葉一つくれなかったおじさんが、まして絵画など。俺はともかく自宅にまで行った。

 自宅に着いてから、まず仏壇の前に行った。おじさんの遺影が飾らている。相変わらず写真の中でもおじさんは仏頂面だった。生前好きだと言っていた栗羊羹を供えて、線香に火を着けた。手を合わせた。それから遺書に明記されている絵を探そうと、とりあえずおじさんのアトリエ兼自室に入って、探しはじめた。

 自室は洋間ではなく、和室だった。はたと俺はおじさんがどんな生活を送っていたのか全く知らないことに気づいた。生前はおじさんともっぱら絵についてばかり話していたからだと思い到ると、なんとも自分は薄情なやつだと笑いが込み上げてきた

 俺は作品や筆などを退かしながら、いったいどんな作品か考えた。どんな素晴らしい絵だろうとかいう期待は一切なく、ただ気になった。むしろ気味が悪いとさえ思った。徹底して俺の絵に傍観を決めていたおじさんが今更なにをくれるのだと。

 一通り目を通してみたがまったく心当たりなどなかった。俺のような薄情ものがもらう絵などないと考えて帰ろうとしていると、部屋の隅のふすまに目が留まった。

 もしやこの中かと思い、立てつけの悪いふすまを開けて中を見た。中身は何もなかった。

 今度こそなかったと思い、扉を閉めようとしたらふすまが取れてしまった。あわててつかむと、手に妙な感触がした。疑問を抱いてふすまの裏を見た。

 絵だった。綺麗な水彩画だった。

 公園の中で、夕陽を見ながらキャンパスに筆を落とす老人と一人の青年が描かれていた。

 絵の中は、出会ったあの日だった。タイトルが下にあった。

「絵描きの青年」

 ふと秋晴れの茜空から雨が降った。なんだと思ったら、水滴がとめどなく俺の目からあふれていた。おじさんの訃報には全く反応しなかったのに、絵を見たとたんに涙があふれ出した。とめどなく涙が流れ落ち、茜色の空に落ちる。

 小さい子供のように俺は嗚咽をただ漏らした。

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