見出し画像

「全力」で過ごした或る夏の話

私は最近,大学生活の中で経験した様々な事柄について,懐古している。それが来たる社会人生活にたいする多少の抵抗なのか,それともノスタルジアを覚えることで大学生活の集大成としようとしているのか————はっきりとはしないが,よい機会なので,いくつかのエピソードをこの場で熟熟と書いてみようと思う。

「何事も全力でやれ」

今回は,私が某学習塾で講師のアルバイトをしていた,大学2年の夏の話である。私は,当時勤めていた校舎で,中学受験を志す小学5年生に,国語を教えていた(科目は全く私の希望ではない)。80分*2コマを週2回,淡々とこなしていた。

その講師の職は大学1年の終わり,確か2月末頃に始めたもので,それ以前にやっていたフィットネスクラブでのレセプションバイトに飽きていたこと(この話もいつか書いてみたい)や,家の近所で働きたかったこと(前述のバイト先は渋谷のセンター街にあり,辟易していた),また,自分が高校生のときに熱心に取り組んでいた英語の面白さを他者に伝えてみたかったこと(先述の通り,結局のところ私の担当科目は国語になったのだが)等が相まって,始めるに至ったのである。

一方で某塾といえば,”熱意”で有名な某大手学習塾であり,その実績や生徒数は国内有数のものであった。従って,研修制度はかなり充実していたので,雇用契約をしてすぐに行われる新人研修,定期的な校舎研修,更には事業部内複数校舎での合同研修など,様々な研修が頻繁に実施され,そこでは必ずイデオロギーやアティテュードをかなり仕込まれた。研修の規模が大きくなるほど,その傾向は強まった。もしかするとお気づきかも知れないが,割と典型的な,宗教型ビジネスを行なっている企業である。他校舎の,”洗脳された”社員を見るたびに,当時は少々驚いたものである(自校舎内に留まればまだその色は薄く,従って普段はそこまで”宗教”を実感していなかったので尚更である)。

私はそんな某塾のとある研修で,ひょんな事から「夏季合宿」の存在を知った。某塾に於いてこの「夏季合宿」は,1年のうちで最大級の催しといっても過言ではない。3泊4日,1日2万円の給料が出るということで,早速興味を持った次第である(何故なら当時の私は夏期講習でダラダラと消耗して稼ぐことを避けたかった)。また,普段の校舎から離れて田舎に行って缶詰になって授業をするという”イベント”感も,一夏の思い出としてはちょうどよいと思い,是非にと申し出た。

そして夏真っ盛りの8月,いよいよ合宿を迎えた。合宿では,講師のアロケーションの観点から,普段と違う科目の担当になることも少なくはなく,私は高校受験を志す中学2年生(しかも上位層)に,念願の英語を教えることとなった。科目や学年,会場が普段と違った上に,当然の如く周りにいる講師や事務の方,更には生徒まで,普段とは何から何まで違った。勿論,そういった謂わば”物質的”なものも異なったが,最も大きい差異といえば「空気感」である。

合宿前の事前研修では(ここでも研修がある),「合宿は,その4日間で猛勉強して偏差値を10上げさせるものではなく,その辛い環境下で全力で頑張れたという”記憶”を持ち帰らせることで,生徒たちは合宿後に自校舎に帰ってからも夏期講習を頑張れる,自校舎の他の生徒たちとの覚悟の差を自覚する,そういう”場”なんです。だから,”場”を創り上げ,講師も普段の授業との違いを見せつけなさい。”演出”するんです。」みたいなことを言われた気がする(こんなことを書いてしまってよいのかは不明である)が,その”演出”意識のもと,合宿場はそれはそれは異様な雰囲気であった。

まず開会式で,何千もの生徒(様々な校舎から集まった中学1年生及び2年生)が一堂に会し,合宿責任者の話を聞くのだが,これを並ばせるだけで非常に困難であることは想像に容易い。合宿が始まったばかりの生徒たちは多少浮かれ気味だし,講師たちも普段の仕様で統制しようとするのだが,まずその”自校舎時レベルの立ち振る舞い”について,「おい講師!やる気あ”んのかコラ”ァァア!」といった風に,「講師が」責任者に怒鳴られるのである。これこそが”演出”であり,「先生たちでも怒られるんだ・・・」と思わせることによって,生徒を牽制するという手法である。ここで大抵の生徒はビビり始めるのだが,それでもヘラヘラしている奴(特に男子中学生なんていうのはそんなものだろう)は名指しで舞台上から怒鳴られる。

そんなこんなで一大”演出”を経て会場一堂をビシっとした空気感に統制するところから,合宿は幕を開けた。

この時の私といえば,「これが”演出”かァw」と内心,若干面白がっていたものである。勿論,生徒に対しては口先ではそれっぽいことを言っていたし,ハチマキを巻いてあくまでも”某塾教信者”のように振舞ってはいたのだが,他の講師(特に合宿ベテラン中核勢)の”熱心”な言動を冷静に捉えていたし,またそのように振る舞う自身についても客観的に見ていた。

しかし,合宿1日目時点での私の,私にたいする読みは甘すぎたのである。

さて,この某塾の夏季合宿のモットーは「何事も全力でやる」というものであった。

「何事も,全力でやれ。勉強は全力でやれ,だがそれ以外のことも全力でやれ。全力で歩き,全力で並び,全力で挨拶し,全力で食え。この4日間,全力で過ごせた者だけが,合宿が終わって自校舎に帰ってからも全力になれる。」

かねてよりそう言われていて,だから私も食事から移動から,何かにつけて,生徒に「おいお前ら,全力でやれよ〜」などと言っていた。勿論,精神は至って正常である。

しかしながら,詮ずる所,私は2日目あたりから本当に頭がおかしくなり,某塾教に”入信”したのであった。その原因は何より,1日目の夜にある。

夕食後,1日の最後のコマがあり,それを終えると生徒は就寝となる。一方で講師たちは,最後のコマを終えたのちに講師ミーティングがあり,約1時間ほど”ベテラン講師”の教えを受けたり説教されたりしながら過ごし,そしてミーティングが終わると,宴会場では飲み会が開かれた。私は1日目の晩に見回り役目があったので,また約1時間ほど生徒たちの部屋の前に居座り,それも終えた夜中1時頃から宴会場に向かった。飲み会に興味がない事務のお姉さん方や,早く寝て明日に備えようと自制心の強いタイプの講師はそそくさと部屋に帰っていったので,その頃会場には”飲みたがり”なタイプの人間しか残っていなかった。そして私もまた,”飲みたがり”な人間である。初めて会う他校舎の人間とも話してみたかったし,また女子大生というだけで合宿責任者を含むおじさんたちに歓迎されていたので,気前よく飲んでいた。

そんなこんなで夜中3時をまわった頃,翌日の授業に備えていよいよお開きとなった。

気持ちよくふわふわした気分で部屋に戻り,早めに帰って寝ていた同室の先輩講師には申し訳ないながらも,私は静かに風呂に入った。そして風呂を出ると,翌日(正確には当日)の予習を始めた。本来,合宿前に完璧に予習を終えているべきなのだが(合宿中は一切時間がないからそうしろと事前に強く言われていた),偏に怠惰な所為で,風呂上がりの午前4時に予習をする羽目となった。30分を費やし,そこで限界が来て,30分寝た。

講師の,合宿の朝は早い。早朝5時40分にロビーに集合し,朝の挨拶の後,某塾の教訓的な言葉を腹の底から読み上げるという”儀式 ”があるのだ(どんな言葉だったかは毛頭覚えてはいないが,この”儀式”は間違いなく強烈なものであった)。そしてそのあとで生徒の部屋をまわり,起床を呼び掛けるとともに点呼をとって,外のラジオ体操会場に送り出す。

普段は寝ないと翌日はやっていられないタイプで,また人生で徹夜というものを経験したことのなかった私は,”若干30分の仮眠”から覚めると,朝なのか夜なのかも判断できない状態で簡単に身支度を整えて,ロビーに向かった。そこで始まるのが,例の儀式である。

人は適度な睡眠を取らないと,判断能力が鈍るというが,この時の私はまさしく判断能力がかなり低下していた。当然の如く,前日までいた冷静な自分は失われ,その状態で他の”熱意ある”講師のように腹の底から挨拶してみると,なんだかそれらしくなったような気がした。奇しくも,覚醒しているので眠気は全くないのである。

朝の異様な”儀式”を異様な状態で経て,いよいよ本格的に”某塾教信者”の顔つきになった私は,その勢いでラジオ体操に取り組んだ。ラジオ体操も”全力”でやらなければならないので,勿論”信者”であるからには全力で行う訳だが,ここでも”演出”が施される。「お前らのラジオ体操はそんなもんで全力と言えるのかァ?」と煽られ,なぜか2回目のラジオ体操が始まるのであった。

こうして2回のラジオ体操をそれはもう”全力”でやったのちに,「宣誓」のイベントが行われる。今日という1日をどのように過ごすのか,を宣誓したい者が名乗り出て,皆の前で大声で宣誓するというものであった。まず,一人のベテラン講師が生徒を先んじて宣誓した。「俺は今日,世界一の授業をする」————確か,そんなことを言っていた気がする。今となると,そんなことを冷静な時に言われれば笑ってしまうだろうが,すっかり”入信”していた当時の私は感動を覚えた。講師が率先して宣誓したのもある種の”演出”であり,また”牽制”とも言えるが,この次に然りと一人の生徒が名乗り出た。そして彼は宣誓した。この時,彼が何を宣誓したのかは惜しくも全く覚えていないのだが,一つ鮮明に覚えていることといえば,彼の宣誓を聞いて涙が溢れたということである。内容は最早関係なかった。若き少年の”全力”の叫びが,判断能力が著しく低下していた私の心を只管に揺さぶったのである。周りを見渡してみると,他にも泣いている講師は複数いたので,”信者”は”熱意”を見せる子供に弱いのかもしれない。

2日目もいくつものコマをこなし,生徒の寝かしつけとミーティングを終えると,みんなで酒を飲んだ。判断状態が更に鈍っているがために,前日の睡眠不足にもかかわらず,私はまた夜中の3時まで飲んだ。そしてまた同じことの繰り返しである。部屋に戻って風呂に入り,そこから予習をし,30分の仮眠をとった。

不思議なことに,身体は死ぬほど疲れているはずなのに,全く疲れを感じないのである。正確には,脳が覚醒しすぎているがために,疲労を判断できなくなっていたのだ。そのため,後この生活が1ヶ月続くとしても余裕だと思えた。

この頃になると,生徒の方もまた顔つきが変わっていた。ご飯を食べている最中ですらもハチマキを巻いている者もいたし,”全力”で指導すると生徒からも”全力”で跳ね返ってくるという手応えがあった。

3日目の晩は合宿最後の晩なので,キャンプファイアが行われた。これは毎年の恒例行事らしい(某塾らしいイベントである)。

キャンプファイアは,講師たちのステージパフォーマンスとともに行われた。ほぼ合宿ベテラン勢で固められたライブメンバーで何曲か演奏を行うのだが,かねてより歌をやっていた私は,そのライブメンバーにボーカルとして参加させていただくこととなった。田舎の夏の晩,星空の下で火を焚き,back numberやらミスチルなどを歌った。生徒と一緒に踊るような楽曲もあったと思う。そして最後のシメは,ZONEの「secret base 〜君がくれたもの〜」である。生徒の中には,感動で泣いてくれる子の姿もあった。

とっくに体力は限界に達しているはずなのに,よくパフォームしたと思う。いや最早限界を超越していたからこそ,なんでも出来た。脳の判断機構はハチャメチャに可笑しかったから,”宗教”にかんすることには何にでも感動していた。講師がそんな精神状態だったからこそ,生徒にも伝播したのかもしれない。ここまでくると,”演出”しているつもりはなかったものの,結果的に”演出”に成功していたということになる。

当然この日も,合宿場に帰ってから飲んだ。実はこの夜はちょっとした生徒トラブルが発生したため(長くなりそうなのでここでは割愛するが),宴の始まりは深夜2時となった。そこから,朝の4時まで飲んだ。

最終日の4日目も帰る前に最終授業があったのだが,私はそこで最後の”全力”コールをしていた気がする。内容はこれまた全く覚えていないのだが,「全力でやりきるぞ」的な啓蒙的(?)な言葉を叫び,生徒を後に続かせた。そういえば担当科目も英語だったので,例文等の音読も”全力”でrepeat after meさせた記憶がある。

そして,閉会式を迎えた。開会式では浮ついたりヘラヘラしていた生徒も,みんなすっかり”信徒”の顔つきをして,まっすぐ立っていた。そして責任者の最後の話を聞きながら,涙するのである。私は,涙する生徒を目にして涙していた。私のクラスにいたのは50人〜60人だったが,会場にいる全生徒が愛おしかったし,この某塾の合宿が偉大な共同体に思えた。

帰りの新宿行きの高速バスでは,死んだように眠った。途中のサービスエリアでは辛うじて起き上がり生徒の誘導を行なったが,脳はほぼ死んでいた。

それから自宅に帰って数日は,精神が生きていた記憶がない。後から振り返ると,あの合宿は1ヶ月くらい続いていたような気もするし,一瞬の出来事だったような気もする————最早現実味もなく,ただ夢を見ていたような感覚にすらなった。

数日後,私は自校舎で通常授業をするために出勤していた。職員は出勤すると,入り口で「おはようございます」と挨拶することが義務付けられているのだが,私は自校舎で,他講師の腹の底から出てきていない,”普通の”「おはようございます」を耳にして,ようやく現実を見たのである。

どうやらあの時の5時40分,ロビーに響き渡る朝の”儀式”は,某塾に於いてもかなり異様な光景だったらしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?