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やわらか哲学

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人生とは、適正な明かりの中に自分を置くことだ
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#言葉

私のように愛すなら

"愛する喜びに酔いながら生きられたなら"   21の時、刹那の中 思った僕の夢 それを今 はっきりと認識し、自分で心の真ん中に置いた   真の愛を与えていくこと。 僕の中で空いてた心のセントラルな箇所に、 やっとダイヤモンドの様に大きな宝石が埋まった。 この意志は僕が受け継いだ 永遠に生きるもの 僕は愛してもいいんだ。 「形は変わる、想いは変わらない」 今日 街でたまたま見かけたアート風の看板が 記憶の中で私を納得させる。 人を 万物を 神を喜ばせようとする その時、 私

Vintage.

寒い季節になった 朝はどうしても昨夜の自分を責めながら起きる もっとずっと眠っていたいのに 僕はロングスリーパーだから後二時間は眠る必要があるよ  でも、この時期の世界が好き 冷たい空気がいつもの風景を切なくするから。 等間隔に立ち並んだ裸の木々、 寒そうなビル群、 静かに歩く人々、 みんなで作り出してるこの世界観が僕は好き 宇宙空間から見たときに 太陽との距離感がまた絶妙なんだろう 僕らの星は自転して  この時期、光から少し遠ざかる それがこんなにも世界を変えるんだ 光と

言葉を生み出し続ける

昔から「言葉」に興味があったわけではない 学生の頃も特段勉強ができる方ではなく、読書好きだった訳でもない。 学校を卒業し就職した会社では、語彙力が全く無い奴という烙印を押されてさえいた。 僕が言葉を求める様になったのは、 僕が人生でやりたいことはなんだろう?と思うようになった頃 自分のことをもっと知りたいという気持ちが言葉を求めるきっかけだったんだ。 言葉にすることは、掴まえる事とおんなじなんだ。 「思っている」「感じている」これらは、まるで雲のようだ。 僕は、自分の想い

「自然とできる」の力に頼る

2年以上続いてる私の音声配信、stand.fm コツコツこれまで続けてきました。 楽しい時期もあれば、 発信しなきゃと義務的にやるときもあり、 毎日投稿することもあれば 1ヶ月止まることもありました。 それでも喋るのをやめようと思ったことは無くて なぜなら、 僕が一番自分らしくなれるのは、自分の言葉を喋っている時だったからです。 そして、僕の声には、言葉には、 不思議な力が宿っていると直感しているからです。 だから音声発信をしていくというのを、 なんと

純粋なものは、結晶にしよう

最近ずっと考えてたことがあったんだ 僕は 他の人にとって、 何においてのメンターとなれるだろうか  "なにを手助けできるだろうか" ということを。 振り返れば、僕はこの世界で、自分にとって最も呼吸のしやすい場所を探していた。 「僕らしい生き方を取り戻そう」 心がそう ささやき始めて、 やがてはっきりとした思考になってから、 それに合わせて手足が動かせるようになるには、 随分と長い歳月がかかった気がする。 だけど、そのもがきは確かな力で僕を前進させていた。

言葉は 「感情」 を強化する

どの様な ことばを使っているかが、その人を表す。 発せられる言葉は、その人の思考と内面を一身に代表して出てくる。 また、言葉とは  私たちを感情の世界に連れていくきっかけを与える。 広大に広がっているそれぞれの感情の世界をギュッと凝縮した表現の一つとして「言葉」は作られているから、言葉にはそれぞれ「力」がある。 表現とは、ソレきっかけに 感情の世界(精神)と論理の世界(現実)を行き来することが出来る素敵なものだと 私は信じている。 だから嬉しいことがあったら、言って

一つで完結できる表現はない

表現とは、心が捉えたものを外界に出すことをいうが、 心や精神で認識する無形な世界を ただの一つの表現で全て表す事はできない。 もし、言葉で説明しようとするものなら 膨大な量となってしまうだろう。 それほど、心や精神は抽象的で一瞬で全体的な世界を捉えることが出来る(直感という)。 しかし、表現という論理的な行為は その全てを捉える事はできない。 論理という事は、具体的でありピンポイントということでもあるからだ。 それ故に、心が捉えた全体的で抽象的な対象を私たちが表現