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【臨床実習】新しい科のローテが始まる日に意識したい「環境のノリ」について【勉強の哲学 来るべきバカのために】

今日は月曜日!新しい科を周り始める人も多いのではないでしょうか?

新しい環境に入る時に意識しておきたいのが「環境のノリ」です。
この言葉は千葉雅也さん著、『勉強の哲学 来るべきバカのために 増補版』で用いられた言葉である。

千葉さんは本の中で、

「勉強するとは、ある環境のノリから抜け出し、別のノリへと引っ越しをすることだ」

と言っています。


「ノリ」とは、自分が属する環境における、「この言葉はこうやって使うんだ」という方向性、それに便乗している状態だと考えて下さい。

例えば医学部に所属して、同級生と話をするときには「律速段階」「虚血」「狭窄」などの表現を使いますよね。

一方、正月に親戚から「医学部ってどんなことを勉強するの??」と聞かれた時には「お弁当作りで脚を引っ張ってるやつ」「血が!!!足りない!!」「管が狭くなっていて、通りにくくなっている状態」と、優しい表現を使う。

これはそれぞれの環境における「こうやって使うんだ」という方向性に”ノッている”と言えるのです。

ちなみに勉強の哲学の中ではこの「この言葉はこうやって使うんだ」という方向性のことを環境の「コード」という風に表現しています。

それこそ今私が平然と「ノリ」「コード」という言葉を使っていますが、初めて見た方からすると「NORI」「KO-DO」という、カタカナ語ですらないナニカ奇妙なモノに映っているのではないでしょうか。


さて、勉強とは、ある環境のノリから抜け出し、別のノリに引っ越しをすることだ、としました。

臨床実習では、最短1週間、長くても4週間単位で半強制的に「別のノリへのお引越し」をさせられます。

医学という環境にいることは変わらないのですが、例えば循環器内科から肝臓内科、産婦人科から形成外科に移った時、先生の口から発される言葉が180°違って来る、という体験をした人も多いのではないでしょうか。

環境の変化に適応するのはそう簡単ではありません。
でも、

「環境が変わればノリが変わるから、また新しいノリに乗っていかなきゃな」

という意識を持つだけで、だいぶ精神的負荷は軽減されるように思います。

勉強の哲学の中では、その「別のノリへのお引越し」でどの様に言葉の使い方が変化するか、に関しても述べられています。

新たな環境では、新たな言葉のノリに慣れることが課題となる。ものの名前、専門容疑、略語、特徴的な話の持って行き方‥‥。その環境ならではの言い方をわざわざしなければならない。これまでのノリならこんな言い方=ものの見方はしない。そういう違和感があるでしょうーーー「わざわざ言ってる感」がある。
(中略)
慣れない言葉遣いの「わざわざ言ってる感」は、「言語の不透明性」を示している。
(中略)
新たな言葉の定義には、すぐには慣れません。そのとき言葉は一時的に、不透明な異物になるーーー音の塊、謎の記号になる。不透明な異物としての言葉が、現実から浮き上がっている。この状態が「言語それ自体」であると捉えてほしいのです。
新たな言語の定義に慣れていく途中で、「言語それ自体」という次元に出会う。それは、用法が落ち着いていない言語の状態、つまり、「用法を変える可能性に開かれた状態の言語」であると言えるでしょう。何に成長するか分からない「謎の卵」の状態です。

さて、今私は、胸部外科の実習を回っています。
例えば冠動脈バイパス手術(CABG)を行う際には、冠動脈の知識は「LAD, LCX, RCA」だけでは足りなくなる。鈍角枝(OM)などの枝の名称や冠動脈の番地、冠動脈造影の見方(RAO, LAOなど言葉の定義)を知らなくてはならなくなる。

その言葉は、最初私に「不透明な異物」として映ります。
「ドンカクシ」”Obtuse angle branch”「アールエーオー」というカタカナ語、文字の集合体で。

私は最初、言葉に慣れる為にひたすらGoogle 検索をします。「冠動脈 番号」「CABG 術式」「冠動脈 枝 名称」と。

それによって、「胸部外科が使う言葉のコード」にノルことが出来るのです。

意識的に専門的な言葉を使う。自分にはちょっと馴染みがないなと思いつつ、意図的にその環境のコードに乗ってみる。

そうすることで、言葉を自分に近づけることが出来る、と語られていました。


さぁ、今週も楽しく勉強していきましょう。
まだまだ知らない環境のコードを求めて‥‥‥。


では。

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