無条件に人と一緒にいられること
人とまともに会えなくなってから、もう5ヶ月が過ぎた。
3月、微熱がでた。
ふりかえると、当時準備していたクラウドファンディングによるオーバーワークが原因だった。
その時の経験から「もし自分が……」と考えると気軽に人と会えなくなった。
自分が罹ることよりも、人に伝染してしまうことの方が怖い。
去る4連休、ひさしぶりの長距離移動をした。
行き先は京都。
Irish Pub fieldの洲崎さんと佐藤さんに会いに行った。
7月はパブにも2回だけ行った。
月に1,2度、親しい友人と会う。
それ以外はメールやチャット、Zoomなどのビデオ会議。
3月下旬に「緊急事態宣言が出るかも」という噂が流れ始め、
「この状態は長期化し、そして状況はどんどん悪くなる。
身の回りをはじめとした社会を想うなら、行動するなら今だ」
そう考えて、行動をはじめた。
会社でも遅まきながらリモートワークの準備がはじまった。
電車組はリモートワーク推奨となった。
4月からのひと月は社会全体が一丸となって「安心・安全」に向かっていたように感じる。会社でも徒歩や車、自転車通勤の人だけが出社していた。
5月、6月。
少しずつ社会がざわざわしているように感じはじめた。
他国より発症者がずっと少ないはずなのに、いつまで経っても東京の陽性者数が0にならない。にもかかわらず緊急事態宣言は当初より早く前倒しされ、休業要請は解除、経済活動が再開された。
社会が束の間の落ち着きを取り戻し、会社でも出社推奨となった。
そのことがとても怖かった。
7月。Go To トラベル騒動。
全国で陽性者数が増加。
かつては「東京問題」と呼ばれていたが、福岡、大阪、愛知がかつての東京のような陽性者となり、日本全国に感染がひろがっている。各都道府県が東京のようになる日も遠くはない。
「感染防止と経済再生を両輪で」と言うが、実際は「経済再生の単輪」になってしまっていると誰もが気づいている。
経済活動が最優先。
事後的な感染防止策。
実質的なスウェーデン方式。
その果てに辿りつく未来はなんなのか。
僕らはちゃんと幸せになれるのか。
会社では電車組が再びリモートワーク推奨となったが、半数以上は出社義務がある。
僕は今、東京に住んでいる。
結婚はしていない。両親・祖母は北海道。
出社したり、買い物をしたり、不特定多数の人と会う社会生活を続けている限り、友人とも会いづらい。帰省もできない。趣味のダンスもサウナも行けない。
ダンスを楽しんだり、アイルランドや日本各地へ旅したり、サウナに入ったり。
「自分にとって大切なものはなにか」
「どうすれば世界が平和になるのか」
そのために何ができるかをずっと考えていて、そして実践している。自分の為してきたこと、その優先順位に後悔はない。けれど、ひとりで東京に暮らすことをこれほど辛いと感じたことはない。
僕にとって「若いうちの結婚」というのはそれほど重要なことじゃなくて、どちらかと言えば「人生のレールに沿った行い」と考えている。
一緒に時を過ごしたい人ができたら、自分の生き方がちゃんとできるようになったら選ぶ道だと考えていた。
でも、好きな人たちと会えない期間が5ヶ月も続き、無条件に人と一緒にいられることの価値をとても強く感じる。
僕が働いている会社の社員はほとんどが既婚者で、どうしてもこの苦しさが理解してもらえない。こんな状態がきっとまだまだ続くと考えると、もう壊れてしまいそうだ。
今できるのは、よく食べる、よく寝る、よく休むこと。
今後、日本の状況はもっと悪くなるかもしれない。
それでも、僕はみんなの幸せな顔が見たいし、またサウナに入りたい。ダンスを一緒に楽しみたい。生演奏が聴きたい。
ダンスも、サウナも、音楽も、
はじめて会った人同士でも、楽しさや安らぎを共有できるところが好きだ。
好きな人、大切な人たちと会いたいけれど会えない。
それでも、今、できることをずっと探している。
世界が平和でありますように。
*サムネイルは京都、哲学の道にあった無人販売。なんだか人との繋がりを感じてしまった
Grazie per leggere. Ci vediamo. 読んでくれてありがとう。また会おう!