匂いが儚くそれを呼び起こす

匂いっていう感覚は、視覚や聴覚よりもよりダイレクトに奥深くの記憶と結びついていると思う。

私はスーパーのインショップでアルバイトをしている。

店はスーパーの惣菜コーナーの近くだ。

こないだバックヤードを歩いているとき、揚げ物の油の匂いがした。

揚げ物均一コーナーがあるから、そこの惣菜を作っていたのかもしれない。

私はその時、なんの前触れもなく急に、死んだ祖父が作るトンカツを思い出した。

祖父は祖母が死ぬまで、料理をそんなにしてこなかった(私がその姿を見ていなかっただけかもしれないが)

しかし祖母がいないと言って外食をするわけにもいかないから、料理をし始めたのである。

案外祖父の料理は美味しかった。

よくクックパッドのコピーが冷蔵庫に貼り付けてあった。

勉強していたのかもしれない。

私は遠いところに住んでいたから、祖父の家にたまにしか顔を出せない。

だから私が行った時は、張り切ってトンカツを揚げてくれていた。

祖母がいなくなった後でも、ごちそうが出てくるのが嬉しかった。

少し揚げすぎのトンカツ。

それを台所で腰に手を当てて揚げる、祖父の姿を、スーパーのバックヤードで突然思い出した。

たぶん写真に残していない思い出である。

においも、しっかりとした記憶の欠片なんだなと思った。

写真で思い出す記憶もある。

映像で思い出す記憶もある。

それはモノを手に取りに行けば思い出せるものである。

でも匂いは意図的に作りだすのが難しい気がする。

もちろん覚えている匂いは作り出せるかもしれないが、それは思い出そのものであって、思い出を呼び起こすための匂いは実質不可能だ。

だからふとした瞬間にそれは訪れる。

何気ない街から香る香辛料の匂い、土の匂い、雨の匂い。

ハッと思い出した記憶たちを留めておきたいのに、匂いはいつか消える。

そしてその記憶はまた奥底に眠るのである。

寂しさもあるけれど、私はそれが儚くて、愛おしいものだな、なんて思う。

#エッセイ

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