僕らはいつ世界をよく"し終える"のか?〜使命についてのメモ

(この文章は頭を整理するためのメモです)

CXO Night #7 デザイン会社経営のリアルというイベントに参加して「デザインは世界を善くするか?」といった内容のことを質問した。その後の懇親会で人と話して、自分は「世界をよい方向に導くものをデザインで世界にインストールしたい」のだと気づいた。

「世界をよい方向に導くもの」というのはとどのつまり「文化」だと考えている。CXO Nightでも「人が大事だ」「チームが大事だ」みたいな話があったけれど、つまりそれって文化だと思う。社内の文化、プロジェクト単位の文化。心理的安全性、オープンネス。

よい人材を集めて、よいチームをつくって、よいプロダクトができる。それが社会をよい方向へドリブンする、イノベーションを起こす。

手っ取り早い方法だとも思う。と同時に、でもそれってそのコミュニティ内でのみ起きていることでしょう?って考えてしまう。

自分が信頼できる友人とだけでご飯を食べに行く。暖かい家で家族と団らんする。楽しいし、幸せだし、言うことない。僕だってそうやって生きている。でも、それって自分の幸せだけだよね、って考えちゃう。

"幸せを追い求める"ことは大事だ。

うだうだ書いているけれど、僕は絶賛、幸せを追い求めている。最近めっちゃワイン飲みにお店に通っているし、サウナにも行くし、ダンスもする。美味しいご飯だって食べる。ただし、僕は自分の幸せ自体を目的にはおいていなくて、その先へ行く過程だと考えている。

話を戻して。

会社で、仕事で、チームでデザインして、プロダクトつくって、それで本当に社会がよい方向に行くのか?という疑問が心の深いところから覗いている。

もちろん、そうしたプロダクトはたくさんの人を幸せにするし、僕らが現在享受しているのものは先人が成し遂げてきた偉業の上にある。それは重々承知している。デザインは世界をよくする。イノベーションは世界をよくする。正しい。

で、それ、いつまで続けるの?
いつになったら世界をよくし終わるの?

会場で質問したときは「資本主義」ってだいぶ乱暴にまとめてしまったけれど、イノベーションとか、何かを変えるとか、そういった方向性は果てがない旅だと思う。ロマンチスト的には果てがない旅ってのは憧れしかないけれど、地に足を降ろして捉えてみると、そんな不幸な生き方もないんじゃないかとも感じる。

進歩。進化。成長。絶えず進化していく僕たちは生存に、生き残っていくことに全力をかけている。そういうことなのだろうか?世界をよくするミッションは生存本能から生じているのだろうか?

そんなことをずっと考えている。
生き方に迷っている。

世界をよくしたいなら、目の前にあるビッグウェーブに乗るべきなのだろうか?同じ舟を漕ぐべきなのだろうか?だが、その舟はどこへ至る舟なのか?それは終わりのない旅では………?

頭の中をガンガンと疑問が駆け回る。迷いが逆立ちする。余計なことばかり考えている。

物語・音楽・ダンス・食事・サウナ。

それが今の僕の興味範囲だ。
(本当はもう少しある)

ずっととりとめのないことばかりやっているなと思っていたけれど、結局のところ、人を取り巻く原始的な文化に僕は興味があるのかもしれない。世界をよくしていくのは小難しいことじゃなくて、もっと身近な、ふだんから接せられるものじゃないの?と。

べつに原始時代に遡ろうってわけじゃない。暖かいお家は大好きだ。ビバ・文明。だけど、日々を生きること。人と接し、音に身を任せ、美味しいものを食べて、ゆっくり休んで明日を迎える。日常を大切に、丁寧に生きることを今日から始める。続ける。点で幸せにするだけじゃない。生活という側面から、面で幸せにする

そんなアプローチが自分と身の回りの人と、ゆくゆくは世界をよくしていくんじゃないかって、そんな気持ち。

Grazie per leggere. Ci vediamo. 読んでくれてありがとう。また会おう!