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「傷ついた癒し人」

ジョンさんの歩きながら始まること。

人を癒すものは何か。

人は何に癒されるのか。

人それぞれ、何に癒されるのかは違う。

〝 癒された 〟という体験がその後の

力になることだってある。

そんな癒しをユーモアたっぷりに

与え続けている人がいる。

その癒し人は、今は〝傷ついた癒し人〟

となっている。

あるいは、以前からそうだったのだろうか。

ギリシャ神話に登場するケイロンは、ある日

ヘラクレスが放った毒矢で足を負傷しました。

しかし、このケイロンは神と人間の間に生まれた者であるために

死ぬことが出来ず、癒えることのない傷の痛みを抱えたまま、

生きなければならなかった。来る日も来る日も、痛みを和らげ

傷を癒す薬草を求め、足を引きずりながら山を歩き回った。

そうして薬草を熟知するようになり、

人々を癒すことが出来るようになった。このことが知れわたり、

ケイロンは自分の傷を癒すことは出来ませんでしたが、

あらゆる病苦に悩む人がケイロンのところにやってくるようになった。

ケイロンは有益な治療薬を人々に与えるだけでなく、

彼の思いやりは人々の琴線に触れるものであり、

人々が立ち去るときには、深遠な癒しがもたらされたことを

実感していたというようなお話である。

思うようにならないことが起こると人は、

なぜ自分だけにこのようなことが起こるのだろうか、

この試練は何のためにあるのだろうか、と思う。

この“傷ついた癒し人”の概念は私たちにどのような問いかけを

しているのでしょうか。

自分の傷をどうやって人々のために役立てるか。

そのように考えた時、その人は“傷ついた癒し人”

となっていくのではないでしょうか。

誰だって傷を自分の人生の中に持っている。

どうにもならない人生をどう人生に活かしていくのか。

私たちが傷を持っていることで、癒していける人がいる。

私はそう信じている。

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