見出し画像

「メタバース」とかいってテレビに出る人たちはもはやプロパガンダしかしてない

はじめに

昨今、メタバース住人のメディア進出が増えてきている。
「住人」とはいえ、普通に遊び、楽しみ、「暮らして」いる、筆者を含めたメタバース原住民ではなく、いわゆるインフルエンサー諸氏のことを指すものであるが。

一応筆者としては、これはこれで悪くはない傾向だと考えている。私が楽しんでいるものが世間に広まり、仲間が増えるかもしれないからだ。

ではなぜわざわざこのようなnoteを書くのか。
それは、一部インフルエンサー諸氏は、テレビで積極的に宣伝されている「メタバースではNFT」という言説に対しては反発するのに、「メタバースではバ美肉お砂糖」という言説はテレビ進出してからも積極的に推し進めようとしているのか。そのどちらも、「メタバース」の特徴の一つである、時間と空間/現実と仮想を超越する画期的な「世界」であるということからズレているうえに、いうほど画期的でもなければ、原住民の中で一般的というわけでもないのに、ということに大きな疑問を抱いたからだ。

結論を先取りするのであるが、「メタバースではNFT」と主張していくことも「メタバースではバ美肉お砂糖」と主張していくことも、根本的な発想は同じである。
それは、両者がテレビをはじめとした「メディア」の力をあてにして、自分たちの利益を最大し、自分たちの望む「メタバースとはこうである」という「スタンダード」を広め、定着させることを目的としているからである。

以下ではまず、テレビを代表として「メディア」の持つ「力」について確認したあと、「メタバースではNFT」も「メタバースではバ美肉お砂糖」も、どちらも自分たちの主張を押し通すために「メディア」への売り込みを行っていることを説明する。そして、絶望的な未来を予想した後で、メタバース原住民のとるべきスタンスを提言する。

なお、ここでいうメタバースは基本的にVRChatのこととする。理由は、それ以外のメタバース空間を筆者がよくわからないからであり、一番有名なプラットフォームもVRChatだからである。

1、「メディア」は未だに日本最大のインフルエンサー

ここでは、「メディア」、特にテレビの持つ広告・宣伝の影響力について説明していく。

正直なところ、これを読んでいる方々の中には、テレビのような旧来の「メディア」はもう終わっているもので、老人くらいしか見ていないだとか、「マスゴミ」だから信用に値しないと思っている人がそれなりにいるのではないだろうか。
しかし、それは一面の真実でしかない。もう一面の真実は、世界中で最強のインフルエンサーは既存の「メディア」だということだ。

「10.6%」。

これは何の数字だろうか。正解は、関東地区における2021年7月11日のNHK「ニュース7」の番組平均個人視聴率だ。

参照「週刊高世帯視聴率番組」

https://www.videor.co.jp/tvrating/2021/07/43677.html

これだけだとどのくらいが見ているのかわからないので、調べてみたところ、視聴率1%は「全国7歳以上の国民約118万人が視聴している」とされているようだ。
これを単純に「視聴率1%の番組は118万人の人間がみている」と即断はできないのだが、一応ここでは計算上の都合もあり、「視聴率1%=約100万人が視聴」としておきたい。
そうすると、上記のニュース7は平均して約1,000万人が視聴したことになる。これはかなり大きな数字なのは間違いない。

試みにYouTubeのライブ配信、その最大同時接続数(以下同接と略記)を見てみると、過去最高が手越祐也の配信で132万人、嵐の配信に78万人、Vtuberの桐生ココに49.3万人、ストリーマーの加藤純一が46.5万人である。YouTube最大同接も、視聴率にしてみれば約1.3%であり、深夜番組くらいの規模なのである。
このように、数字で見ればテレビの同接は半端なものではなく、少なくとも日本最大のインフルエンサーはテレビであることが明白だといえる。

視聴率は以下のURLより。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000031397
YouTubeの最大同接数は以下のURLより。
https://mesomablog.com/325.html

ここでは、例えば雑誌の購読数などがわからないため、テレビに限定したが、より広く旧来の「メディア」が未だに強い影響力を持っていると考えてもらってもよい。
このテレビを含む「メディア」の影響力をふまえて、本題に入っていこう。

2、「メタバースではNFT」も「メタバースではバ美肉お砂糖」も「スタンダード」の覇権争いでしかない

ここでは、「メタバースではNFT」も「メタバースではバ美肉お砂糖」も、どちらも「メディア」への売り込みと影響力の利用を通じて、自分たちの形成したい「スタンダード」を定着させることを目指している、ということを説明する。

2-1、「メタバースではNFT」の言説と反発

まずは、「メタバースではNFT」とはどういう言説なのかを確認してみよう。
YouTubeの怪しい投資チャンネルやら、一発狙いのわけのわからない有象無象、金の亡者、ハゲタカ共がうるさく言っているが、要するに「メタバースは金になる。今までにない商売ができる。それって魅力的ですよね?メタバース空間でビジネスしたくなってきたでしょ?儲けたくなってきたでしょ?じゃあメタバース空間で商売するときには我々の主導するNFTっていうものに乗っかってね」というのが基本スタンスだと筆者は解釈している。

このような儲けありきの目的をそのまま打ち出すことは憚られるからか、主張にさも「正当」な意義付けを行い、「NFTは容易に複製可能なデジタルデータのオリジナルを証明するもの」のような、もっともらしいことを言う。もちろん、現在メタバースに生きるメタバース原住民の多くが知っているように、NFTとは特にそういうシステムではない。

このような、自分達が利益を出せるように、儲けられるようにという目的が背後にありながら、それを覆い隠すような「アリバイ」として、現在のメタバース空間で行われていることから乖離した、「メタバースではNFT」という「スタンダード」を、資本の力と広告の力を使ってテレビを中心とする「メディア」を経由して流布し、それを「正しい」ものにしてしまおうとする、その圧迫に対してメタバース原住民は忌避感を覚え、抵抗していると私はみている。
なぜなら、正直よくNFTの原理やその虚実をはっきり理解していないような人々も、「メタバースではNFT」という言説に強く反発しているのをみるからだ。単に技術や用語の定義を批判しているのではなく、より感情的な反発がここにあるとみられる。

そして、こうした「スタンダード」は、恐らく今存在しているメタバース原住民に対して利益はもたらさない。むしろ「ビジネス目的じゃなくてメタバースやってんの!?」というような扱いを受けて、むしろ立場的には悪化する可能性すらある(これは若干ネガティブすぎる発想だろうが)。

要するに、「メタバースではNFT」に対する忌避感は、単なる嫌儲思想ということではなく、「外野がドカドカやってきてメディアの力を使い、「スタンダード」を設定し、既に居る原住民はないがしろにした上で、勝手にメタバースを定義され、利用されること」への忌避感であると考えられる。

2-2、「メタバースではバ美肉お砂糖」の言説と反発

では、「メタバースではバ美肉お砂糖」の場合はどうだろうか?本noteの趣旨から既にわかるように、彼らも根本的には同じである。

確かにインフルエンサー諸氏は「外野」ではないかもしれない。だが、彼らが「バ美肉お砂糖」とテレビで主張することで、メタバース原住民は何を得られるだろうか?彼らのロビー活動のおかげで生きやすくなっただろうか。全然そんなことはない。

では、一番利益を得ているのは誰か?それは勿論インフルエンサー諸氏である。彼らがメディアで「バ美肉お砂糖」と言えば言うだけ、それが「スタンダード」として吹聴されていく。そうすれば、現在のインフルエンサー諸氏は「第一人者」「専門家」「スペシャリスト」「有識者」「文化人」などあらゆる肩書・尊称を付けて更なるメディア露出ができる。そうやって名声を高めていけば、どこかの組織のお偉いポストにおさまったり、「文化人」としてゆくゆくは政府の「メタバース開発推進委員会」とかにひろゆきみたいに呼ばれるかもしれない。

別に活躍して名声を得ることが悪いといっているわけではない。それには留意してもらいたい。

ここでの問題は、こうしたインフルエンサー諸氏は前述のような「メタバースではNFT」に対して反発し、あまつさえそうした言説を実態と乖離しているなどと言い、敵視さえするのにも関わらず、実は同じようにメディアを通じて「メタバースではバ美肉お砂糖」という自分たちの創りたい「スタンダード」を売り込むというやり方をとっている、と指摘したいのである。

「バ美肉お砂糖」に対する向き合い方は当然人それぞれであり、私自身もバ美肉しているので無関係な事象ではない。
それをふまえても、一部にみられる「アンチお砂糖」「メタバースといえばバ美肉お砂糖、みたいな言説には賛同できない/もやもやする」という言説は明らかに少数派の戯言として片づけていい程度の量や熱量ではない。

思えば、「メタバース」という言葉の定義すらよく決まっていないのだ。
マインクラフトはメタバースか?フォートナイトはメタバースか?VRChatは本当にメタバースといえるのか?

そんな基本的な言語の定義すら定まっていないにもかかわらず、メタバースにおける「スタンダード」が、今そこに居る人々の手を離れ、「メディア」に売り込むことの成功した人たちの望むような方向に、勝手に決められていくことに対する反発が、「メタバースではNFT」「メタバースではバ美肉お砂糖」という言説への反発の根源なのではないだろうか。

「メタバースではNFT」も「メタバースではバ美肉お砂糖」も、それを主張し、それらを「スタンダード」にしたい人々にとっては、大勢のメタバース原住民の多様な実態や生き方、遊び方は特に重要ではないのだろう。あくまで自分たちの創る「スタンダード」を受け入れるか、受け入れないかという帳簿や統計上の「数字」に過ぎない。

自分たちが最大限の利益を確保し、「スタンダード」を創るために、NFTをプッシュする「大手広告代理店」やら投資家やらとインフルエンサー諸氏の同接1,000万人のチャンネルを使った覇権争いは今日も続く。
メタバース原住民のあずかり知らぬところで。

3、インフルエンサーではないメタバース原住民にできることとはなにか

上でまとめてきたように、「メタバースではNFT」も「メタバースではバ美肉お砂糖」も、テレビを始めとする「メディア」の影響力を使って自分たちの思想、自分達が構想する「スタンダード」を形づくることが大切であり、メタバース原住民はそこに「居ない」というのが筆者の主張である。

そして、筆者は非常に悲観的であるがゆえに、もう「メディア」に歯向かって、メタバース原住民の生き方や楽しみ方を伝えていくことはムリだと考えている。
資金力の差でNFT勢が勝利し、「バ美肉お砂糖」勢はこれからも宣伝を続けていくだろう。それによって彼らが求めたメタバースが創られていくのだろう、メタバース原住民を置き去りにして。

なお、テレビでの「バ美肉お砂糖」は今後、オタクの代わりに「公共の敵」としてあげつらわれるだろう、というあまりにも悲観的な予測も筆者の中にはあるが、そちらは別稿に譲ることにする。

それでは、NFTをプッシュする「大手広告代理店」やらハゲタカのカス共のように膨大な資金と世論誘導力もなく、インフルエンサー諸氏のように「第一人者」でもないメタバース原住民は、ただただこうした一方的な「スタンダード」に飲み込まれていくだけなのだろうか?

大局的に言えば上述の通りそうだ。大きな資本と権力の前に人々の力は無力だ。
だが、一つ手はある。それは、メタバースも様々なメタバースのあり方を発信していくことだ。
しかし、ここでいう「発信」は、別にメタバース原住民がなんらかの団体を形成してなんか提言だとかをして、メディアに取り上げてもらうということではない。

この時点で本noteへの批判として「そんなに「バ美肉お砂糖」が気に入らないなら自分たちで盛り上げてプレスリリースとか出してちゃんとメディアに取り上げてもらえばいいのでは?それができないヤツのひがみでは?」というのを想定している。しかし、筆者がここで主張したいのは、「スタンダード」を勝手に形成するな、ということなので、違う形の「スタンダード」を作るにすぎないそうした「発信」は趣旨に合わない。

それに私はこうやって主張をしているので、別にひがむ必要は全然ない。

上述の通り、メタバースは現状定義すら曖昧であり、色々なモノそしてコトの集合体である。狭くVRChatだけをみても、ただ雑談している人、イベント開催に熱心な人、踊る人、演奏する人、朗読する人、一人でのんびりする人、愛する者をつくる人、酒を飲む人、とにかく色々なジャンルの活動が行わている。平たく言えば「ごった煮」である。そこから団体などを作ってしまったら、「ごった煮」であることは全然伝わらず、「NFT」「バ美肉お砂糖」に次ぐ第三勢力となるだけだろう。

ここで筆者が言いたい「発信」とは、メタバース原住民が、日々の活動をこまめに記録し、Twitterでもnoteでもなんでもいいからそれらを残し、表し、まとめていくことだ。
なんでもいい。ゲームワールドでの写真でも、ロボアバターや獣アバターの集合写真でも、異形種アバターの写真でも、誕生日会のツイートでもなんでもいい。何も思いつかなかったら「#色々メタバース」とか、適当なハッシュタグでもつけて自撮りをあげるのだ。

日々の営みを一人一人が発信し、世の中に、インターネットの中に、勝手に作られた「スタンダード」ではないメタバースのあり方が、楽しみ方がここにあるぞ、と刻み込んでいくことだ。

そうすることで、筆者を含めたメタバース原住民が「居る」メタバース空間の面白さ、楽しさ、深さを、「ごった煮」を「ごった煮」のまま伝えていこうではないか。

そして、もしいつか、「スタンダード」にメタバースが飲み込まれていったとしても、「スタンダード」以外のあり方が、少なくともかつては存在していたことを次世代に残し、保存し、つないでいくことができる。
それこそが、今、筆者を含めたメタバース原住民が、「スタンダード」にできる向き合い方なのではないだろうか。

おわりに

以上のことを再度整理しよう。
まず、インフルエンサー諸氏がテレビに出始めている。テレビはもう先の無いコンテンツだと言われながら、未だに日本最大のインフルエンサーである。
「メタバースではNFT」を主張する人も、「メタバースではバ美肉お砂糖」を主張する人も、テレビの拡散力を使って自分たちの利益が最大化する「スタンダード」を制定しようとしているという点で共通している。両者の眼中に、大多数のメタバース原住民の存在は写っていない。
大局的に見れば、何らかの「スタンダード」にメタバース原住民たちも飲み込まれていくのだろうが、そうした「スタンダード」とは異なる日常を一人一人が記録し、発信することで、インターネットに多様なメタバースのあり方を刻み込み、そして次世代の「スタンダード」に飲み込まれない人のよりどころとしよう。
これが全体の論旨となる。

本noteを貫く筆者の思考は、もうここまで読めばわかるように「反『スタンダード』」である。今筆者が感じている「メタバース」を主張する人への不信感というのは、勝手な「スタンダード」を制定しようとしていることに根源があり、それは「NFT」も「バ美肉お砂糖」も同じだと気が付いたことが本noteをまとめようと考えたきっかけである。

なお、本当にこれは誤解されたくないので繰り返し言っておくが、別にインフルエンサー諸氏への個人的な憎悪や嫉妬でこれをまとめたわけではない。冒頭にも記したように、なんだかんだといいつつ、私が楽しんでいるメタバースが世間に認知されることは望ましいと考えているからだ。

ただ、そのやり方がズレていると感じたこと、そして何より、インフルエンサー諸氏たちは「メタバースではNFT」を批判し、むしろそういった言説からメタバース原住民を「守った」とまで豪語した。しかしそんな彼らが、「メタバースではNFT」を主張する人々と全く同じ手段で、「メタバースではバ美肉お砂糖」を「スタンダード」として定着させようという、その「ダブルスタンダード」を明確に批判するというだけだ。

本noteに対する批判、批評などは全て開かれている。Twitterなりコメント欄なり、あらゆる場所で「常識的な範囲で」何を言ってもらっても構わない。思うことはしっかり、言葉に残してほしい。以上でまとめを終える。


で、いつもは終わるところだが、最後の若干感情的なことを、感情的に書かせてもらいたい。



そりゃ私だって「民衆の力が「スタンダード」に抗しうる手段なんだ!!」みたいな戦前の左翼運動の活動家みたいなこと言いたくない。
でももう来てるんだよ。メタバースだかVRだかわかんないけど。この場所にも、「正しいあり方」じみたものが。今まで勝手に遊んでいた解放区、私たちの楽しんでいる場所が、急に自治体の自然公園とかにされて、いきなり「●●してはいけません」「●●しましょう」みたいなプラカードが建てられてるみたいに感じているんだよ!

メタバース原住民の声が聞こえるか?
楽しむ者たちの話す声が
それは原住民たちが笑う声 「スタンダード」に抗する者の声
胸の鼓動がドラムの音と重なれば
明日が来れば

新しいメタバースが始まるのだ!!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?