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彼岸花、昼と夜の間に

リアルワールド:某所

気温だけではなく、あらゆるところに秋がやってきたことを、彼岸花が生えていることで知った。曼珠沙華もいわれるソレは赤く、道端でその存在感を示していた。

この花は、昔からなんとなく好きで、同じくらい嫌いだった。

赤くて、独特の形をしているけど、もとはお墓に植えられる花だったと聞いたからだろう。この花の根には毒があり、それを嫌がって土中の生物が寄り付かなくなるから、墓場に植えられていたそうだ。

そっと、花を触ってみる。別段変な感じはしない。普通の「花」だ。有毒であることも、墓場の花であることも、夏と秋を分かつ花であることも意識せず、ただそこに咲いていた。

この花を見ると毎年思うのだが、彼岸花は「中間」に咲く感じがする。

夏と秋の間の時期に咲くし、墓場で咲くソレからは生と死の中間にあるような雰囲気を覚える。

生と死の中間、というと、ある小説を思い出した。アレックス・シラー『青空の向こう』。簡単に言えば、ある少年が亡くなり、魂が生まれ変わる前、やり残したことを最後にやるための「永遠に夕日が沈まない」場所に行ってしまう。そこで最後に何をやり残したかを見つけ、それを成し遂げ、最期には魂が生まれ変わる。

その「永遠に夕日が沈まない」というのも、正に昼と夜の「中間」だ。だからだろうか、そんなことは一言も書いていないのに、その場所には彼岸花が一面に咲いているイメージを、ずっと持っていた。

バーチャル世界:Higan Travelogue -彼岸紀行-

彼岸花が咲き乱れ、夕日が沈まない場所。小説から得たインスピレーション、イメージの中にしかなかったその光景の中に、その中に私は居た。

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オレンジ色と赤で構成される世界。しかも、とても広い。いや、実際には端があるのだが、とても広く見える。

ここには、彼岸花と、夕暮れで固定された空だけがある。

ちょっとだけ、彼岸花が風に揺れている気がした。この場所では、風が吹くのだろうか。ここに吹く風は、多分少し暖かくて、だけど、芯の部分は少し冷たくて、通り過ぎていくと寂寥感を覚える、そんな風が吹くのだろう、と想像した。いや、確かにそんな風を感じた。

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日も、風も、気温も、季節も。全てが「中間」のまま固定されている場所が、ここなんだ。

どこまで行っても赤とオレンジで構成されているこの空間で、私は前に進み、広いワールドの果てを探すことも、退出することもせず、そこにただ立ち尽くしていた。

なにかこの場所でやりたいことがあるような、もうなにもなく、いや何もかも終わってしまっているような。

ワールドに居続けたいような、もう退出したいような。気持ちまで「中間」に行ってしまう。

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BGMがもの悲しさを増幅させる。ダメだ。ここにいたら、一生、永遠に個々に囚われてしまうかもしれない。そんな妄想すら、ある種の現実感をもってせりあがって来る。

しかし、動けない。

ここで立ち止まる私は、今まさになにかとなにかの「中間」で立ち止まったままなんだろう。そんな気がする。

それが何なのかはわからない。もしかしたら、『青空の向こう』のように、今のバーチャル人生の中にはなにか、やり残したことがあって、それに囚われているのかもしれない。そうじゃないかもしれない。ただ、事実としてあるのは、「中間」で立ち止まっている自分自身の、姿。

永遠の夕暮れ時の中に、何かが私を立ち止まらせる。

その何かが何かもわからぬまま、心に何かを抱えたまま、多分私の夕暮れは、まだ終わらない。

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