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許しと赦しとか、今ココとか


この絵を見て、赤と主張する赤井さんと青と主張する青田がいたとする。

赤リンゴしか見たことがない赤井さん。
青田さんに対し、「色の認識を間違えてるか、嘘をついてる」と思い込み、必死に青田さんを訂正しようとする。

青田さんは青田さんで青リンゴの存在しか知らず、赤井さんを訂正せねばと躍起になっている。

ここで、いくら話し合ってもらちがあかないから大目に見てやろうという態度は『許し』

『今ここ』は自分が過去に見た赤リンゴや青リンゴという記憶を通してシルエットのリンゴを見るのでなく、シルエットのリンゴを、ただただシルエットのリンゴと見ること。

そして『赦し』とはリンゴのシルエットはシルエットであり、赤でも青でもない。赤かもしれないし、青かもしれない。もしかしたら青でも赤でもないかもしれない。
そんな意識の拡張から「そもそも青と赤、どちらが正解か?という問題が勘違いだった」と気づくこと。

ただし、ここでひとつ注意事項!
赤と信じてる赤井さん自身や青と信じてる青田さん自身が『赦す』というのは出来ない。なぜなら、自分が信じてるものを自分で赦すなんて出来ないから。
それは靴紐も持って、自分の足を持ち上げようとするようなもの。

だから、聖霊やハイヤーセルフ、宇宙=愛=神(あい)にお願いするというか、ゆだねることが大切になってくる。
仏教でいうところの南無であり、ホ・オポノポノのクリアリング。

これもひとつの例え・方便ではあるのだけど、参考にしていただければ幸いです。

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