哲学とは何か。――私が嫌いなもの

「スキ」を頂いて申し訳ないのですが、スキして頂いた方のプロフィールを読むと自己啓発系の方が多くて、複雑な気持ちになっています。 

(※私はまだ自分の哲学研究や哲学について、その具体的内容を語っていません。)


はっきりさせておきたいのですが、私は哲学文筆家(職業哲学者ないし自称哲学者、または自分が哲学に明るいと思い込んでいる人)が執筆した「哲学書っぽい」哲学文芸書が大嫌いです。

あれらには本質的に如何なる哲学的要素も含まれていない。

このことを分かっていないで、本物の哲学書を、哲学文芸書を読むときと同じ感覚で読んでしまう、自称哲学大好き人間も苦手です。

甚だしい苦しみ故とは言え、そこから逃れるために“それらしい言説”にすがりついて安易に納得したがるその姿勢が、不誠実この上なく思えて、欺瞞的で穢らわしいと感じます。


自身の生きづらさや苦悩が自身の哲学的営みの源になることはあっても、哲学的営みがその生きづらさや苦悩を解決してくれるわけではありません。

哲学は自己啓発の手段でも精神安定剤でも成功するためのメソッドでもないのですから。

ただただ、真理に対する飢餓のために、真理を理性による言語によって求め続けるのが哲学であり、真理の内容それ自体に期待してはならないのです。

たとえ真理が人々にとって残酷なものであっても、それでも真理を求めずにはおられないから、哲学をするのです。


また、哲学を現実と乖離した学問としてしか扱っていない大多数の職業哲学者も私は大嫌いです。

哲学それ自体は「何の役にも立たない営み」だけれども、それは哲学と他の物事との間には関係性が一切ない、ということを意味しません。


こう言うと、矛盾しているように感じられるかもしれませんが、そうではありません。

哲学的営みと真理それ自体は何の役にも立たないし、自身や他者が見たくなかったものを顕にして、一般的な幸福感を奪い取り、社会に害を及ぼす可能性のあるものですが、哲学的営みによって得た論理的思想と純粋な真理をどう扱うかによって、それらの「副産物」を他のことに役立てることはできます。


哲学はあらゆる物事を根本から徹底的に問い続ける営みですから、哲学と全く関係のない物事など何処にも存在しません。

従って、様々な社会問題を含めて、自分の狭い専門分野の研究対象以外の物事に無関心な哲学者は、ニセモノです。

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