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最適解製造マシーン「AI」 お前の発言に意味はない

「こんなことで本気で落ち込んだり、(気持ち的に)胃腸が火にかけたシチューみたいにゆっくりボコボコとなるって、おれはまともなのだろうか。」

今の気持ちだ。なぜこんなことになったのかというと、信頼していた人に私が心血を注いで書いた企画書を噂のChatGPTに突っ込まれ、さらにその人はAIが提案した改善点をメールの返信として送ってきた。

大多数の人は何も思わないのかもしれない。ただ、私の「心血」がスーパーニュートラル視点によって勝手に判断され、ニュートラル化をするにはこうした方がいいよと勝手にニュートラル化が良しとされる基準で改善を提案されることに、さらにそれを師と仰いでいた人の口から言われることに、絶望と怒りが禁じ得なかった。

なんだよ、ひどい。文章を書くということは人との意思疎通のためのはず。少なくとも私は信頼のおける人と話す時とか、自分が責任を持ちたい自分の考えを発する時はAIなんてある特定の時空間中の最適解しか出せないくだらないものは使わない。その言葉で「その人」に聞いたのに「AI」で返されてしまった。くやしい。ChatGPTっていう便利なツールがあるよ、つかってみたら?と聞かれるのとは訳が違う。私が信頼していた「その人」が機械に捕食されてしまった感すらある。私のその人に対する気持ちは「その人」に対するものだったけれど、その人は私と会話するのに「その人」を捨て最適解製造マシーン「AI」になってしまった。

身体と空気の境界が若干あいまいな状態(低血糖状態に近い)かつ、みぞおちのちょっと下うねりを感じながら、返信を書き送った。

「いつも助言をくださり、ありがとうございます。もう締め切りが過ぎてしまったので提出はしてしまいましたが、また今回と同じようなポジションに応募する機会があれば考慮させていただきます。
ただ、私はAIからではなく、先生のコメントを聞くためにこの文書を送ったつもりです。また、まだ公開されていない私の言葉をAIの判断材料としてアルゴリズムに溶け込ませることは本意ではないので(注)、私の考えを表現する際にはAIは使っていません。ですから、もし私の言葉をChatGPTに入れてこの回答を生成したのであれば、次からはやめてください。必要であれば自分でやります。 
AIの流行でこのようなことが普通になってきているのかもしれません。もしかしたら、私は古い人間になりつつあるのかもしれませんが、まだこの技術とどう付き合っていくかを考えている段階なので、この技術に全面的に依存する気にはなれません。近い将来、慣れると思いますが、今のところ、私のこのトレンドに対するスタンスは上記の通りです。 いずれにせよ、いつもお世話になりありがとうございます。 」

最適解を否定し、その最適解を得るための代償を最適解よりも価値があるとする私は、現代に生きる人間としてまともなのだろうか。しかし、まともかどうか気になる自分の他にそんな「まとも」は糞食らえと思っている自分もいる。

(注)
OpenAI社によると2023年3月1日からAPI経由でユーザーが入力したデータをモデルの学習や改善に使うことをやめたそうだ。だから、この点における私の怒りはお門違い。反省。
https://openai.com/policies/api-data-usage-policies


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