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仙台育英と慶應の甲子園決勝戦が本当に素晴らしかった

高校野球が大好きだ。
野球そのもの自体大好きだけど、高校野球は別格に好きだ。
あんなに泣いて笑って全身全霊で何かをするって、スポーツ以外であるんだろうか。多分ある。あるんだろうけど、私はスポーツが最たるものではないかと思っている。
そこに高校3年間という時間の制限があり、球児の皆さんは3年の夏に全てをかけて野球をしている。
私は高校時代野球部のマネージャーをやっていた。真面目とは程遠かったから、あまり大きな声で言うのは失礼な話だけど、私の青春にも野球が確かにあった。

高校生の時から野球が大好きで、今に至るまでずっと大好きなわけだけど、子どもを産んでからは涙腺が異常にバグっているから感動&涙のスイッチのハードルが激低だ。

特に私は夫と両親が東北出身なので、去年仙台育英高校が東北で初めての甲子園優勝校となった時は感動で胸がいっぱいになった。3月11日を背負った東北にとって、明るいニュースの一つ一つに大きな価値がある。それ自体は震災と全然関係なかったとしても、難しい状況を抱えた場所に差す明るさは全てが救いだと思う。

だから仙台育英の監督・選手たちが優勝旗を持って、新幹線に乗り「初めて甲子園の優勝旗が白河の関を越える」ということで、ヘリが福島上空を飛び新幹線の姿を追い続けていたニュースは、もしかしたら野球に興味がある人でも「そこまでする?」と感じたかもしれない。
でも私は、ああこんな日が来るなんて…と涙が出そうになった。

そしてもう一校、気になってたまらない学校があった。慶應だ。
慶應の清原勝児選手が見たかった。
勝児選手のお父さんは元巨人の清原和博選手で、清原さんには、そう、色々あった。執行猶予を終えて試合の解説をしたという記事を読んだ時、本当に嬉しかった。人は間違う。とんでもないミスもする。でも私がまだ子どもで、地上波のテレビで巨人戦が放送されていた頃、清原さんは紛れもなくその時代のスーパースターだった。スターは大きな間違いをして、そしてゆっくりと社会に戻ってきてくれた。
薬物の再犯率は約7割だという。でも戻ってきてくれた。

私は子どもの頃見た、大きなアーチを描いてどこまでも飛んでいく清原選手の打球の感動を覚えているし、世代的にリアルタイムでは見ていないけど、甲子園の時期になると毎年繰り返しテレビで流れるPL学園時代のKKコンビのすごさは言うまでもなく伝説だ。

どんなに引退後色々なことがあったとて、あの感動は消えないし記憶も褪せない。
清原さんの野球人生は決して楽ではなかったと思う。でもきっと勝児選手を通し、巡り巡って清原さんの人生に野球があって良かったんじゃないかと、とても勝手ながら思った。
打席に立つ勝児選手を見て本当に胸がいっぱいになったし、応援せずにはいられなかった。

お父さんが有名すぎるからって、自分のプレーをいちいち父の姿に重ねられるのは不本意だろうし、どこの誰か知らない私のような他人に「ありがとう…甲子園に来てくれて…!お父さんをまた甲子園に連れてきてくれて本当にありがとう…!!」と謎の感謝をされるのは、マジで誰だよ以上の何ものでもないと思う。
あと一応人が見るかもしれないから「勝児選手」と書いているが、実際に家で試合を見ている時は完全に「かつじ」と呼んでいた。「かつじ!ここで一本決めよう!」とか言っていた。マジで誰だよ!

決勝戦、東北の希望・仙台育英と107年ぶりの優勝をかけた慶應の戦いがはじまり、初めは育英を応援していた。育英の選手も慶應の選手も目がキラキラしていた。
育英の監督である須江監督の著書を読んだとき、部活動の野球はこんなに進化しているのかと思った。監督が野球を教えるというよりも、人を育て、一緒に考え黒子のように選手たちを支えていた。「監督がいうメニューをこなす」とは程遠かった。
慶應も坊主ではないことが多々話題になったように、森林監督とともに新しい野球を体現していた。
どちらも時代の新しさを感じ素晴らしく、どちらかだけを応援するなんて出来なくなってきた。
結果的に、慶應が優勝し、弾けるように喜ぶ選手たちの姿を見ると何度でもおめでとうと言いたくなったし、育英の選手が顔をぐしゃぐしゃにしていつまでも涙を流す姿をすると私も悔しい気持ちになった。

本当に素晴らしい試合だったから、きっと同じ気持ちの人は全国にたくさんいたんじゃないだろうか。

勝児選手の一本を見ることは出来なかった。残念だけど親子で甲子園優勝を経験するということ、そしてそれが清原父子であるということは奇跡以外の何ものでもなく感じた。
決勝以外の試合でもそうだったが、代打で勝児選手が呼ばれると、甲子園球場全体が大きな声援に沸いた。その声援の大きさも毎試合後記事になっていた。

きっとみんな同じなのだ。高校時代に清原さんが甲子園で見せた圧倒的な活躍にみんな感動し、それは色褪せず甲子園にずっと焼き付いている。だからその名前が呼ばれたら、彼の過ちも、いろんなネガティブな報道も、全部その感動の記憶に及ばなくなる。

甲子園は清原ためにあるのだ。

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