精神的自立ってなんぞ

こんにちは。ラストJDのじょんです。
自立と一口に言っても色々あると思うのですが、今日は精神的自立についてぼんやり考えてみました。

なんでも1人でできること?

最初はこう考えていました。1人で自分の時間を楽しんだり、充実できるようになるのが精神的自立なのかな、って。人に頼ったり、人恋しくなったり、1人で己の感情に対することをなんでもこなせないうちは、まだまだ未熟なのかな、って。

私はメンタルがクソ弱いので、精神的に自立したいという思いがあります。しかし、上記のような状態が精神的自立とするならば、なんてハードルの高い話なんだ、と感じていました。そんなん仙人じゃないか、出家するしかないやん、って思ってました(その道の人に失礼すぎる発言をお許し下さい)。

こんな意見があった

Twitterで見かけたんですけど(ソースが見当たらなくて申し訳ない)、自立するってのは依存先を増やすことでなし得る、みたいな意見がありました。私の中ですごくしっくり来ました。こっちの方が現実的だなあ、と。

精神的自立はこの場合、特定の人物、コミュニティに依存しないことで病みづらくする、ってことなんだろうなあ。人でも物でも、依存先を増やしてみる、ということである。
依存先と言ってしまうと印象が悪いと思いますが、要するに居場所のことだと思います。

自分が属するコミュニティが例えば家族と学校だけ、とかだったらその2つのコミュニティに馴染めなかったら、そりゃ闇に落ちるよなあ。視野もめちゃくちゃ狭くなるしね。
書いてるうちに思い出しましたが、私は中高時代、学校も家庭も快適ではなかったので、ネットに居場所を作ってたなあ。
今はインターネットが発達して、人と繋がりやすくなったり誰でもクリエイターになれたり、いい時代だなあ。居場所を増やしやすい。

てか、そもそも俗世にいる限りは誰かに頼るのが当たり前なんだから、なんでも1人で、って現実的じゃなかったわね。
逆の立場で考えると、頼られるって嬉しいことだと思うので、迷惑かな…とか思わずにまずは頼ってみてもいよな。うん。

例えば

あ、今日恋人と会えない。って場合を例に精神的自立を考えてみる。

精神的に自立してなかったら
恋人に泣きついたりして意地でも会う時間を作ってもらったり、1人の時間の楽しみ方を知らないから、スマホで恋人のことばかり調べて、勝手に病むだろう。恋人のSNSなんて見るもんじゃない。高確率で自滅する。自論だが。

精神的に自立していたら
じゃあ今日は趣味の日にするかあ、とか、あの団体に顔出すかあ、とか、他の依存先があることで1人の時間を楽しめる。しかも次恋人にあったときの話のネタができる。HAPPY。自論だが。


まとめ

現時点では、精神的自立ってのは常に1人で時間を潰したり、なんでも1人でこなせるようになるのではなく、依存先という名の居場所を増やして精神的安定を得つつ、自分磨きをして目指すもの、って考えた方がいいのかなあ、と。
まあ、後者の精神的自立は、言ってしまえば精神的自立(してるように見える状態)みたいになるのかなあ。

病むときは、私は大概
・孤独感
・無力感
が原因なので、居場所を増やして自分磨きすれば解消できるんだよなあ。自分磨きすれば自ずと魅力的になるし、頼られる機会も増えるだろうし。

というわけで、今も1人の時間を楽しむために、色んな居場所を作ってます。
今書いてるnoteも、新しい居場所の一つです。
広げすぎると収拾つかなくなるので、居場所づくりはぼちぼちな感じでいきましょう。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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