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【教育雑感】教育の手段と、教育の目的

2021-12-19

「授業を通じて何を教えたいの?」

とか、

「部活を通じて何を教えたいの?」

などと初任のときにさんざん言われて、

(え?面白い授業をやるのが目的じゃダメなの?)

とか、

(え?楽しいから部活やってるじゃダメなの?)

などとむっちゃ思っていたけど、オジサンになって、

「目的が何かを真剣に考えなきゃだめよ」

とか、

「手段が目的になったら本末転倒だよ」

などと偉そーなことを言っていたりもする。

当然、今は、この活動の目的は何だとか、目標はどうするとか、ぐるぐると考える習慣はついたし、子どもたちの将来にどう繋がるのかをずいぶんと意識するようにはなった。

けれど、実は、手段が目的になっていることもたくさんあって、とりあえず試してみたいということだらけだったりする。そういうことに挑戦するときは、架空の目的というか、きっと素晴らしい教育的効果があるよ的な仮説を設定して、周囲を巻き込んでいる気がする。

半分騙しているみたいで申し訳ないのだけれど、やったことないことはやるまでわからないんだから仕方ないよねって心の中で謝罪と言い訳をして、自分を納得させている。

そうやっていろいろ挑戦していると、何年かしていろいろ見えてきて、後付けで目的が決まったり、やっぱり仮説は正しかったよねとなることがある。というかここ最近は、ずっとそんな調子で過ごしている気がする。

なので、若い人には、

「直感として、これやりたいって思うことがあったら、目的とか考えないでもいいから、臆せずどんどんやりなさい」

って言ってあげることがいいのかなと思ったりもする。

けど、自分がやりたいだけで、子どもたちのために何にもなっていない押し付け教育活動はいかがなものかとも思うし、自分の活動がそうなってはいないという根拠もないし、けっきょく何が正しいかなんてわからないなと。

ということで、私の直感に振り回されている人、ごめんね。私はけっこう、手段が目的になったりする人なんです。

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