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自分と関わる人が豊かに、幸せに生きていくことを祈っている

他者と心地よい関係を築きたい、という願いがある。

一方で、ありのままの自分は他者から拒絶されるというセルフイメージが表層的に存在する。
幼少時のものか、恐れの起源は定かではない。
いずれにせよ、迂闊に外に出ていくと思いもしない反応に出会うことを学習した。
他者と関わることに関して消極的になった。
外界の物事に対する感性も引っ込みがちになった。
感じられないのではなく、感じていることを自覚しなくなる。

今、
ここで、
自分が感じていることに、気づかない。
と同時に、外界に対する内なる意思にも鈍感になる。

こころとからだに時差が生じる。
受け取って、咀嚼して、表現するまで。
外界とのやり取りが遅くなり、
内なる意思も置いてけぼりになる。
内外の時差が緊張という形で現れる。
他者と心地よい関係を築きたかったはずなのに、逆の結果を引き起こす。
引き起こしてきた。

最近は、自分と関わる人が豊かに、幸せに生きていくことを願うようにしている。
たとえ自分との関係が良好でなくても、
自分の目の届かないところであっても、
相手の人生が豊かであるなら、
その周囲の人々の人生も豊かであり、
巡り巡って自分の人生も豊かになると信じている。
自らの幸せは他者の幸せであり、
他者の幸せは自分の幸せである。
その先に「己から見たときの」他者との心地よい関係がある。

すべての人とわかり合えるといったものでない。
各自が居心地良い暮らしを作り続けた先にあるもの。
自分との関わりの有無によらないもの。
自分と関わるすべての人の幸せを祈って生きている。

「どうやって人を愛するか」ってテーマをずっと考えていて、最近は「人の幸せを祈る」ことから始めよう、と思い立って、何かをする前に相手の幸せを心から祈るようにしている。

後半は理想を描いている途中だなーという感じ。ちょっと、くすぐったい。

Grazie per leggere. Ci vediamo. 読んでくれてありがとう。また会おう!