消極的だったKindle出版への挑戦を決めた(note開設1周年)
今日でnoteの開設が1周年になるらしい。新しいチャレンジをしている自分としては、これも運命だと思った。
私は年内にkindleでエッセイを出版することを決めた。もともとはKindle出版に否定的な私が、なぜ考えを変えたかを今日は綴る。
(1)きっかけは新庄監督
先日、新庄監督の「わいたこら」という本を読んでいた。冒頭、20億円を信頼していた知人から使い込まれるという話から始まる。
知ってはいたが、詳細を読むといろんな衝撃を覚えた。でもその中に知ってホッとしたこともあった。
あんなに元気な人だって、傷ついて、何年もただバリ島で療養のように過ごしていた時間があるのだ。私の中では、休職している自分と重なった。
だけど書籍の中では、これまで逆境の中で挑戦してきた姿がたくさん語られていた。彼はいま、日本ハムファイターズを再生させている一人だ。去年まで最下位だったチームは、別人のように覚醒中でリーグ順位2位をキープしている。有言実行の男ってかっこいい。
読み終わって私は自分自身にふとした疑問が浮かび上がった。最後に何かを挑戦したのは、いつだっただろう。
(2)自分にできることをしよう
会社の中では、職業からいろんな挑戦をしたと思う。しかし、プライベートで何を挑戦したかと言われると、思い当たらなかった。
そこに新庄監督の「自分にあるものに目を向けた」という言葉が目に入った。
私にできること……私が得意なこと……なんだろうと考えた。
よく言われるのは、「優しい」ってこと。でも私は、優しいと言われるたびに「優しくても食っていけないよ」と思っていた。なんなら優しさを利用されることだってあるんだから。
それは一旦置いておいて、文章を書くことは、できる。それから、構成能力は少しある。修士論文は書いたし、会社でもよく説明資料を作っていた。
そしてこうして新庄監督の半生を一冊の本で知ったこと。自分が現在休職中で、人生のターニングポイントであることは間違いないこと。
答えはいつも、自分の中にある。これが私の人生のモットーだ。ヒントはいつもすでに自分の手の中にあると思う。
頭の中の真っ暗なところに、パラパラとキーワードが降りてきた。それが重なり合ったときに、答えが見つかった。
「1つのテーマでエッセイを書いて、Kindle出版しよう」
(3)消極的だったKindle出版
もともKindle出版は、作家になりたいと思った時から夫に薦められていた。今の時代はそうやって作家デビューできるしいいじゃないかと。
でも私は、あまりこの件に対して乗り気ではなかった。
まず、これまでは「小説家」を考えていて「エッセイスト」になろうとは思っていなかったことがベースにある。
そして無名の自分の書いた小説をお金を書いて買ってくれる人がいるわけがないと考えていた。無料でも誰も読まないかもしれない。
この人の書いたものは面白いとか、すごいとか、何かの賞を受賞したとか、第三者の誰かが認めてくれて、初めて「じゃあ読んでみようかな」と思うのが普通だと思う。
しかし、今回は違う考えを持っていた。今考えているのは小説ではなく、エッセイ。
そして「一冊の本」として仕上げることに意味があり、それがしたいと思ったのだ。
エッセイはnoteでも書けるし、書いている。でも一つのテーマで書き下ろしてまとめたかった。
過去の事実は一生変わらない。だったら、ここで一度自分の濃厚な人生を振り返って、自分の未来への突破口を掴みたかった。
そして「私はこうして生きてきた」と名刺代わりになるものを作りたかった。
だからnoteの有料記事でも、無料記事でもダメ。確かにマガジン機能はあるけど、離脱できてしまう。
そうじゃなくて、人様の本棚にすっといれてもらって、気が向いたときに読んでもらいたい。
そして、最初から最後までのエピソードを持って、勇気や希望を与えられたらいいなと思う。
(4)回り道したけど、やり遂げる
知人たちに自分の人生のエピソードをいくつか言った結果、以前noteで公開した16歳の時のアメリカ留学奮闘記の他のエピソードが読みたいという声が多かったので、テーマはそれにした。
いま実際に執筆しているが、小説を書いているときより圧倒的に文章のリズムがいい。
正直、文学的な文章を書くのは得意ではない。勉強しているが、短期間で身につくものではないから苦戦していた。
でもこのエッセイは、まずは応援してくれた知人たちにも読んでもらいたい。知人たちの声を聞いていると「文章を読むのが苦手」という人も多いので、とにかく読みやすく書きたいなと思っている。
文学的な難しい文章は書けないけど、それは自分の得意領域だし、任せて!と思っている。
小説を書くことを諦めたわけではないけど、人には向き不向きがあるよなって改めて思った次第だった。新庄監督の言う通り、自分の得意を伸ばそうと思う。
いま執筆しているが、35歳の今、16歳だったあのころを解釈すると、これまでには考えたことのなかった視点がたくさん出てくる。
例えば、当時の恋愛事情などにも触れていた。今までは「彼のことが当時好きだった」とだけで解釈していとする。
でも結婚した今となっては「あれは蜃気楼で、実は違ったんじゃないの?だって今となってはその熱量を測るものなんてないでしょう」とか、冷めたことを考えたりしまっている。大人になるって面白い。
35歳が見た16歳を一度書いておいて、50歳になったときにまた同じ時期についてエッセイを書いても面白いかもと、とも思った。
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