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JOG(526) 御手洗富士夫の和魂洋才経営

「日本人の魂である終身雇用を育てることが、競争力の源泉」


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■1.経団連会長が説いた「愛国心」■

 平成18(2006)年6月24日、経団連(日本経済団体連合会)会長に就任した御手洗富士夫(みたらいふじお)キヤノン会長は、その就任挨拶の中で「愛国心」の大切さを訴えた。

 愛国心があればこそ、他人の気持ちや痛みを理解でき、他国を尊重する態度も生まれる。福沢諭吉翁は「苟(いやしく)も愛国の意あらん者は、官私を問わず先(ま)ず自己の独立を謀(はか)り、余力あらば他人の独立を助け成すべし」と説いている。私は、真の愛国心は排外主義や軍国主義とは全く無縁なものであり、社会人、国際人の精神的なよりどころとして、幼いときから育むべき重要な心であると、確信している。[1,p226]

 経団連会長は「財界総理」とも言われるが、その財界総理が「愛国心」の大切さを説くのはお門違いでは、という印象を持った人もいるだろう。しかし、そこには御手洗が、キヤノンを超優良企業に育て上げた経営哲学が息づいているように見える。

■2.事業撤退と終身雇用制■

 まず御手洗の経営でキヤノンがどう変貌したのが、数字で見てみよう。氏が社長に就任した平成7(1995)年からの10年間に、連結売上高は約2兆900億円から3兆7500億円へと1.8倍に成長した。当期純利益は500億円強から3800億円と8倍近くにも拡大。御手洗はキヤノンを日本を代表する超優良ハイテク企業に育て上げたのである。

 御手洗が社長に就任して最初に取り組んだのが、赤字事業からの撤退だった。パソコン、液晶ディスプレー、ワープロ、電子タイプライター、光磁気ディスク、光カード、液晶カラーフィルターと、立て続けに7つの事業から撤退している。この結果、約730億円の売上げを失ったが、約280億円の赤字も解消した。

 こういうドライな赤字事業切り捨ては、米国企業の得意とするところだ。事業撤退とともに不要となった従業員を大量解雇したり、あるいは従業員ごと他社に事業売却することも厭わない。終身雇用を基本とする日本企業では、こういうドライな赤字事業整理はなかなかできない。従業員を首にできないから、赤字事業をずるずると続け、その結果、企業全体の業績も足を引っ張られる、というのが、日本企業によく見られるパターンである。

 しかし御手洗は終身雇用を維持したまま、事業撤退を敢行した。そこに独特の経営哲学がある。■3.討ち死にするまで会社を動かないのが、日本人が持つ文化■

 御手洗は言う。

 日本人はキヤノン藩、日立藩とかいう意識があって、討ち死にするまで会社を動かない。これは日本人が持つ文化だと思う。なぜかというと誇りを持って入社してくるからだ。会社が好き。だから会社間を歩き回らない。終身雇用でつくり上げた運命共同体。その運命共同体に属する社員が、当事者意識を持って自分がやらねば、と思ったときは強い。会社が少々傾いても、給料カットされても、優秀な人材が逃げない。これが日本の特性だ。[2,p140]

 終身雇用は日本人の魂だと思う。アジアにもない。中国にもない。米国にも、欧州にもない摩訶不思議な文化。むしろこれを育てることが競争力の源泉ではないかと主張したい。[2,p140]

「キヤノン藩士」の好例が、パソコン事業撤退の当事者・川端洋一である。川端はカリフォルニアでパソコンの心臓部となる演算回路などを開発・設計するキヤノンの100%子会社の責任者だった。その事業は、マイクロソフト・インテル陣営には属していなかったため、敗色濃厚であった。御手洗氏は現地の責任者である川端洋一に、「ともかく日本人部隊は戻ってこい」と厳命を下した。

 米国に派遣されていた社員は、現地に腰を落ち着けてパソコン事業に取り組む覚悟でいたため、帰国命令に誰もが反対した。悔しさのあまりうっすらと涙を浮かべる者までいた。川端は「自分の方が泣きたいくらいだった」と言う。

 しかし川端の懸命の説得で、結局は全員が帰国に同意した。現地会社は米半導体大手・モトローラに売却されることになり、米国人スタッフの多くはそのままモトローラに移籍した。

■4.「和魂」と「洋才」■

 川端は帰国後、一緒に戻った10人の部下と共に商品開発本部に配属された。しかし半年ほどは虚脱感から抜け出せず、次に何をしたらよいのか分からなかった。

 やがて周囲の人たちと話していると、川端らの専門とする演算回路設計が役立ちそうな分野が見えてきた。当時、複写機の事業部は、ネットワークを通じた文書配信や内蔵ハードディスクへの大量文書蓄積などの多彩な機能を持つディジタル複写機を開発していた。川端のグループは、様々な制御機能を埋め込んだ半導体チップを開発して、ディジタル複写機のコスト低減、処理速度・信頼性向上を実現した。

 御手洗は「撤退で異動した人たちが皆、会社の中で生きている」と喜ぶ。ある事業から撤退しても、技術者は集中すべき事業で活かす。こうして「終身雇用制」のもとで「事業の選択と集中」を実現している。

 ドライな「事業の選択と集中」はアメリカ企業得意の「洋才」だが、それを「終身雇用」という「和魂」の上で行うという「和魂洋才」が、御手洗の経営である。この組み合わせが、不採算事業を整理し、技術と人材を本業に集中することで、飛躍的な利益の増大をもたらしたのである。

 終身雇用は運命共同体で、だからこそ皆で会社をよくしようという哲学がある。我々マネジメントは、そういう有能な人材を無駄遣いしてはいけない。つまり先のない仕事に優秀な人材を張り付けていてはいけない。その仕事をつぶして、もっと役に立つ仕事に回すことを勇気を持ってしてやらないと大変なことになる。[2,p142]

■5.キヤノンの遺伝子■

 キヤノンの終身雇用は、初代社長の御手洗毅(たけし)の経営哲学が源となっている。

 御手洗毅は、社長に就任した翌年、大戦中の昭和18(1943)年に工員の日給制を廃止し、月給制を導入した。当時は月給で身分保障された「職員」と、日給の請負で働く「工員」とに明確に区別するのが社会全体の常識だった。

 請負制賃金では皆さんの生活が安定しない。病気になったら収入の道が閉ざされてしまう。まじめに働けば安定した生活ができる月給制が従業員の人格を尊重することになる。[1,p161]

 これにより優秀な工員が多数、キヤノンに集まってきて、事業が発展していった。初代社長の残したキヤノンの企業伝統について、御手洗冨士夫はこう評している。

 初代社長の御手洗毅は北海道大学で学んだ自由闊達な精神と医師としての人間尊重主義があり、社員が人生を安定にして幸せに暮らせる会社づくりを理想とした。そうした人間尊重主義がキヤノンの遺伝子として受け継がれている。結核の集団検診、週休二日制や持ち家制度などを時代を先取りして導入した。給与も「キヤノン三分説」といい、利益を会社と株主と従業員とで三等分する方式をとっていた。その一方で、実力主義を重んじた。そういう中で終身雇用による運命共同体意識も育まれた。[1,p145]

■6.ハイテク企業と終身雇用制■

 このキヤノンの遺伝子が、今もハイテク企業の雄として、世界トップ・レベルの技術力を維持している原動力となっている。キヤノンは1987年に米国での特許出願件数でIBMを抜いて、首位に立ち、ここ10年ほどでも、常に上位につけている。この技術開発力の基盤をなしているのが「終身雇用による運命共同体意識」なのである。

 短期間で開発成果を出さなければクビが飛ぶ、というな心配がないから、研究者はじっくりと粘り強く、会社の将来を切り開くような革新的な技術開発にも取り組める。有名なインクジェット・プリンターで使われているバブルジェット方式は、極細のノズルを加熱してインクの滴りを噴射するという独創的な印刷方式だが、開発には5年を要している。

 また、研究者どうしが運命共同体意識のもとで、お互いに助け合う伝統がある。

 インクジェット・プリンターの開発でも、この連帯感が威力を発揮した。インクを噴出するノズルの素材は、光ファイバーの開発部隊が直径0.1ミリのファイバーを中空に加工することによって実現できた。また熱源の方は、別の開発部隊が取り組んでいた電卓の感熱紙印刷用の小型ヒーターの技術が役立った。

 キャノンの技術開発には、「終身雇用による運命共同体意識」の強みがいかんなく発揮されているのである。

■7.「三自の精神」■

 終身雇用制には社員が「ぬるま湯」に浸かって働かなくなってしまう、という批判がある。この欠点は、御手洗も認識している。

 あらゆる制度には欠点がある。確かに終身雇用の制度には社員が安住し、緊張感を失う恐れがある。そこはまず教育で補う。創業以来の行動指針である自発、自治、自覚から成り立つ三自の精神、つまり自己責任の精神を徹底する。私も徹底的にたたき込まれた。これはインターナショナルなものだと思う。[2,p142]

「三自の精神」をたたき込むために、御手洗は次のように社員に説いている。

 そういう意味で、私は、社員教育にたいへん力を入れてきた。とくに、自立した人間を育てようと、創業以来の「三自の精神」(自発・自治・自覚)をたたき込んでいる。たたき込むと言っても、別に、力ずくで押しつけているわけではない。ホームページで、全社員に「会社から何を言われようと、人間としておかしいと思ったら、反対しなさい」と呼びかけ、「私を含め、上司に何か言われて、人間として正しくないと思ったら、反抗しなさい。そうした自立した人間になりなさい」と繰り返しているだけだ。[1,p83]

 こういう自立した人間とは、あたかも武士を思わせる。キヤノン藩の藩士一人一人がこうした自発・自治・自覚の精神で立ち、その上で「終身雇用による運命共同体意識」で連帯する。そんな会社が強くならない訳がない。

■8.真の国際人とは■

 御手洗は昭和41(1966)年に、米国法人でニューヨークに本社のあるキヤノンUSAに赴任、平成元(1989)年にキヤノン本社専務として帰国するまで、23年間も米国で働いてきた。その経験から、御手洗は次のように主張する。

 真の国際人は無国籍者ではない。例えば、日本人出身の国際人、米国人出身の国際人という形をとる。[2,p337]

 自分の生まれ持った血となり、肉となっているものはきちっと持っている。それは本能的なものだと思う。その国の文化とかその国の発想は、自分の血となり、肉となって生まれ持っているものから出てくる先天的なものだ。そのうえで、後天的なものとして知識や教養として外国のことを理解し、外国に行ったら、その国の人間として行動できる人。それが国際人だと思う。[2,p337]

 個人も会社もそうした流儀でいいと思う。私は以上のような意味での国際人として経営をしている。それが私の根本である。[2,p337]

 日本人の血肉である終身雇用を核に、キヤノンは国際的なハイテク企業として経営されているのである。

■9.「きちっとした国家観を持った日本人たれ」■

「国際人たれ」と若い人に求めれば、同時に「国家観を持て」とも言いたい。

 日本人は戦後、明確な「国家観」を持ってこなかった。国家観と言うと、すぐ話を軍国主義に直結させる人やメディアが多いが、そういうものではない。世界のあらゆる国が、その国特有の文化や伝統、発想や行動様式、商習慣や社会習慣、法律や社会常識などを持っている。日本のそうしたものを、きちんと理解することが国家観だ、と思う。国際社会の中で、日本人が一流の国際人として存在するためには、まず、きちっとした国家観を持った日本人たれ、と言いたい。[1,p99]

「終身雇用による運命共同体意識」は、日本の文化伝統の一大特長である。キヤノンはそれを自覚し、徹底的に育てたことで、強い企業となった。

 同じ事は国家レベルで言える。経団連会長の就任挨拶で御手洗は「愛国の意あらん者は、官私を問わず先(ま)ず自己の独立を謀(はか)り」という福沢諭吉の言葉を御手洗は引用した。

 自立した国民一人一人が愛国心をもって運命共同体としての国家を愛し、連帯する。それが「強いニッポン」への出発点なのである。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(130) 上杉鷹山~ケネディ大統領が尊敬した政治家~


b. JOG(379) 文明開化の志士、福沢諭吉


c. JOG(443) 稲盛和夫 ~ 「世のため人のため」の経営哲学


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)

1. 御手洗富士夫『強いニッポン』★★★、朝日新書、H18

2. 日本経済新聞社編『キヤノン式』★★★、日経ビジネス文庫、

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■「御手洗富士夫の和魂洋才経営」に寄せられたおたより

悦子さんより

 今日はゆっくり拝見させていただきました。とっても嬉しい読み物でした。

 御手洗さんがどのように立派な方かよくわかりました。すばらしいですね。終身雇用制を守ることのできる信念と度量を持っておられる御手洗さんの実績が、きっと多くの企業のお手本になることでしょう。このようなすばらしい会長さんを持っている経団連もきっと変化していくことでしょう。本物の考えですものね。

 日本が世界に発信して世界を救うことのできるものはたくさんあると思いますが、その一つが終身雇用制だと思います。といっても、国柄が違うと実行は難しいでしょうけれど。日本という国がお百姓など働く人々をおおみたからとして大切にする国であったから生まれた制度だと思います。日本の企業はこの制度を誇りに思ってすばらしい経営をしていただきたいと思います。

 日本という国は伝統を尊んでよい成果を挙げ、世界に希望を与えることができると思います。そのためにはやはり教育ですよね。三自の精神はわかりやすくてすばらしいですね。自発・自治・自覚を身につけた自己責任がとれる社員さんたちは、間違いなく立派な仕事ができると思いますし、それは、生き方であるわけですから、社員さんたちは退職されて後も幸せな人生を生きていかれるように感じます。

 お金をもうけるだけでなく、人を育てる企業が増えてほしいです。人を物のように安く使って不要になったら捨てると言う考えでは決して日本は発展しないと思います。使い捨てでは信頼が育ちませんから。やはり愛情ですよね。愛国心を語ることのできる御手洗さんが持っておられる深い人間への愛情に心打たれました。良い出会いをありがとうございました。

■ 編集長・伊勢雅臣より

「国づくり」は「人づくり」からですね。

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