「トランス男性はなぜ主張しないんですか?」

こんばんは。ひとりで生牡蠣を食べています。ぷりぷり。


ひとりなのはトランスの事情を誰も知らない引越し先に来て半年間未だに友だちがいないからですし、生牡蠣を好むのは男性ホルモン(亜鉛)だからです。


周囲では女性客2人が食事をしていて、隣の男性客が「童貞でも大丈夫ですかっ?」と唾を飛ばしています。自分も女性ひとりと認識されていたら、過去にそうだったのと同様にダル絡みされていたかもしれません。せっせと男性ホルモン(生牡蠣)摂取したいだけなのに。

酒は飲みません。遺伝のおかげか、元々とんでもなくお酒に弱いです。ということは肝臓も弱いのでしょうか。ホルモン治療をしたら、文字通り“のたうち回り”ました。ホルモンバランスを変えることが身体に合っていなかった自覚はありますが、かといって変わらないわけにはいきませんでした。(女性の身体として)健康ですよ!と医者に褒められるよりも、ボロボロでも男性に近づきたかった。少しでも、男性に近い何か、になりたかった。

さて、帰宅したらプロテイン飲んで筋トレかな。引っ越してすぐ、冷蔵庫や洗濯機を買い揃えるより先にダンベルとベンチとマットを購入したら、あとで親に呆れられました。


そんな生活です。

オペ代を貯めるのに必死だったので、外食するのは珍しいですが。

率直に言って、何もしなくても違和感なく「男性」でいられる人は羨ましいです。性欲の噴出先(性器のことですよ)も適切なところにあるのでしょうか。その感覚はわかりませんが。



自分自身には「自分は男性だ」という確固たる性自認なるものはよくわかりません。多分、ないのだと思います。放っといたら男性みたいに育っていたはずの子を、無理やり「あなたは女の子なんだから」と強制して過ごさせたら、自分みたいな”性別不適合者”が誕生したということなんでしょう。未だにバグっているのかもしれない。この身体はちゃんと主体だろうか?日常の主人公は自分だろうか?

だから #トランス男性は男性です と、自分ごととしてはうまく言えません。

とはいえ、「トランス(して)男性(として分類され生活している人)は男性です」という事情の当事者ではあります。それは事実です。だから性自認抜きで「どのように日常生活が回っているか」は自分個人の話として語ることが可能です。

(基本的にGIDは生涯揺るがない性自認があることが前提ですから、自分のことは置いておいて、性自認の点でもトランス男性は男性ですし、トランス女性は女性です。性別を取り違えることは差別です。)


ところが、そうした事情を無視して、
極めてトンチンカンなことを当事者に突きつけている人たちをお見かけします。

トランス女性への排除的な流れがあるとき、「トランス男性はなぜ男性スペースをめぐってシス男性に対して声をあげないのか?」ってのも聞きますね。
「トランス女性は女性スペースのことでシス女性に対して声をあげている(風に、部外者が騒ぎ立てていることの方が多い)のに」と続くわけです。あるいは、そっちが起点です。

なぜって。
別に騒ぐ必要がないから。しれっと生活しているからです。

(トランス女性当事者も同じことをずっと、ずっと伝えているはずなのに、その通り聞けないのはなぜでしょうか?)


身体状況やパス度によって、男女2つに分かれたスペースを使い分ける時期はあります。そうでないと他者に性別のことをごちゃごちゃ並べ立てられるのは面倒ですしね。

比較的外見への効果が出やすいとされる男性ホルモンとはいえ、一般的には変わらない、変えられない点もあります。手術をしなければいつまでも男性として通用しない部分(胸)は確かにありますし、それすらも確実でない場合(ペニスは生えない、身長はほぼ伸びない)もあります。

自分は広い風呂に入りたいし、通学に便利な土地に住みたかっただけです。普通に生活したかっただけです。そうしたら行き先が女湯だったり、女子寮だったりしました。

(自分はずっと帰る家がない迷子のような感覚で、夜どこにも帰れない心情で一晩中外にいたり、安い店で疲弊するまでやり過ごしていたこともあります。ヘテロセクシュアルな恋愛や性愛をベースとして女湯や女子寮が羨ましいと仰る人がいたら、落ち着く場所で仲間同士談笑していたという男子部屋の方がよほど気楽で羨ましく思います。)

ジムに通いたいのですが、それは胸オペが終わってからの予定です。胸があると動くとき邪魔ですし、普段ブラやナベシャツなしでも隠せるほどとはいえ(筋トレで2カップ相当縮めた)、ぴちぴちの服で運動するのはさすがに無理です。手続きでまた配慮を申し出なければならないでしょうし。

男(に近い何か)なら男性スペースに行け!とこの状態で言われても困ります。こちらだけでなく、きっとあなたも困ります。

男子トイレにいたらおじいちゃんが腰を抜かしそうになってキョロキョロしていた時期なんかも、僅かながらありました。男性側へ行けそうな場面では行っていますし、そうでない場面では女性側にいます。ちなみに男性ホルモン注射を打っているのは「女性クリニック」と名のつく婦人科です。
困らない身体が最初からあれば解決なのに、それがなかったのです。また公的手続きでは、性別欄で何やら裏でざわついていて、余分に時間がかかります。


生活から離れて、Twitter上の声を拾ってみたいと思います。

「トランス女性は男だから出てけ!」という主張の対比として、「トランス男性は女だから」レズビアンバーや女性フロアにいていい、というコメントもありました。
(これについてはターフ内部で殴り合っていただくのがちょうどいいシロモノですが。だって、“女性専用スペースに男は来るな”なんでしょ?)

レズビアンコミュニティにお世話になった現トランス男性の立場として、そうした当事者の連続性があり得るのは事実ですが、状況を一切無視してただ「トランス女性を女性枠から排除するためだけに」トランス男性を駆り出すのは、迷惑です。

というか、自分は手術するまで(あるいは戸籍変更するまで?一生??)遠慮せず女湯に通ってもいいのでしょうか?胸や性器が女性寄りだからといって、全体的にそうでないのであれば迷惑になるかと思って自粛しているのですが。ジロジロ見ないでほしいです。

通っていたLバーも、自分はもはや招かれざる客だろうと思って行っていません。特に男だ女だと騒がれなければ、またお世話になった方々に会いたいのですが。

行ったら結局「トランス男性は男だ!(少なくとも女ではない)」ということが明らかになるだけかと思います。控えるようになって、また状況を見て新しい別の環境に足を踏み出すわけです。かつて親しかった人たちには歓迎されなくなります。自然と。

前述しましたが、自分は「女性」だとも「トランス男性」だとも認識されないために、多方面の人たちと縁を切って、新しい土地に移りました。そこでは自然に「男性」、あるいは性別問わず「ただの人」になれているようです。足を引っ張るマイナス要素が削がれていって、ようやくスタート地点に近づけたでしょうか。そう信じていいのでしょうか。


また不愉快なコメントを見かけます。
トランス女性はシス女性と違って生理も妊娠もないからズルイ。女じゃない
生理も妊娠もないシス女性もいますよとか生理も妊娠もある男性もいますよ、というのは別としても。卑怯ではありませんか。

他者のアイデンティティを削ぐために、当たり前の権利を与えないために、その発言が必要ですか?


長らく女性の権利にまつわる運動は、女性の身体を男性中心の世界から女性自身のものへ取り戻すために行われてきた歴史はあります。それはそれとして大切なことです。避妊も中絶も命に関わりますから。

そして、女性をかたどる要素はそれ(話題にされてきた身体の箇所)だけではない、と認識が追加されるようになりましたね。正確には、今までも存在していたのにいないものとされていた、トランスジェンダーの存在が周知されていきました。別にそれまであった“女性”の芽を摘み取るわけではないのです。侵害でも排除でもない。何が問題なのでしょう。あなた方が送っているのと同じか、全く同一は叶わないにしても近い生活を送ろうとしているだけ。

「トランス女性は生理や妊娠に関して言及できない」からといって強気に出られるのであれば、小声ながらも叫ばせてもらいましょう。生理や妊娠可能性の考慮も、トランスとしての治療も経験してきた身として。


比べるのは無意味です。生理は辛いですね、わかります。

一方で、トランスするのも辛いのです。生理がないなら楽だと思っていませんか?自分で適切なホルモンを作れないんですよ。人工的に身体を変えて、維持しなければ命に関わるのです。あるいは未治療だと、ますます性他認の面で風当たりが強いですし。

もちろん個々人の差はあります。

自分はせっかくの旅先で動けないくらいのしんどさを生理については体験していましたが、ホルモンに関しても注射の周期によってかなり精神が不安定になります。性格変わるレベルです。
男性ホルモンはやる気や性欲など気力を向上させる働きがあるとされていますが、それでも体内で自然には作られず外部の治療に頼るのはなかなかに辛いときがあります。ホルモンに生活が振り回されます。金銭的にも、毎月何千円の出費がずっと続いていきます。

女性ホルモンの影響が強いときは鬱気味になってしまう効果を感じていましたが、トランス女性がその状態を人工的に作り出すということで、二重の意味で辛いのではないかと、対岸からは察しております。

それに口出しして「楽でいいね」は、地獄を知らなすぎる。あなたに何がわかるんだ。

女性なのになぜ身体はそうじゃないんだって、「こんな身体でごめんなさい」って、そんなこと言わせる風潮がいつまで続くのですか。もう傷ついてほしくないし、死んでほしくないです。生きててよかった、ってたまには過去のこと忘れてアホみたいに感じてほしい。

従来の女性を形づくる要素が自身にないことでたくさん心身に負担をかけている相手に、まだ、言うのですか。あなたの辛さを、誰かの辛さをジャッジし、軽視するための道具にしないでください。女子大の入学権利は、本来誰に議論されるまでもなく、あるべきものでした。



トランス女性がやたらめったら批判・差別されるのに比べたら、トランス男性への批判は見える範囲ではそこまで酷くありません(内在しているのは透けて見えますが)。

シス女性は生理が辛い、妊娠が怖い、シス男性は性欲や男の生きづらさを語ってきますが、トランス男性には軒並みそれらが(境遇として)あって、全部経験する(し得る)立場だからこそ辛さマウントが取れない、という可能性はありそうですが。(シス男性に「射精が辛いんだぞっ」とか言われたらその痛みはわかりませんが、「性欲が辛いんだぞっ」には身に覚えがあります。)

無知ゆえに騒ぐ人はそのへんの事情も考慮していないでしょうから、まあ関係ないか!

知ってます!叩けそうなところを叩きたいだけだもんね!

「なぜ主張しないんですか?」も何も、
(男性社会を変えるためのマスキュリズムやエンパワーメントが欠如していることは問題ですが、こと日常の男性スペースに関しては)別に言わなくても過ごせているし、

他方トランス女性を見れば、主張しても聞き入れない人は聞き入れていません。

一体何の意味があるのでしょう?


補足。 トランス女性に対して「ではトランス男性はどうなんだ」と問い詰める人を見ると、エスニックカレー店でバイトしていたときに「この店、カレーしか扱ってないんですか?」と尋ねてきたお客さんを思い出します。看板あるのに、入り口、違いますよ。


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