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フラメンコの唄と瞑想から発見したこと。『自分の内側の宝石は何?』その1

フラメンコを唄うことと、瞑想の実践(このふたつは自分にとっては同じことである)と、瞑想をベースとしたエネルギーワークのシェアが
私の礎だ。

今回は、自分が受けたエネルギーワークについて、である。
この中で自分にとっては「瞑想と唄うことが同じ意味合いを持つ」とわかった気づきを綴りたい。


2年前。

この40年くらいの集大成となるような

エネルギーワークのセッション受けた。

この数年自分自身を探究してきたその集大成。

朝起きたくない40年

リラックスすると左腕が痛い4年

狭いところがコワイ4年

これらの3大お困りごとから

自分を紐解いたのだ。

瞑想しても

ほんとに起きたくて

起きれるようにはならなかったのね。

むしろ瞑想して気づいたのは

大抵の頑張って起きたとき、

というのは

サバイバルのためや

恐怖につきうごかされて、

本音では起きたいなんて

ほとんど思ったことがない、

ということだった。

そんなに

自分の中にある

「絶望感のようなもの」

を認めたくなかったんだね。

「絶望感のようなもの」

これが

気にいらない。

徹底的に気にいらない。

これを認めるのは

つまり

「生きたくない」

ってことを認めることになるから。

そんなに

死にたいのかね。

なんでかね。

この人生で

ひとさまが「そりゃ死にたかろう」と認めてくれるほどの

(ここがミソ)

辛いことがあったのかね。

ないだろ?

親と環境に

何不自由なく育ててもらったろ?

だったら

そんな風に思うべきじゃない!

いや感じるべきじゃない!!

ずーっと

ずーっと

わたしは自分の感受性に封印していた。

( つづく )

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