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やわらか哲学

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人生とは、適正な明かりの中に自分を置くことだ
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#人生

私のように愛すなら

"愛する喜びに酔いながら生きられたなら"   21の時、刹那の中 思った僕の夢 それを今 はっきりと認識し、自分で心の真ん中に置いた   真の愛を与えていくこと。 僕の中で空いてた心のセントラルな箇所に、 やっとダイヤモンドの様に大きな宝石が埋まった。 この意志は僕が受け継いだ 永遠に生きるもの 僕は愛してもいいんだ。 「形は変わる、想いは変わらない」 今日 街でたまたま見かけたアート風の看板が 記憶の中で私を納得させる。 人を 万物を 神を喜ばせようとする その時、 私

言葉を生み出し続ける

昔から「言葉」に興味があったわけではない 学生の頃も特段勉強ができる方ではなく、読書好きだった訳でもない。 学校を卒業し就職した会社では、語彙力が全く無い奴という烙印を押されてさえいた。 僕が言葉を求める様になったのは、 僕が人生でやりたいことはなんだろう?と思うようになった頃 自分のことをもっと知りたいという気持ちが言葉を求めるきっかけだったんだ。 言葉にすることは、掴まえる事とおんなじなんだ。 「思っている」「感じている」これらは、まるで雲のようだ。 僕は、自分の想い

純粋なものは、結晶にしよう

最近ずっと考えてたことがあったんだ 僕は 他の人にとって、 何においてのメンターとなれるだろうか  "なにを手助けできるだろうか" ということを。 振り返れば、僕はこの世界で、自分にとって最も呼吸のしやすい場所を探していた。 「僕らしい生き方を取り戻そう」 心がそう ささやき始めて、 やがてはっきりとした思考になってから、 それに合わせて手足が動かせるようになるには、 随分と長い歳月がかかった気がする。 だけど、そのもがきは確かな力で僕を前進させていた。

ノイズ (noise)

直感の声を聴くには、ノイズを消さなければならない 直感の声は 細く透きとおる線。 その細い線は、ノイズがかき消す。 ノイズは私が生み出す。 偽りや嘘をつくとき、声は聞こえなくなる。 直感が聴こえないのは、 直感が分からないのは、 ノイズの音があまりにも大きいからだ。 よく聴こえない。 自分に嘘をつかず、罪悪感が伴うものは意図的に避けること 心地の良い方を選ぶこと。 それが勇気だと ぼくは思う

求めた人にしか、与えられない。

私たちは 真に何を求めて生きているのだろうか。 きっと、それは人の数だけちがう。 人は、心から求めていることがある。 それは朝起きた時に最初に考えることであり、友人と話している時でさえも考える。 いつも求めていて、心の意識が探し出そうとしている。 求め続けると、思いもしないタイミングでヒントを得ることがあるんだ。 人とのほんの些細な会話の中、たまたま聴いてたラジオからかもしれない。 それは、あなたが日々求めているから、捉えることができるんだ。 私たちは 意識し

自分らしくいることで 人生が始まる

人は多くの場合  ふり(pretend)  をして生きている。 本来の私でいられるのは一日の中でどれくらいだろうか。 社会のコミュニティの一部として、そのポジションで役を演じるあなた それは自分らしさを抑さえ込むこと。 でも あなたが最高に楽しい瞬間は自分らしく生きている時だろう。 「この人と会うと とても心が落ち着くなぁ」 きっとそれは、その相手(友人等)によって自分らしくいられる状態になっているからその心地よさにあなたは陶酔する。 生きていくためには 外向け

「苦労」の本来の意味を伝え直しとく

苦労とは、辿り着きたいところへ向かう途中で訪れる「乗り越えたい」ことだ。 あなたが今 苦労して取り組んでいるソレは、どこに行き着くためなのか。 理想や目標に向かっている道中ならば 世界で一番かっこいいのは私だ、と誇っていいと思う。 もし わけもわからず苦しんでいるのなら、 乗り越えてその先にいきたいと思わない苦労なら、 やめてしまえばいい そんなものは「苦労じゃない」  また別のモノだろう。 夢や目標を持つことで、人間は 本領 を発揮する。 理性で自分を納得

あなたが人生で行いたいことは

あなたが人生でやりたいことは、自分の「好きな感情」をもっと味わうことであり、追求していくことだ。 人は、感動したことにしか影響を受けない 感動とは、感情が揺さぶられたことだ。 その味が忘れられなくて、もっと味わいたくて、それを他の人にも体験してもらいたいと願う。 あなたが人生を掛けて行いたいのはそれだ。 それを表現してほしい。 教えてほしい。

「考え方」 が幸せを形づくる

人の幸せを決定付けているのはまさしく「考え方」だ。 考え方により、行動が生まれ、行動により現実世界が作られるからだ。 だから 今幸せなら、きっと10年後も幸せ 今不幸だと思うのなら、この先もずっと不幸だろう。 その差は、その人が持つ思考の回路にある。 僕が思うことは、不幸な人ほど「他の考え方」に触れていないということである あなたには、憧れている人がいるとする その人が何をやっている人かは置いておいて、 もしあなたが憧れる人の様になりたいのなら、その人の行動を

自分らしくないことをやめた先には

自分らしく生きる は何より大切だというけど、 自分らしさってよく分からない。 答えはいつも自分の中にあるものだけど、自分で見つけるのは難しいものだ。 あなたが「やらなくちゃいけない」と思ってしまう事は やめてみよう。 そしたら 居心地のいいところに行けるかもしれない 人は 大人になるにつれ、多くの価値観に縛られ荷物を持たされる。 その荷物を一回 背中から下ろしてみると良いんだね。 そしたら 楽になるのを体験するはず。 フォーカスできる世界も変わってくる。 そし

自分の表現を見つけた人は幸いである

人生とは、自分らしさを見つけることだ。 人は最も自分らしくいられる場所や友人を求めるものだし 自分らしくいられる時が最も心地よいことを知っている。 あなたは、人生をかけて 自分だけの表現を見つけなければならない。 それは、あなたが好きなこと をあなたが得意なやり方 でやるということだ。 多くの天才は、自分の好きなことを得意なやり方で表現する方法を見つけられた人たちだ。 誰もレオナルド・ダヴィンチにはなれない。 しかし、誰も君にはなれない。 あなたが知りたいと思う

人生は予測不能だからこそ選択の基準が大事

自分の人生がどうなっていくかなんて誰にも分かりやしない。 世の中の常識や価値観は凄まじい勢いで変化してて、 きっと流行りものの移り変わりも早いだろう。 あなたが一年後に計画していることも もしかしたら古いものとなってしまうかもしれない。 もはや、今の時代 一年後の予測すら不可能だと 私は思っている。 今を最高に生きる連続こそが 予測不能で変化の激しい時代を渡り歩き、 あなたを想像もしないところに連れていく。 その為に、ずっとやりたかった事を 今日するんだ。 人

「恥ずかしい」 とは一体なんなんだ

人が恥ずかしさを感じる時は、 たいていの場合 他の人と違う行動をとったときだろう。 人は、コミュニティの枠組の中から外れる事を 恐れ、 恥ずかしいものだと捉える。 学校のクラスのみんなと違う意見を発表する事は非常に勇気がいるし、どう思われるかも分からない。 社会通念上一般とされる価値観は時間をかけてゆっくりと私たちの常識となっているものだ。 あなたが正しいと思うのなら、その価値観からは  はみ出すべきだ。 勝手に決められた枠組であり、あなたの基準をそこに当てはめ

一つで完結できる表現はない

表現とは、心が捉えたものを外界に出すことをいうが、 心や精神で認識する無形な世界を ただの一つの表現で全て表す事はできない。 もし、言葉で説明しようとするものなら 膨大な量となってしまうだろう。 それほど、心や精神は抽象的で一瞬で全体的な世界を捉えることが出来る(直感という)。 しかし、表現という論理的な行為は その全てを捉える事はできない。 論理という事は、具体的でありピンポイントということでもあるからだ。 それ故に、心が捉えた全体的で抽象的な対象を私たちが表現