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南京模範刑務所(江蘇第一監獄)に収容された捕虜

この渡辺氏は、週刊金曜日に寄稿されている人物で、週刊金曜日というと現在慰安婦を強制連行したという事実無根の記事を上げられた元朝日新聞記者で、奥様が韓国人という植村隆氏を編集長である言わずと知れた【極左】又は【共産主義】の集う【マルクス史観】の【雑誌】である。
それは兎も角、このTweetにあるように、【南京模範刑務所(江蘇第一監獄)】に、【第38連隊】の第10分隊が尭化門で鹵獲したという【捕虜(将校:70名、准士官・下士官:7,130名)】ではないという。
とても興味深いTweetであり、【そもそも7,200名も居たのか】という【疑問】を裏付ける話でもある。

先の記事で、戦闘詳報の第10号(10〜12日)と第12号(14日)に全く同内容・同数の【捕虜】の鹵獲の記載があり、中島今朝吾師団長の日記の記載には、13日の記述の中で【後日聞いた話】と言うことで、尭化門の7,200名や太平門の1,300名の記述がある。
それに佐々木到一旅団長の【回想記(蓋然性は低いとはいえ)】にも存在しない。
第38連隊の「戦闘概見要図」「戦闘経過要図」「歩兵行動概見表」などにも、【大戦果】を記載しても居ない。全く不可解である。

しかし、12号の14日に南京に移送したと鹵獲表の欄外に記載があるが、14日の鹵獲とは考えにくく、後に書いた担当者の誤記載ではないかと考えられる。奇しくも14日は第65連隊の幕府山周辺での【1万4千】という【捕虜鹵獲】した日であり、小野賢二氏の収拾した【偽名】の兵卒の日記等には、【大戦果】として認識している。
本来なら、先に【戦果】を挙げた【第16師団】も報じられるべきであるが、従軍記者等による【報道】や情報などもない。

総合すると、この7,200名とは、存在しなかったのではないかと考える。もしくは、実質的には【2,000名】を下る少数であったのではないかとも考えられる。

渡辺氏の論攷を予想すると、おそらく【殺害した】又は【そういう印象を与えたい】としたいのであろうが、何処で殺害し、遺体は何処にあるのかも【史料】がないことを鑑みれば、単なる【想像】に過ぎないだろう。

同じ、想像ならば、最初から存在しない、又は少数だったとした方が論理的ではなかろうか。

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