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限りがある。

ルールや規則は何のためにあるのか。
破るためにある!なんて馬鹿なことは言わない(笑)
ルールや規則は、”その組織(場所)をどのような方向に進ませたいか”という発想から生まれる。もちろんこれには作る側と受け入れる側が存在する。
それはまず置いといて。
ルールや規則がなければ”なんでもアリ”の無秩序な状態に陥る。
ルールや規則があるからこそ、いかにその中で最大限にやりたいことをやれるか。”尽きせぬ自由とは、がんじがらめの不自由さの中にある”。
私の好きな某歌手の歌の一節にある。まさにその通りだと思う。


(C)ボンボヤージュ/ボン社

私の大好きなボンさんの作品のひとつ。
これもまさに”限りのある”っていうわかりやすい例だと思う。

1日24時間。
これは今生きている人間なら皆が平等に手にしている唯一のもの、と言っても過言ではない。
一分一秒無駄にするな、とは理想に過ぎないし、そもそも無駄にするとは…そこはとりあえず置いといて。
一分一秒たりとも無駄にせずに味わい尽くす。
目一杯、人生を謳歌していると捉えるか生き急いでいると捉えるかは各々の価値観。

私たちは魔法使いでもなければ自分で自分の寿命を決められるわけでもない。もしかしたらあと1時間後に死んでしまうかもしれない。どんなにいろんなことをしても死ぬ間際になれば”ああ、まだやりたいことがあったなぁ”なんて思うのかもしれない。それは人間がきっと欲深いから、何でしょうか。欲深い、欲張りって悪いことじゃないと思うのです。欲がないと向上心も何も生まれないと思うから。

2007年生まれの現在17歳のコたちの平均寿命は107歳ともいわれている。
17歳。あと、90年(笑)まだまだいろんなことが出来る!と喜ぶよりも落胆したような顔をしたコの方が多かった。まぁ…わからんでもないが(笑)
でもその90年を必ず誰もが全うできるとは限らない。
さっきも言ったようにあと1時間後、もしかしたら死んでしまうかもしれない。そう思ったら一分一秒…たとえ何もしなくても、何かに想いを馳せていたいと思う。ただ無気力にだらだらと過ごすことだけはしたくない。
と、思っていても一分一秒たりとも無駄にせずに全力で生きる、なんてきっと出来る人…いるのかな。いるか。すごいな。居たら、会ってみたい。
どんなに生き生きとした目をしているんだろう。

限りある人生。
でもその終わりがいつ来るのかは神のみぞ知る。
きっと、人間はわがままだから。
終わりがわかってもわからなくても、
全力で生きようと思うときもあれば、
ただ無気力にだらだらと生きてしまうことだってある。

限りや制限があるって、大事なんだ。

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