JOG(1074) 日本国憲法の「不都合な真実」
その特異な素性と、無改正期間の世界記録更新中という真実は隠すべきではない。
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■1.日本国憲法の制定
日本国憲法は外国軍隊が占領中に制定されたという世界史上でも特異な素性を持っているが、制定の経緯について東京書籍版(東書)はこう記述する。
育鵬社版の説明はもう少し精しく、内容も異なっている。
■2.占領軍による徹底した検閲
東書では、「日本は軍国主義を捨て,平和で民主的な政府を作ることになりました」というが、誰が「軍国主義」だと判断して、「平和で民主的な政府を作る」と決めたのか、主語がぼやかしてある。
この点、育鵬は主語が「連合国」である事を明確にしている。その「徹底した占領政策」の一環として、「検閲を受けた出版物」と題し、新聞紙面上に荒々しく指示の書き込まれた写真の下でこう説明している。
占領中の検閲の実態は、江藤淳による労作で明らかにされている[a]。それはわが国歴史上かつてなかった規模で、日本人5千人を含む体制で、毎月400万通の私信、350万通の電信を検閲し、2万5千回の電話の盗聴を行っていた。
さらに日本で発行されるすべての新聞、雑誌、図書、ラジオ、選挙演説などの事前検閲を行い、内容の修正削除を命じたり、時には発行禁止処分を行っていた。
たとえば、朝日新聞は昭和20(1945)年9月18日から48時間の発行停止処分を受けたが、その理由は占領軍兵士による暴行事件を報道したこと、原爆、民間人への無差別空襲、病院船攻撃などの米軍による戦争犯罪に触れた記事が原因だった。発行停止処分の後、朝日新聞の論調は180度急旋回して、占領軍べったりに変わった。
日本国憲法は、このように言論の自由も、公正な報道もないなかで、占領軍によって押しつけられたものだった。
■3.「自ら1週間で憲法草案を作成」
東書は、新憲法制定について、こう記述する。
日本政府による憲法改正案は「天皇主権を維持していたため」「民主化が不十分である」とGHQが判断したとされているが、ここで「天皇主権」を再び持ち出し、それが「民主化」の逆であるかのように指摘する。「天皇主権」なる言葉のおかしさは[b]で述べた。
一方、育鵬の描く過程は、これまた、もう少し込み入っている。
育鵬は憲法草案の英語原文を写真で示して、次のように説明する。
しかし、GHQがなぜ草案を自ら1週間で急いで作ったのか、という点での説明がもう少し欲しい処だ。その理由は数週間以内に、GHQをチェックする権限を持つ極東委員会が発足する予定となっており、その中でソ連代表が強行に天皇制廃止を要求してくると予想されていたからだ。
マッカーサーとしては、そんな事になれば、日本各地で叛乱が起きて、占領統治自体が頓挫することは目に見えていた。そこで、極東委員会が発足するまえに、天皇を象徴とする「民主的」な新憲法を世界に発表して、ソ連の動きを封じてしまおうと考えたのである。[c]
■4.「あとのことはすべて犠牲にしていい」
しかし、憲法には素人ばかりのGHQ民政局のスタッフが1週間で憲法草案を作ることには無理があった。たとえば「貴族制度廃止で貴族院はなくなるので一院制にする」という原案に対しては、日本側から「二院制は議会多数派の独走に対するチェック・アンド・バランスとして必要だ」という基本知識を講義される始末であった。
またGHQ民生局にはニューディーラー(アメリカの左翼)が多く、「土地および一切の天然資源の所有権は国家に帰属し」などという条項があって、日本側を社会主義憲法かと驚かせた。この条項も日本側の反対で、削除された。
東書は「民主化が不十分であるとして自ら草案を作成し」と書くが、これらの逸話だけでも、GHQ民政局が「民主化の先生」であったはずがない事が判る。マッカーサーとしては「民主化憲法の制定」という既成事実を作ってしまい、欧米世論に天皇訴追を諦めさせるだけの説得ができれば良かった。マッカーサー自身は次のように語っている。
占領が終われば、日本人はさっさと自主憲法を作ってしまうだろうから、とりあえず天皇訴追という最悪自体を避けられれば、それで十分とマッカーサーは考えていた。この思いは当時、首相だった幣原も共有していた。こう語っている。
■5.「余りに”ユートピア"的」
育鵬は「日本国憲法は戦後の政治原理として国内はもちろん,国外にも広く受け入れられました」と結ぶが、この一文はいかにも「とってつけた」ようで、文科省の検定意見でやむなく入れさせられたかのように見える。
実際には、日本政府が発表した新憲法草案に対して、次のように酷評したアメリカの新聞もあった。
「日本の現実から生まれた思想がない」というのも当然の指摘で、たとえば前文はアメリカ独立宣言、合衆国憲法、リンカーンのゲティスバークにおける演説などの切り貼りである。素人集団が一週間で作ったのだから、それも仕方がないが、マッカーサーが「日本はアメリカのような民主国家に生まれ変わる」と欧米世論を説得するには、分かりやすい手法だったろう。
■6.押しつけ憲法無効論
このような日本国憲法の怪しげな素性は、「占領下に押しつけられた憲法は無効である」との「押しつけ憲法無効論」を生む余地を作った。たとえば、占領軍が占領地の法律を改変することを禁じたハーグ陸戦条約違反である、などの指摘がある。
東書で、以下のように、さも日本国が自主的に憲法制定をしたかのように精しく書いているのは、こうした無効論を牽制するためであろう。
しかし、いくら日本の帝国議会が審議・可決したとは言え、マッカーサー自身が言うように、占領軍が「日本人の胸元に、銃剣を突きつけて受諾させた憲法」では自主制定とは言えない。
ただ、東書の記述の最大の問題は、制定過程の史実をきちんと伝えずに、さも、日本側が自由な議論を通じ、自らの主体的判断で憲法を制定したかのような仮構を描いていることである。
これは、「GHQが日本国憲法の起草において果たした役割への言及も禁止」した意向に今でも沿っていることになる。憲法をどうするか、という問題は、日本国の「公民」としての最重要の課題なのであるから、その制定過程の真実を教えない、という姿勢は、日本国の公民を育てる目的にそぐわない。
■7.日本国憲法、「無改正期間」において世界記録を更新中
押しつけ憲法無効論とともに、公民として知っておくべきは、「法定追認」説であろう。これは民法125条で示されているように「たとえ脅迫による契約であっても、文句も言わずに履行していたら追認したものと見なす」という考え方である。
これによると、たとえ押しつけによる無効な憲法であっても、独立して文句を言える状態になっても、そのまま守っていれば、その憲法を追認したことになる。
当座しのぎの「民主」憲法を即席ででっち上げて、ソ連などからの天皇訴追をかわすというマッカーサーの戦術は成功した。しかし、彼の見通しが間違っていた点が一つだけあった。「銃剣を突きつけて受諾させた憲法」は占領が終わればすぐに改訂されるだろうとの読みに反して、日本国憲法は現在まで70年以上も手つかずのまま残された。
憲法学者の西修・駒沢大学教授は、戦後40年近く経った昭和60年頃に、民生局で憲法起草にあたった人々にインタビューを行ったが、彼らの大半は、自分たちが短時間で十分な資料もないまま作り上げた日本国憲法が、その後一度も改正されていないのを聞いて、驚いたという。[c]
西ドイツは1949年5月の独立と、ほぼ同時に基本法を制定した。憲法と言わないのは、東ドイツとの統一がまだだったからである。そして、その後、50回以上もの改正を行っている。
日本国憲法が制定以来、一度も改正されていないのは、世界でも異例である。現行バージョンだけで考えれば、70年以上も手つかずの日本国憲法はすでに「世界最古」となっており、「無改正期間」において世界記録を更新中なのである。[d]
立憲政治をするためには、憲法で現実に合わなくなった部分を改良し、かつ、環境保護など新しい考え方に合わせて進化させていく努力が不可欠である。押しつけ憲法を押し頂き、なおかつ金科玉条の如く守っていくのは、立憲政治としては真に未熟な姿なのである。
マッカーサーは「日本人は12歳」と言ったが、少なくとも憲法に関する限り、これは当たっている。だからこそ、中学の公民の授業で、この「不都合な真実」を学ばなければならない。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(098) 忘れさせられた事
戦後、占領軍によって日本史上最大の言論検閲が行われた。
【リンク工事中】
b.
c.
d.
■参考■
(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
1. 『新編新しい社会公民 [平成28年度採用]』、東京書籍、H27
2. 『新編新しいみんなの公民 [平成28年度採用] 』、育鵬社、H27
■おたより■
■伊勢雅臣より
「九条教信者」の中には、「平和や人類愛をプロパガンダとして利用」する情報戦にやられて「思考停止状態」に陥った人々と、日本が自衛力を高めては不都合な国のために、意図的にそのような情報戦を仕掛けている工作員がいると考えられます。
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