期待はほどほどにしとくと、楽かもしれん

こんにちは。ラストJDのじょんです。
今日は期待についてのお話を書かせていただこうと思います。

期待する

まずは期待することについて。

「こういうときはこうするべきじゃない?なんでしないかなあ」
「ええ、こういうことする人なんだ…。残念」

こう感じる時、ないですか。
もう少し具体的にいうと、自分の期待通りの行動を相手がしてくれなくて、相手を見損なった時。

私はよく、上記のように感じてしまう時がありました。
でも、最近思いました。これって、自分の理想や基準の押し付けなんですよね。相手に勝手に期待して、勝手に失望してるんです。
なんと自分勝手なことか。相手も勝手にこんなことされて、いい迷惑です。お前の期待なんて知らんがな、って話ですよね。

この期待の差異による相手への失望は、メンタル病んだり、人に優しくできなくなったりで、心に余裕がなくなる原因の一つでもあるなあ…と思います。


期待される

逆に、期待されることについて。

期待されたら、人は3パターンくらいに分かれるのかなあ、と思いました。
①燃えるタイプと、
②プレッシャーや負担に感じるタイプと、
③特に気にしないタイプ。

期待されるということは、①と③の人からしたら大した問題ではないですが、②の人からしたらいい迷惑です。

さらに②のタイプの人は、さらに2つのタイプに分かれるのかなあ、と思いました。
②−①相手の期待に応えないと嫌われる・見捨てられるという思いから、自分を犠牲にしてしまいがちなタイプと、
②−②勝手に期待すんな、自分はそんなんじゃない、と自分を低く見てしまうタイプ。
②−①のタイプの人は、なんだかんだ期待通り、もしくはそれ以上の働きをしてしまって、また期待される…というループに入ってしまうのではないでしょうか。
②−②のタイプの人は、意外と自分ができることに気づいて①のタイプに寄るか、もしくはどんどん自分の価値を見失って、マイナスな方向の③のタイプに寄っていくんじゃないでしょうか。

まあ、要するに、期待されても困るというタイプの人間もいるよ、ってことを伝えたかったのです。

「期待」をなくす

期待することとされることについて書いてきましたが、なんやかんやで期待というものをなくすとちょっと生きやすくなるな、って思いました。
ちょっと私のことを書かせていただきますね。

まず、期待することについて。
私は、相手に期待して勝手に期待と現実との差に落胆する人間でした。しかし、期待をしない、もしくは期待のハードルをめっちゃ下げるようにしました。
すると、相手が期待以上のことをしてくれた時にめっちゃ嬉しい気持ちになるようになりました。
自分自身に対してもそうです。「これくらいのことはできなきゃ」と自分に期待して、実際できなくて落胆するより、「お、期待してなかったけど案外いけんじゃん」って気持ちの方が楽です。
自分に高いハードルをずっと飛び越えさせるのは疲れることですしね。

反対に、期待されることについて。
私は先に述べた分類の、②−①のタイプです。期待に応えようとしすぎるとプレッシャーやらでしんどくなります。
なので、相手は大して自分には期待してない、と思うようにしました。最初は、期待されてないというのはなんだか切ないなあと感じました。でも、大した期待されてないなら、まあ気負いすぎずやるかあ、と思えるようになりました。そんな気がするだけですが。

おわりに

ということで、期待に関するお話でした。
別に期待という概念を否定したいわけではないです。自分も相手も、期待に応えられるクソ強メンタルと実力があれば、プラスの効果を生み出すでしょうし。でも、そうじゃない場合に向けて、「期待をなくすこと」を提案させていただきました。

期待をなくすことについては、することもされることもどちらも意識改革中ですが、ほんのりと生きることが楽になった気がします。なくすとはいかずとも、ほどほどにできたらいいなあ、と思っています。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


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