大洪水
『メキシコの神話伝説』より
あるとき、大雨がいつまでいつまでも降り続いた。やがて地上に大洪水が起こって、高い山も水の底に沈んでしまった。洪水はいつまでも引かないで、五十二度も春を迎えた。大地の上の人間はたいてい溺れ死んでしまった。 と、ある日チトラカフアン神が、ナタという男と、ネナという女の許に現れた。二人はそのとき一生懸命になって飲み物をこしらえていた。チトラカフアン神は、二人に向かって、
「飲み物などこしらえている場合ではない。一刻も早く大きないと杉の幹をくりぬいて、船をこしらえるがよい。今に水量が増して、大空を浸さんばかりになるから」
と告げ知らせた。
夫婦のものは、驚き騒いで、大急ぎで大きないと杉の幹をくりぬいて、一艘の船をこしらえた。そしてその中に入り込むと、チトラカフアン神は、船の戸を閉じてやりながら、
「ナタよ、そなたはただ一本の玉蜀黍の穂を食べていなくてはならぬ。そなたの妻のネナもまたそうするのじゃ」 といった。二人は神の教えに従って、ひたすら玉蜀黍の穂を食べていた。そのうちに穂がなくなってしまった。ふと黄がつくと、いつの間にか洪水が退いてしまって、残りの浅い水に沢山の魚が泳ぎ回っていた。二人は大喜びで船から飛び出して魚を捕らえた。そして木をこすり合わせて火をこしらえて、それを炙っていた。と、天にいるシタリニクェという神と、シタラトナックという神とが、ふと下界を眺め下ろして、
「おや、どうしたのじゃ、あの火は?」
「なぜ人間どもはこんなに天界を煙らすのだろう」
といった。それを聞くと、チトラカフアン神がすぐに人間界に降りて来て、ナタとネナとに向かって、
「この火はどうしたのじゃ」
と詰った。二人は恐る恐る、
「魚を炙って食べようと思っているところでございます」
と答えた。と、チトラカフアン神は、
「神々に捧げ物をしないで、食べ物を口にしてはいけない」
といいながら、魚をつかんで、尻尾と頭をひねくり回して犬にしてしまった。夫婦のものは恐れ入って、すぐに空なる神々に捧げ物をした。
二人は多くの子を産んで、新しい人類の始祖となった。
『Leyenda de los soles (太陽の伝説)』より
この太陽は「4の水」と名付けられる。そして52年間水の中にあった。
第4の時代、「4の水」の太陽の時代は676年続いたが、その時代に生きていた人々は溺死させられ、魚に変わった。
天が落ちてきて、彼らはたった1日で滅ぼされた。
この時代の人々は「4の花」を食べていた。それが彼らの食物であった。
彼らが滅ぼされたのは「1の家」の年の「4の水」の印の日であった。山々は全て姿を消してしまった。
そして水は52年間満ちていた。
彼らの時代が終わる時、ティトラカワンはタタと呼ばれる者とその妻ネネとに命令を与えた。「そんな仕事はおいておけ。大きな糸杉の木をくり抜け、そしてトソストリの月に空が落ちてくるから、その中に入っていろ」とティトラカワンはタタとネネに言った。
そこでタタとネネは糸杉の木の中に入った。ティトラカワンは彼らを木の中に封印して言った「お前はこれらのトウモロコシのうちただ1粒だけ食べねばならない。お前の妻もまたただ1粒しか食べねばならない」。さて、彼らがそれを食べ尽くしてしまった時、彼らは浅瀬に乗り上げた。
水が引いていく音が聞こえ、丸太は動きを止めた。その時丸太が開き、タタとネネは魚を見た。彼らは火を熾し彼ら自身のために魚を焼いた。
その時シトラリニクエとシトララトナクの2神が下界を見て言った「神々よ、誰が火を燃やしているのだ? 誰が天を煙らせているのだ?」。
そしてティトラカワンことテスカトリポカが降りてきてタタとネネを叱りつけた「何をしているのだ、タタ? お前たちは一体何をしているのだ?」
それから彼は2人の首を切り落として尻に付け、彼らを犬に変えてしまった。
解説
『チマルポポカ絵文書』を構成する文書の1つ『太陽の伝説』に収録された、第4の太陽(時代)が滅びた際の話です。
『メキシコの神話伝説』『マヤ・インカ神話伝説集』版ではラストが異なり、「ティトラカワン神は、「神々に捧げ物をしないで、食物を口にしてはいけない」といいながら、魚を掴んで、尻尾と頭とをひねくり回して犬にしてしまった。夫婦のものは恐れ入って、すぐに空にいる神々に捧げ物をした。二人は多くの子を産んで、新しい人類の始祖になった」となっていますが、それは編者松村のアレンジであり、本来の伝承とは違うものです。松村が参考にしたであろうスペンスの『メキシコとペルーの神話』の「The Mexican Noah」では「And seizing the fishes he moulded their hinder parts and changed their heads, and they were at once transformed into dogs」とありました。松村は「they」は「Nata and his wife Nena」ではなく「the fishes」を指すと解釈したのでしょうか?(ところで、夫婦の名前は「タタとネネ」なのか「ナタとネナ」なのかという疑問も起きましたが、この『太陽の伝説』の訳に使用している本『Hystory and Mythology of the Aztecs』の注によれば、ナタと書かれていたけれどタタと読むのが正しいようです)
とまれ、「they」の指示する対象が何であるにせよ、「夫婦のものは恐れ入って、すぐに空にいる神々にささげものをした。二人は多くの子を産んで、新しい人類の始祖になった」という記述は『アステカの歴史と神話』にも『メキシコとペルーの神話』にもありませんでした。いったいどこから出てきたのか……と考えていると、スペンスがつけた「The Mexican Noah」という表題が目に入りました。つまり、「メキシコのノア」というところから、「洪水を生き延びて新たな人類の始祖になった人」という連想が働き、そういう展開を付け加えたんじゃないかということです。私が見たところ、「メキシコのノア」とは単に「洪水を生き延びた人」という意味であって、「新たな人類の始祖」という要素は含まれないんじゃないかと思うんですが。
それから、細かいことですが、ティトラカワンがタタとネネに渡したトウモロコシについて、1本の穂だけ食べるように言ったと訳している本は『メキシコの神話伝説』以外にもあります。しかし、『太陽の伝説』原文では「çan çentetl in ticcuaz in tlaolli」で、tlaolliとは乾燥したトウモロコシの粒のことです。乾燥したトウモロコシの穂centliではないので、1本の穂ではなく1粒とする方が正確です。