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落語サロン

きっかけは丁度4年前、来たる成人式を万全な形で迎えようとその前日、17時に美容室を押さえていた。

例によって目覚めたのは18時。
とんでもない。なぜこんなことが起きたのか、
一体何を食べたらこんなにも寝れるのか、自分で自分に愛想を尽かした。
勿論、押さえていた美容室にはガビガビの声で連絡し、キャンセルせざるを得なかった。
本当に申し訳なくみっともない。

暫く天を仰いだ。
今すぐいける美容室があればと血眼になれるほどまだ覚醒していない。不恰好に伸び切った髪はボサボサで顔はムクムクだ。

それでも諦めの悪い私はどうにか、と思っていたところ家から一番近い美容室が20時まで開いている。
なぜ今まで行かなかったのか、あの建物は美容室だったのか、などと考えるよりも先に電話をかけた結果、今すぐからであればいけるとのこと。
首の皮一枚、ここでなんとかなるのが私の人生なのだ。
唐突極まりない初回の客にも関わらず、なんの事件も起きることなくスムーズに施術が終わり、肝心の仕上がりは、なんか全然めちゃくちゃいい感じになった。
「ここええやん」
阿呆みたいな面を下げて偉そうな感想を持ったのが今も通っている美容室との出会いだ。

その丸4年お世話になっている美容師さんとまあ馬が合わない。
今でも初対面かの様な言葉しか交わせず、私なりのユーモアは一つも届きやしない。
型にハマりたくない、マイノリティでありたいという私の煩悩が美容師のマニュアルをかき乱すのだろう。
どうしてもその擦り合わせができない。

そんなけったいな客である私にも

「最近仕事は忙しいんですか?」
「○○くん、恋人はいるの?」
「今日この後、予定とかは?」

など様々な言葉を投げてくれる。
いつも同じ質問を投げてくれる。
多くの場合ここから会話に発展していくはずだが、私の場合なぜか“会話”ではなく“質疑応答”になってしまう。どういうわけか。
ハーバードに研究してもらえばいいのだろうか


いつも同じ質問と言ったがこれはその美容師さんの奥義なのだろう。
いつ聞いてもいい、時と場合によって変化するカテゴリの質問は使い勝手がいいと思う。
ただ恋人に関して私は本当に動きがない、いつもいない。

「恋人はいるの?」
「いないです」
「まあ23、24歳では付き合うハードルも高いのかなあ、3年ぐらい付き合って、向こうは真剣に結婚とか考えてたのに別れちゃったりしたら貴重な時間がおじゃんになっちゃうもんね」

こんな感じでめちゃくちゃ喋ってくれる。
かたじけない、ありがたい限りだ。

「そう、それでどうする?もし別れた後に家のドアに“○す”とか“○ね”とか書かれてたら、めちゃくちゃ怖くない?」

目にも止まらぬ勢いでそれを素晴らしい笑顔で喋ってくれる。
私は引きつった表情を隠す様に目を細め、限界まで口角を上げ、肩を揺らす。

というのもこの話が3回目だからだ。
絶対に3回目だからだ。

これは私ほどの年代の恋人がいない男に軒並み使える鉄板の噺なのだろう。落語だ。

1回目と2回目も鮮明に覚えているが自分がどんな返しをしたのか全く記憶にない。
そして今何を返せばいいのか、
3回目といえど、そんなつもりなく鉄板の噺をしてくれている聖人に対して「前も言ってましたね」は相応しくない。
初見のようなリアクションをとるのも
その最中に(あれ、この噺、この間もしたっけな、)と
勘付かれてはマズいものがある。

そして追い討ちをかけるかのように

「しかも達筆の赤字で、めちゃくちゃ怖くない?」

そういやそんなんもあったな、と思いつつ間を延ばす。

「いやもう、もうそんなこと起きたらもう、」

頭が全く回らない。
かのケイスケホンダが放ったフリーキックのように全く頭が回らず、目の前は銀色だ。


「めちゃくちゃ怖いですよね」


なんだその返しは、と過去の自分をタコ殴りにしてやりたい。
間を延ばしてその返しは弱すぎる。極めてナンセンスだ。

この返しによって二人の時の流れが完全に止まり、酸素の音が聞こえた。

耐えられなくなった私は数秒が経ち、髪型へのありもしないこだわりを伝えようと「あ、あと、ここはちょっと残し目で」と呟いた瞬間。
流石はプロの落語家といったところか、切り替えが早い。
常軌を逸したスピードで真顔へと戻る。
ケイスケホンダ顔負けの切り替えの早さにとても清々しい気持ちになった。

私は心を整える必要がある。
あのやりとりはもう無かったことにして、もっとシンプルに生きれる様に、あらゆる煩悩を捨てよう。
よもやの4回目がきたら、それはまた別の話。


P.S.
全く悪口じゃないですからね、本当にいつもありがとうございます。

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