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マイ・ストーリ−2

前回の続きから・・・

私は次に地元の信用金庫に新卒扱いで入庫するのです。

小学校の時にそろばんを3級まで取ったら銀行員になれるよ!!と誰かから聞いてとりあえず3級は取って辞めようと思い、実際に小六の時に3級に合格した翌日に辞めたのを覚えています。

まぁ何に役に立つのかわかりませんね・・・まさか本当にそろばん3級が必要になったのですから・・・

信用金庫は同期入社が50人位いて皆んなでよく遊んだし、時代も景気が良かったので新入社員の割にボーナスもそこそこ頂いていました。

信用金庫の仕事は銀行とほぼ同じで、入金伝票と出金伝票が1円でも合わなかったら何時まででも残業です。

A型の私に合っていたのか、何千万というお金のやり取りがあり最後にピッタリ合った時の快感が割と心地よかったのです。

自由になるお金で海外旅行にも行き、欲しいものを買ったり飲み歩いたりして

一番青春していた6年間だったと思います。

そして同期の紹介で今の主人を紹介してもらうのです。私は長女で父親からは養子娘と育てられ、自分も嫁ぐというより養子になってもらう人を探していました。

主人は次男でなんやかんやありましたが、私の家に入ってもらえる事になりました。

念願の養子さん!!親孝行出来たと思いました。

そしてすぐに双子を妊娠、出産し(これまたどちらも男の子、さらに親孝行をしたと思いました)

そして育児の為に6年間お世話になった信用金庫を退職しました。その時私は28歳になったばかりでした。

双子の子育ては本当に大変でしたがそこは割愛しますね・・・

2年間子育てしそろそろ社会へ復帰したいと思いはじめ、大好きなインテリアの世界へ進もうと決意するのです。

しかし、タイミング良く母の借りていた美容室の店舗が立ち退きになり母はその時55歳で引退するのは早いし、また借金して店舗を構えるには遅いし、どうしようか迷っていました。

そんな母を見て、私の好きな店舗を作らせてくれるんやったら今から美容師になるわ!!とインテリア熱が高じて全く予期していなかった方向へ笑

1年間猛勉強して

30歳で美容師免許を取得し、5年間美容師の修行へ出ることになりました。

そこからが涙の修行期間となるのです・・・

続く・・・






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