「見知らぬ土地」で「大きな失敗」をすると何が起きるのか?
2020年8月30日投開票の市長選挙に出馬し、見事に大敗しました。
本記事では、「見知らぬ土地」で「大きな失敗」をすると、周囲からどう見られるのか?
をご紹介します。これから「見知らぬ土地」で「何か新しい事」に挑戦しようとしている人に知って欲しい内容です。
結論
結論から先に言うと、「迫害」ではなく、「期待」が起こります。
もちろん、「何を行うか」にも依ります。
例えば見知らぬ土地で、大きな船を座礁させて海岸を汚してしまったら、バッシングされるでしょう。
私の経験は、選挙に出て大敗しました。
その結果、周囲からの
次もぜひ、また頑張ってね!
と言われるようになりました。本記事では、その経緯についてざっとご紹介します。(全部で3,000文字くらいあります)
周囲の反応
私が出馬の意向を周囲に打ち明けたのは、選挙の1年半前の2018年の12月ごろです。
私に近い立場の人ほど、
なぜいきなり市長に?
まずは市議から目指せば良いのでは?
いきなり市長は無謀。お金の無駄だから辞めておけば?
絶対に無理。なんでそんな事をするのか、意味不明ww
こうした声が多かったです。
逆にそこまでの間柄ではない知人からは、
面白そう!応援しているよ!
すごいチャレンジだね!
という声が多かったです。立場の近い人ほど、私の将来を心配し、まずは市議を目指す事を忠告してくれました。
私はそうした親身で現実的な意見を受け止めながらも、
「最初から無理と決めつけるのは間違っている」
という立場でした。
やってみなければわからない。
実際、私が出馬を決意した段階では、まだ現職の市長も立候補を表明していなかったので、可能性は0ではないと考えていました。
そうした事から、
絶対に無理!!
という常識的な意見を「見返してやりたい」という反骨心もありました。
そして出馬の決意をした後、早速選挙プランナーの松田馨さんに会いに行き、相談をしました。
そして現職との一騎打ちで始まった選挙。
相手は地元生まれの64歳。県職歴30年以上。2期8年の市長経験。
フリーザ級の戦闘力です。
私は都会生まれの31歳。行政経験0。移住してわずか3年半。
大方の予想通り、1万票以上の大差で負けるという結果に終わりました。
☆ 野口市太郎(現) 14,429
中西大輔(新) 3,991
そもそもなぜ出馬したのか?
市長選挙への出馬理由は沢山あります。
【外的なマクロ要因】
・世界経済や社会が大きな変革期である事
・日本全体が経済的な衰退に向かっている事
・地方の五島に大きな可能性を感じた事
【外的なミクロ要因】
・五島の行政サービスがアナログ過ぎた事
・五島の政治が後継者不足で硬直化していた事
・若い世代の政治的な関心が薄い事
【内的要因】
・何か大きなチャレンジがしたかった事
・人とは違う分野で活躍したかった事
・失敗しても失うモノがない事
そうした中でも、1番大きな理由は
そこに市長選挙があったから。
という点に尽きます。直近の選挙は無投票で、民意を反映する選挙が行われていませんでした。
そして「おそらく誰も出馬をしなそう」という雰囲気だったので、私が出馬すれば
無投票を避ける事
に繋がると思いました。それに私はスポーツマンです。トライアスロンにエントリーするのと同じ感覚で、市長選挙にエントリーしてみる事にしました。
トライアスロンと市長選挙を同列に語ると、
選挙を舐めるな。そんなに簡単な事じゃないぞ
とお叱りの声が聞こえてきそうです。
確かに、スポーツと政治は大きくルールが異なります。選挙に勝った場合は、3万7千人の命を背負う重大な意思決定を任されます。
どちらのレースも多大な努力が必要という点では同様ですが、その影響度は大きく異なります。
しかし、若くて経験がないと、政治は無理なのでしょうか?
私はむしろ、世界や日本が大きな変化の渦中にある時こそ、しがらみや前例に捉われない発想と行動が必要だと考えます。
今までと同じような方向性、政策を延々と続けていれば、水温の上昇に気がつかずに死んでしまう「茹でガエル」になってしまうのではないでしょうか。
日本全体を見渡せば、最年少の市長は28歳(四条畷市の東市長)です。仮に私が市長になったとしても、決して全国的にニュースとなる出来事ではありません。
そんな風に考え、周囲の意見を押し切ってエントリーしました。
ただし、親や知人、近しい人への「説明」はしたけれど、「納得」は得られませんでした。
今思えば、説明不足だったのかも知れません。
エントリーさえしてしまえば、あとはその山を登るためにトレーニングを積むしかありません。
容易な挑戦ではない事は分かっていましたが、しかしその分、「上る価値の高い山」であると感じました。
対抗馬としてハードなレースに臨む事
それは私自身にとっても、そして硬直化しつつある島の社会や政治に対しても、一石を投じる良い事であると感じました。
仮に負けたとしても、戦争のように身体的なダメージを負う事はありません。
供託金や選挙費用という出費はありましたが、車や家を購入して数百万円のローンを組むよりは安い買い物だと思いました。
好意的な声が殆ど
選挙が終わり1週間。知人や友人以外にも、様々な方からメッセージを頂きました。
もうこれ以上、島を荒らさないで下さい。
訳の分からない挑戦は、よそでやって下さい。
そんなメッセージは一件もありませんでした。もちろん、島の中にはそういうネガティブな感想を持たれる方も少なくないでしょう。
しかし、チャレンジ自体を批判する人はごく少数です。
3年半でそれだけの票を取るのは大したモノだ。
今後の挑戦、活躍をご期待しています。
そうした声が殆どでした。
そして相変わらず、私は「中西IT出張」のTシャツを着て自身の「戦後処理」を行なっています。
選挙後は生活しやすくなった
私は今まで、様々な「初対面の挨拶」をしてきました。それこそ島に来てから4000回近く。
そのテンプレートを省略して
「市長選挙で落選した中西です」
と言えば、通用するようになりました。今後、島でどんな活動をするにしても、この肩書は役に立つと感じます。
今後何をしたいか?
例えば私が五島から離れてしまった場合、今回の経験は有効に活かすことが出来ません。
そのため、私は今回の失敗を「ジャンプ台」にしたいと思います。特に政治分野で。
「失敗をバネに」と言いますが、まさしくそんな感じです。
確かに今回、「相手との戦闘力差」を考えると「かなり無茶な挑戦だったな」と思います。
そのため、票数的には「大きな失敗」という結果に終わりました。
知らない土地で新しい挑戦をする方へ
何か大きなチャレンジ、特に誰もが経験した事がないような場合、おそらく周囲の意見は
止めておけば?
が殆どだと思います。
しかし一回きりの人生だから、ご自身が後悔を残さない事が1番大切だと感じます。
少なくとも私は、
知らない土地で新しい挑戦をする人
を全力で応援したいと思います。
例えばそれが政治的な分野であれば、私とあなたは同志です。
もちろん、沢山の苦難が待ち構えています。
それでもきっと、
高ければ高い壁の方が、登った時気持ちいい
と思います。
大切なのは、一歩を踏み出す勇気です。
あなたの挑戦を、私はサポートしたいと思います。
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