転職活動をゆるりと振り返る

 転職活動がいったん終わった。参考にしてもらえることもありそうなので、その顛末を記録して公開します。

第1期 香川県から東京の企業を受ける日々、やりにくい、受からない

 某通信社の高松支局に勤務していた時期に、本格的に転職活動をしようと決意した。28歳になる年、社会人4年目。この会社に居続けても、自分がなりたい姿を目指したり、やりたい仕事をやったりということが、できないのではないかという思いが強くなっていた。

 最終的に決意したのは、家庭の事情。妻が東京で働いていたため別居中だったものの、幸運なことに子どもを授かった。産休が始まったタイミングで香川県で同居を再開し、産後の育期間も香川県でゆったりと3人で暮らしていた。

 育休は1年で終えることを決めていた。妻の復帰先は東京の勤務先だ。僕は会社に対して何度も何度も、東京へ異動させてほしいとの希望を伝えていた。この希望は、最後まで叶うことはなかった。

 育休が終わる半年ほど前、春の定期人事異動に引っかからないことが明らかになった。僕は、会社に対するいら立ちはもちろんのこと、異動の内示を待ち続けることしかしていない自分に対しても強くいら立ちを感じるようになった。

 「待っているだけではいけない。会社が自分の人生の責任をすべて背負ってくれるわけではない。自分から動かなければ何も変わらない」と思い至った。香川県で仕事を続けながら、転職活動を始めてみることにした。

 転職サイトに登録し、経歴を公開すると、何人かの転職エージェントから面談の打診が来た。数人と電話やSkypeなどで面談をした。何しろ初めてのことであり、全くもって勝手がわからない。なんとなく抱いていた「これまでできなかったビジネスの経験を積み、数年後には独立して稼ぐことができるようになりたい」というような希望を伝えた。

 すると複数のエージェントから、戦略コンサルタントという職業を進められた。組織のトップや管理職に対して取材をしてきた経験は間違いなく生きるとのこと。確かにそんな気もしたし、経営のことを俯瞰的に考えることもできるという点などから、非常に魅力的な職業だと感じた。

 いくつかの企業の求人に応募してみたものの、結果は芳しくなかった。ただ、世界的に有名な大手コンサルティングファームの選考だけ、トントン拍子で進んでいった。3次面接まではオンラインのビデオ会議で、最終面接は東京本社に招かれた。

第2期 離職してスタートアップにトライアル入社、結局は落ちる

 コンサルの最終面接日、せっかく上京したついでに、大学時代のサークルの先輩が興したスタートアップのオフィスを訪れた。すると、オウンドメディアを立ち上げる計画があり、一部をやってみないかと話をもらえた。

 コンサルで頑張ってみたいと本気で思っていたし、スタートアップに入ってやっていけるとはまったく想像もしていなかった。しかし、そこにいた先輩らから話を聞くうちに、強く興味を抱くようになっていった。

 結局、大手コンサルは最終で落ちた。でもこのスタートアップに入社することができれば、妻と息子と一緒に東京へ引っ越す目途を立てられる。そう考え、通信社はできるだけ早く辞めることにした。本社の人事担当とは少し衝突もあったが、直属の上司が境遇に理解を示してくれていたこともあり、ほぼ思い通りに退社することができた。

 スタートアップでは1か月ほど、業務委託の形でトライアル入社をさせてもらった。前職とは何もかもが異なる世界の中、初めて担う仕事の連続に、何度も心が折れそうになった。踏ん張ったものの、思い通りにいかず、空回りが続いた。

 トライアルが終わるとともに、このスタートアップでの仕事は終わった。正社員への道は開かれなかった。実力や経験はもちろん、対応力や柔軟性など、足りないものをこれでもかとばかりに痛感させられた。先輩の期待に応えられなかった不甲斐無さも強く感じた。

 一方で、納得感も大きかった。レガシーな企業からいきなりスタートアップに参画することの難しさ、置かれた環境の違い、社員一人ひとりの考え方の違いなど、実際に肌で感じたそのギャップは、想像をはるかに超えるものだった。この中で僕にできることは多くない、いやむしろ少な過ぎた。このスタートアップが、余裕がそれほどない中で期待を込めて僕を雇うよりも、より経験のある即戦力を見つけることに力を割こうと考えるのはごく自然なことだと思えた。

 そして僕にとっても、いま自分の身を置くべきより良い環境があるはずだ、との思いは強く持つようになっていた。お互いに、より良い選択があるとわかったこと、これは十分な収穫だと捉え、気を引き締めた。

第3期 無職・無収入で3か月間の活動の末、なんとか内定を3つ獲得

 なんだかんだ言って、東京にしっかりと腰を据えて、転職活動を本気でできるようになったのはうれしかった。香川に住んでいたころのもどかしさが完全に解消され、僕は水を得た魚のごとく存分に活動を始めた。

 Wantedlyというのは便利なサービスだ。求職者という身分を利用すれば、「カジュアル面談」という名目で、たくさんの企業の人に会うことができた。初めの1週間で15社を訪問した。初めの1か月で10人の転職エージェントと面談した。

 妻の稼ぎと貯金に依存し、無収入のまま3か月もの間、活動を続けた。最初に内定をもらったのは1か月が経つ少し前。「納得がいくまで活動を続けたい」と伝えると、快く承諾してくれた。それから2か月ほどがかかり、50社以上に応募し、ようやく2件の内定を獲得できた。

 3か月、はっきり言って、長かった。もっと時間をかけずにできなかったものかと、悔やむこともある。途中、いろいろとうまくいかない時期もあり、つらくもあった。ただ長い時間をかけたからこそ得られた学びもある。

 入社を決めた企業に応募したのは、12月だった。それからずいぶんと時間がかかり、1回目の面接が組まれたのは2月3日。ところが選考はスピーディーに進み、2月13日に内定となった。自分のやる気だけでは、思うようには進まないということもわかった。


 

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