見出し画像

精神が強靭になったのではない、歪んだ空間に最適化されたのだ

 たった今、今年の本屋大賞受賞作品である『同志少女よ、敵を撃て』を読み終えた。

大作だ。

大作だからこそ、この本を根気強く読んでほしい。

この本に関する内容については大きく触れることはないが、胸に泥流している何かを発散させるために、夜も更けてキーボードを前にしている。

 実はこの本を読み終えるのに10日ほどかかった

というのも、読むとわかるのだが、この本は歴史小説というよりも、歴史の教科書を眺めている気分になる。

巻末の主要参考文献一覧を覗いてみて欲しい。
30冊を超える文献が載っている

“そりゃこうなるわ”

巻末の“主要“な文献でさえこの量で、他にも読んだであろう書物を考えると途方もない。

「そりゃ教科書になりますわな」と思って読んだ。

 また、作者の逢坂冬馬さんがとことんまで磨き上げた知識は、読んでいる途中には必要のなかったモノばかりだ。

しかし読み終えるとどうだろうか?

他の本屋大賞作品を読んだ時にはなかった、あの時のセリフと状況はどんなんだったっけ?という逢坂さんからの知識の暴力によって知的好奇心が駆り立てられている。

そういった知識に偏った説明が大量になされているから、最後まで読むのに根気のいる本だ。

そして、読み人を選ぶ本だ。

 余りにも冗長な武器の説明が多々見られて、その都度「今年の本屋大賞はダメかもしれない」と感じていた。

しかし、小説は大して読まないが本屋大賞だけは毎年読んでいる自負に駆られてなんとか読み切った。

また、この本は読了してから傑作だといわせる何かがある

こんな気持ちになった本屋大賞の作品は『天地明察』以来だろう。

この二つに共通して言えることは、知識に裏づけされた圧倒的な情報量だ。

読み終わった後に、「ああ、面白かったなぁ」と思う作品は本屋大賞のレベルだとほとんどだが、これら二つは今後の生きる糧になる作品だろう。

 さて、なんとなく虫の居所も良くなってきたので、今回一番気に入った部分を紹介したい。

内容に触れるわけにはいかないので、その部分だけを引用させていただく。

戦争を生き抜いた兵士たちは、自らの精神が強靭になったのではなく、戦場という歪んだ空間に最適化されたのだということに、より平和であるはずの日常に回帰できない事実に直面することで気づいた。

同士少女よ、敵を撃て

 「塹壕の中に無神論者はいない」

どっかで聞いた言葉が脳裏によぎりつつも、主人公の心の動向を知っている我々読者からすると、引用した文章は鉛のように重い

主人公に限らず戦士達は重い引き金が軽くなっただけではなく、絶望という精神の引き金にまで指を引っ掛けていたのだ

戦火の中だと気付けないことはいくらでもある。

それは平和の中に暮らす我々でも同じだろう。

ボク自身どこよりも厳しく理不尽を強いられた中学の部活動が終わり数ヶ月たったあと、主人公の少女ほど高尚でないにせよ似たような感情を持ち、自己を客観視して当時を恥じた。

動機を階層化しろ

同志少女よ、敵を撃て  オリガ

この引用を最後にして、タイトル通りの思いを胸に煎餅布団に入る

同志諸君、敵は誰だ?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?