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オペ見学を通してドゥルーズの「ヴァーチャル」と「アクチュアル」を実感する【臨床実習】

さて、今日から私は医学部に通う5年生である。

医学部では5-6年生の間、臨床実習というのがある。机の上でシコシコ勉強するのではなく、「Student Doctor」として病院の中で、実際の医療現場を見学する、というカリキュラムだ。

その中で昨日初めて手術を最初から最後まで見学する機会に恵まれた。

少し前に「手術見学してると簡単そうだから俺でもできそうだ」というツイートを紹介した事があった。今回の記事はそれの発展版、と言っても良いかもしれない。

目についた工程を羅列する

まずは、自分が手術にはいって気が付いた工程について、ザッと述べていく。


  • 手術参加者の清潔確保

    • 腕の向きに注意。手先が肘よりも下がらないように。手先が肩よりも上にならないようにする。

    • ガウン装着、自分のサイズは覚えておく。

    • 手袋を着用する。2枚付けることもある。

  • 麻酔をかける


  • 尿道・尿管カテーテルを挿入する

    • 術中の尿量を把握する目的(だと理解している)

    • 後腹膜を触る可能性がある手術では、尿管を傷つけてしまわないよう尿管ステントを挿入する。


  • 術野の確保

    • 青いシートで患者を多い、その後切開する部分をハサミでチョキチョキと確保します。


  • 皮膚消毒(術野確保の前かも)

    • イソジンを使用。3回4回と塗り重ねる。

    • 切開部位に対して内側から外側に消毒する。

    • 殺菌作用があるのは乾く時。


  • 皮膚切開

    • 切開の前に「タイムアウト」を行い、患者の取り違え、術式にミスが無いか等を確認する。

  • 電気メス切開

    • 病変部位により、手術創の位置・大きさは異なる。例えば正中切開の場合腹壁、腹直筋の間、白線を切る。

      • 手術創は術式によってかなり違う。例えば

    • 腹壁に腸管が癒着している可能性もあるので、広げる際には確認しながら(最初の一切りは、どうやって判断するんだろうか。絶対に癒着が無い所から?)


  • 病巣を見つける

  • 腸管を切り取る

    • そのまま切ることは出来ない。腸管を栄養している血管を結紮(縛る)する(腸間膜の中に入っていることが多い)

    • 上行結腸や下行結腸、十二指腸など後腹膜に癒着している臓器の場合は、後腹膜との癒着を解除してから行う。

    • 回腸切除の場合は、短腸症候群を想定する(小腸が短くなることで消化不良を引き起こす可能性がある)

    • 切り取る前に、術中内視鏡を用いて病変部位を確認することもある。


  • 腸管を吻合する

    • 三角吻合の場合は内翻、外翻がある

  • 【臨床実習】

    • ガーゼ、医療機器の回収忘れが無いかどうか、確認する

    • 何層構造で縫うか。

      • 3層構造(腹膜-横筋筋膜、腹直筋鞘前葉、皮下脂肪組織-皮膚)

      • 4層縫合(腹膜-腹横筋腱膜、腹直筋鞘後葉、腹直筋鞘前葉、皮下脂肪組織-皮膚)

    • どうやって縫うか。

      • 縫い方:片手 or 両手

      • 結び目: 男結び、女結び、外科結び、多重結紮

    • 閉腹は感染を合併しやすい手技であり、病院によっては「閉腹セット」が準備されている事がある。

      • コレは閉腹のために別途新しい手術器具を準備する、というものである。


以上が、臨床実習で外科手術に入り、把握できた工程だ。

ではこの工程を理解するだけで、手術が出来るのだろうか?

次では、それについて考えていく。


手術の難しさ- ヴァーチャルな関係の絡まり合い

ドゥルーズという哲学者がます。1925年から1995年まで生きていた人で、ガタリと共に「リゾーム」という多方向的な関係性を提唱しました。

「一見バラバラに存在しているものでも実は背後では見えない糸によって絡み合っている」ということを哲学的にはっきり提示したのがドゥルーズでした。


 たとえば、「私が自転車に乗る」という事態を考えてみましょう。 

 そこには「私」というひとつの存在と「自転車」というもうひとつの存在がある。大ざっぱには、「私が/自転車に乗る」というかたちで、「私」と「自転車」は主語‐目的語の関係として、二つの独立したものと捉えられることになります。

 しかし、現実をよく考えてみると、「私」と「自転車」は複雑に絡み合っているのではないでしょうか。倒れないように、体のバランスは複雑に制御されています。右に傾けば左にバランスをとろうとしますし、道の状態などの環境も関わってきます。
  自分と自転車が独立したものとしてあるというより、ひとつのハイブリッドな、サイボーグ的に一体化したような状態になっていて、そこでは複雑で多方向的な関係性がさまざまにコントロールされ、「自転車に乗る」というプロセスが起こるわけです。そのプロセスの細かいところを我々は意識していません

『現代思想入門 (講談社現代新書)』千葉雅也著, https://a.co/9IjhJ1x


「先生が/皮膚を切る」という主語-目的語の関係がある時、その背景には

「どれくらいの力を入れたら良いか?」

「どうしてここの皮膚を切る必要があるのか?」

「ココに傷があるから切開するのは一旦避けよう」

といった、「先生」と「皮膚」の複雑な絡み合いが見て取れるのではないでしょうか。


また何かを決断するときには、何か選ばれなかった物がある、とも考えています。

「ココも切り取ろう」「ココは〇〇縫合でやろう」「もう少し癒着を剥がそう」

そう思ったときには、「□□縫合、△△縫合もあるけど〇〇縫合」という洗濯しの除外が脳内で行われているのでは無いでしょうか。
コレが「現場の勘」だとか、「経験の為せる技」と言われるやつなのでしょう。

更にこれらの手技を遂行するために「適切な器具」を用いる必要がある。

先生の頭には、どの器具がどの名前をしているのかが入っているのでしょう。



この「表面的には2つの独立したものの関係に見えても、その内側には複雑で多方向的な関係性がある」という考え方をすると、すべてのものを見た時に楽しくなります。

「このアラーム音はどんな時に鳴っているんだろう」と考えればモニターを見て5分は過ごせますし、

「オペ看護師は先生のどんな動作を見て動いているんだろう」と観察すれば10分は経ちます。


外科実習は、「清潔」という術野が見える場所に参加していなくても、楽しめる場所は幾らでも転がっています。ただし、余り動きすぎて先生の邪魔になりすぎないようにしましょうね。

では。



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