ずっと見ていたあの夢

子どもの時から何度も見る夢がある。

雲ひとつない晴天の下、バルコニーで右手に拳銃を持ち、銃口を自らのこめかみに押し付ける。

人差し指でトリガーを引き、その場に崩れ落ちると同時に、画面がブラックアウトする。

怖い夢だ。

だけど心の奥底では、少し興奮している。憧れているんだ、この夢に。

今でもはっきりと覚えている。この夢を見始めた日を。

小学三年の夏休み。確か夏休みもあと一週間で終わるくらいの日。夜の八時くらい、畳の上に寝っ転がり、欄間のデザインを眺めながら、死後の世界について考えていた。

当時の私は、なんの刺激も変化もない日々が形式的に繰り返される小学校生活に、そこはかとない恐怖を感じていた。

そして今の状態が生きているのだとしたら、死は生きるよりも楽しいのではないのかと思い始めた。

それまで漠然と恐れていた死が、希望にすら見えてきた。

そしたらその晩から、あの夢を見るようになった。

9歳からの18年間で、たくさんの友人に恵まれた。恋人と愛し合った。世界中を旅した。良い職に出会い金銭的にも恵まれた。

しかし今でもあの夢を見る。どんな経験をしても、死への憧れがなくならない。

そんなある日、夢で何度も見たあの光景が現実になった。

2022年12月29日。私はイラクのバグダッド郊外にある中東最大のブラックマーケットにいた。

そこでは、人間以外のあらゆる物が取引されていた。ドラッグや偽造書類、そしてピストルやライフルなどの武器が。

コストコのように区画が綺麗に整理されたマーケットの中で、私は武器が売られている一画を歩いていた。

すると一人の武器商人に声をかけられた。

彼は歌舞伎町にいるキャッチと同じく、空っぽで軽い空気感を醸し出しているが、両手には45口径の拳銃を持っている。

ずっと心のどこかで憧れていた存在が、いま私の目と鼻の先にいる。

拳銃を持っている人間と対峙する恐怖と、それに触れてみたいというアンビバレントな感情が内心で揺れる。

そして無意識のうちに、拳銃を一丁貸してくれと彼へ懇願していた。

彼はなんの迷いもなく、それを私に手渡した。

初めて持った拳銃は、想像していたよりも少し重く、人の命を断ち切る力強さを感じた。

そして私は慣れた手つきで、それを自分の右のこめかみに押し当て、引き金に指をかけた。

心のどこかで正夢にならないか待望していたあの瞬間が、今まさに現実となっている。

拳銃に弾が入っているか分からない。入っていたら、羨望し続けた死の先の世界へ行ける。しかしもうこの世にはいられない。右手の人差し指の力加減しだいで全てが決まる。

死ぬかもしれないという恐怖からか、夢が叶おうとしている興奮からか、脳内でドーパミンが大放出され、心臓が蒸気機関のように力強く脈を打っている。

「いま生きている。あぁ私は生きているんだ」と、全身が生を享受し、自分が生きていたことを初めて知った。私はとても幸せな人生を歩み、今この瞬間も幸福であると悟った。

そして私は、引き金を引いた。

「カチャッ」と乾いた機械音が耳元で聞こえた。弾が入っていなかったようだ。

死の淵に立たなければ、生と幸福を実感できなかった自分に絶望し、引き金を引いたが、私は死ねなかった。

あの日から不思議と死への羨望はなくなり、生への飽くなき渇望を覚えるようになった。

すると9歳から見続けてきたあの夢を、二度と見ることはなくなった。

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