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13歳の時に1回死んどる。

タイトルのまんま。私は13歳の時に一回死んだ。

と書かせていただきたい!
13歳って中学1年生という最も多感な時期じゃないですか。
(ないですかって誰に言ってんねん!)
それで良くも悪くも自分という存在と周りを比べながら
将来について考えないといけないわけじゃないですか…

それでいて私の通っていた中学校はちょっと厳しいというか…
なんか変な話、いつもクラスの誰かが泣いてたんですよ。
先生に怒られて叩かれて、うわぁぁぁぁん!みたいな!
怖くないですか?!今の時代じゃ炎上モンだよ!!

多感な時期にそんな学校で生きていくのが嫌になって学校に行かなくなりました。
不登校というやつです。(その時代は希少な存在でした。)
両親は娘が学校に行かない理由を知らないので無理やり車に乗せて連れていきます。
それこそ近所の友達も車に乗っけて、「ほら友達と一緒だから行けるよね?」みたいな感じです。
私としては「友達がいようがいまいがあの学校はおかしいんじゃ!」って感じだったので結局1年半くらい引きこもりでした。
なんで親にそのこと言わないの?って思っているそこのあなた!
いや言ったんですよ…「あの学校、っていうか先生たちおかしいよ」って。
でも証拠がないし、先生たちも親の前ではいい人になるし、
頭がおかしいのは私になっちゃうわけです。
くっそ!こんな時に何か…言質を取れる何かがあれば…
そうだ!ボイスレコーダーだ!
そう思い立ってボイスレコーダーを買おうと思ったんですけど、お値段が高い!
おい!中学生には買えないよ!この値段!
と思って両親に頼んでみるわけです。
「わかった、じゃあ学校に普通に通うって約束できたらね」
「…」
次の日から鼻血が止まらないというストレスマックスの状態になって引きこもり再開です。

その時期から「生きるってなんじゃろな?」と思い始めます。
中学生になったら誰もが通る道ではないでしょうか?(違うかな?)

自分にとっての生きる理由が欲しいわけですが、
その時の私は絶望に満ちた未来しか考えられなかったので「死」という極端な思いつきをします。(アホや)
「いつ死んでも辛いのだったら、今のうちに死のう!」
思い立ったが吉日、どうやって死のうかな…と考えていて大切なことに気づきます。
ヤッベェ!私の「見られたら恥ずかしいコレクション」捨てなきゃ!!

皆さんにもあるでしょう?!人に見られたくないやつ!
日記とか無駄にエピローグがある自作少女漫画とか!
友達との手紙とか自分に酔って書いた詩とか!
それです。

そしてさらに気づきます。
「あれ?私が死んだら、私の持っていたものはどうなるの?」
おそらく家族によって思い出の品としてダンボールかなんかに仕舞われるか、
いらないものとして処分されるか。

おいおい!どうせ捨てられるんやったらワシが捨てたるわい!

ガンガンに捨てました。
もう当時の私を止める人はいません。
両親は夜まで仕事で帰ってこないですし、祖母も畑に行って帰ってこないし、
妹も学校に行ってますから。
見られたら恥ずかしいコレクションや集めていたグッズ、
アーティストの切り抜きや毎月買っていた雑誌なんかを全部捨てました。

3ヶ月くらいかかったと思います。
こっそり家族に気が付かれないように捨ててたので。

その間に不思議なことに死にたいっていう気持ちが薄れていったんですよね。
たぶん3ヶ月ずっと捨てることに集中していたからだと思うんですけど…
それがよかったのか気持ちに余裕ができて作詞作曲し始めます。笑
急に!!なんで?!笑
持っているもの全部捨てようとしていた私ですが、唯一捨てられなかったものがありました。
小学生の頃にお年玉を貯めて買ったギターと授業中にコソコソ書いていた歌詞ノートです。
それだけが手元に残ったので、じゃあ曲作ってみるかって思考になったんだと思います。単純バカです。
毎日一曲作るぞー!なんて目標を掲げてました。
そしたら両親が言ってくるわけです「元気なら学校に行けよ」と。
ヤッベェこれじゃまた死にたくなっちゃうよ!
と思った私は「もうすぐ死にそうな人間」を演じ始めます。
いやいやなんやねんそれ!って今ならなるんですけど当時の私は真剣だったんです!
顔色は常に悪くして、体重も落として、あんまり喋らないようにして…
ってもうやめてぇぇぇ!!黒歴史ガァぁぁぁぁあ!!!

はい、ここで一回私は死にました。
精神的にも肉体的にも死んだ感覚になったわけです。

そんな状態の私を母は精神科に通わせました。病院にも一回行きました。
でもね!演じちゃってるわけだから!健康なんだよね!本当は!!
あの時、精密検査や精神状態をみてくれた先生たちありがとうございます。
今も元気に生きてます。

そんなこんなで1年くらいは外にもろくに出ずに曲を作っていました。
当時聞いていた音楽がYUI・flumpool・Galileo Galilei・amazarashi・アジアンカンフージェネレーション・BUMP OF CHICKEN・RADWIMPSとかでした。
あと父親が洋楽が好きでそっちも聞いてました。名前忘れちゃったけど。
特にYUIは楽譜を全部買うくらい憧れていて好きでした。(だからアコギを買ったんだけど…へへっ照)

しかし!生きているということは年月が経っていっているということ!
そうです!中学3年生になってしまったわけです!
流石に学校に行かないと出席日数も足りなくなって卒業できなくなるということで特別教室みたいなのができました。
不登校の子供達専用の教室です。
そこで気の合う友人が数人できました。
みんなクラスに馴染めず不登校になる気持ちがわかる優しい子ばっかりだったので私も学校に通えるようになります。
その間に先生たちからグチグチ文句を言われましたが、こちとら仲間がいるので励まし合いなんとか卒業まで持ち堪えます。

「もうすぐ死にそうな人間」を演じなくてもよくなりました。
無事に出席日数も足りて卒業できました。


あの時一回、全部リセットしてよかったです。
今で言う人生の断捨離みたいなことをしてたんですかね…?
定期的に自分の持ち物を見直してますがあのアコギはまだあります。
そしていまだに曲を作ったりなんかしちゃってます。楽しいです。


そうそう!
あの引きこもっていた時期に作った曲をオーディションに出したことがあったんですよ!卒業した後くらいに!
なんか誰かに聞いてもらいてぇな〜と思って。
そしたら一次通過しちゃって。
二次審査するのでオーディション会場に来てくださいって電話が!
えっ!まじで!面白い!行きます!って行ったんですけど、
よく考えたら人前で歌ったことなかったんですよね。
だから案の定、緊張しすぎて口カラカラに乾いちゃって
審査員さんのお水をいただくというね!何やってんだよ!!
そんなこともあって当然オーディションに落ちたんですけど、
その時になんか人生って面白いなって思いました。

・・・
・・・・
・・・・・

いや作文んんんっーーー!!?

10年以上の付き合いになるアコギ。いまだに下手くそ弾き語りしかできなくてごめんね。


ね、タイトルはなんか深刻そうな雰囲気してんのにね。
ここまで読んでくれてありがとね。
辛くて苦しくなったらそう言っていいからね。
疲れたら休めるベンチ探してみてね。
そこに私がいたら一緒にサンドウィッチでも食べよう。
え?おにぎり派?
じゃあ半分こずつね。

「なんかコイツ面白いじゃん?」と思われたそこのあなた!! そうです!そこのあなたです!よかったらサポートしてくださぁあああああいぃ!!!! 創作作品を制作するための資金にさせていただきます! よろしくお願いしまあああああああああああああああああああすっ!!!!💪✨