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SPA!騒動に見る衰退期の先鋭化問題

雑誌が好きすぎて本当は医者よりも編集者になりたかったサブカル産業医・大室正志と、「dマガジン」導入後、そのあまりにも時間泥棒な中毒性に苦悩する朝倉祐介による、内角高めギリギリストライクゾーンを狙った放談企画。
第4回は少し前に話題になった『SPA!』の騒動について、ああだこうだ言っています。
ディスクレーマー:最後まで読んでも、特に得るものはありません。
本稿は「論語と算盤と私とVoicy」の放送に加筆修正した内容です。

(編集:代 麻理子)

サブカル産業医、『SPA!』問題をぶった斬る

朝倉:今回のテーマはなんでしたっけ?

大室:はい。少し前に『SPA!』の“例の記事”が各地でニュースになっていたかと思うんですが、僕も馴染み深い媒体なので、これは触れざるを得ないと。まあこの件に関しては色んな人が色んなことを言うので、もちろん僕の話も一つの見解という感じなんですけれども……。

朝倉:たまに寄稿したりしてますもんね。僕を「渋谷系若き老害」ってディスってる記事とか(笑)

大室:事故やヒューマンエラーの統計的経験則として、「ハインリッヒの法則」というものがあります。「1つの重大事故の背後には29回くらいの軽微な事故があり、その背景には300のヒヤリハット言われるようなヒヤリとするような事態が存在する」というものです。

朝倉:目に見える事故は氷山の一角だということですね。

大室:今回の『SPA!』の件についてもこの法則で言われるような下部構造が背景にあって。逆に言うとあの問題になったスクショと似たようなものは、これまでの『SPA!』の記事だと、ここまでではないにせよ、結構あったんじゃないかと思います。
今回はこういった形で拡散された訳ですが、きっとこれだけじゃない……、というのはまあ、そりゃそうなんだけど……。ここまで大きな炎上というのは色々なことがこのタイミングで重なってしまった部分もあるかと思います。

朝倉:『SPA!』ってコンプライアンス的には結構キワドい内容を攻めている雑誌という印象はありますね。

大室:元々の歴史を紐解くと、『SPA!』って創刊時には(1988年創刊)エッジの効いた若者雑誌というイメージだったんですよね。あと、カルチャー的な文脈もおさえた総合男性誌というか。
例えばDJパトリックというHIVキャリアで日本在住の外国人の方が連載をしていたりと、クラブカルチャーとか『尖った東京の現在』みたいな部分にはかなり目くばせがきいていた印象がある。だからサラリーマンの中でもどちらかというと、ちょっと文化系というか、ちょっと情報感度が高い人が読んでいた雑誌で。だから今でもサブカル系の人はSPA!好きな人が多いんです。

朝倉:そうなんだ。僕はもうちょっと下世話になった『プレイボーイ』というか、大人版『Hot-Dog PRESS』みたいな、そういう印象を持っていました。

大室:ただ創刊当時は20代とか30代だった読者が段々と歳をとっていって、途中から30代後半以降に向けての発信になっていって。まあ雑誌とはそういうものだし、それが悪いとは思わないんですが。
僕、昔一回、クローズドな講演会で「SPA!の見出しにおける、メンタル不調の扱い方」について、金泉さん(当時の『SPA!』編集長。現NewsPicks編集長)と二人で話したことがあって。
週刊誌の特集を過去に渡って調べるのって、その当時の世相を知るのに便利なんです。その時は、『SPA!』の編集部に行って、金泉さんと二人で過去の『SPA!』を全部借りて、全部の表紙をコピーして。例えば創刊の初期の頃は、筋肉少女隊の大槻ケンジさんとムーンライダーズの鈴木慶一さんと精神科医の香山リカさんが「鬱」について語る、みたいな。
なんで、当時は「文化人の嗜み」みたいな論調でメンタル不調が扱われていて。

朝倉:「嗜みとしてのメンタル不調」ですか?

大室:まぁそれは日本に昔からあるじゃないですか。芥川龍之介とか川端康成とか。

朝倉:そうねぇ、文化人たるもの、「ぼんやりとした不安」に悩んでなきゃいけない感がね。やっぱり太宰治とか芥川龍之介とか、眉間にしわ寄せてそうな人が文学少女にはモテるという系譜があるよね。

大室:そう。自殺を考えるような人は医療対応が必要なのは当然なんだけれど、文化系の中では太宰治のような神経質っぽい芸風というのは形を変えつつも脈々と続いていて、またそれがモテたりもして……。

朝倉:「ためらい傷くらいあって然るべきだ」くらいのね。

かつてメンタル不調は文化人の嗜みだった(らしい)

大室:そんな文化人を中心に語られる「鬱」から紙面に変化が見られたのが2000年位。「会社員の中でメンタル不調が問題になっている」という話が『SPA!』でも取り上げられるようになってきた。実際統計的にもうつ病は1999年位から急激に増加しているんです。
で、段々と「サラリーマンの鬱」は特集のレギュラー化してきたんです。つまりメンタル不調について、当初は「文化人の嗜み」的な取り上げられ方だったのが、どんどん「会社でよく出会う事例としての鬱」という感じに変化してきて……。

朝倉:鬱の大衆化。鬱前提社会。

大室:そう。そうなってくると段々と、「生活基盤どうするんだ」みたいな、どんどん現実レベルの話になっていって。

朝倉:笑えないよねぇ。

大室:そうなってくると、悠長に構えていられなくなって、生活リスクの一つとして顕在化する。このメンタル不調の取り上げ方の変化は、ある意味『SPA!』の変化を端的に示しているなと思っていて……。
つまり、最初はエッジな現象を取り上げていたり、時には抽象化し文化的に語ったりしていたのが、現在は現実的な話題が優勢となっていった。これは良く言えばリアリティ。悪く言えば俗化してきたとも取れるんですよね。

朝倉:そうかぁ、鬱というのは、昔は高等遊民の遊びというか、戯言だったわけだ。余裕がある時代は。

大室:現実は別として、少なくとも雑誌での取り上げ方はそう。で、当時は雑誌というものが多くの人に読まれていて、全体的に発行部数も多かった。その中で一部の層を取りに行くのが『SPA!』だったんだけど、今は雑誌全体のパイが少ないから、サラリーマンの最大公約数を取らなきゃいけない。
そうなると、欲望ってだいたい出世とかお金とか性欲とか煎じ詰めたら限られる。その中のさらに最大公約数となると、良く言えば普遍的、悪く言えば雑になってくる。『SPA!』の紙面って後半の文化欄には昔のサブカルっぽいものの残り香があるんだけど、今は第一特集に関してはサラリーマンの最大公約数を取らなきゃいけない。

朝倉:まぁ、なんかマス感というか、大衆感あるよね。僕が社会人になったのって2007年でしたけども、同期でいつも『SPA!』を買ってる人がいて、ちょっと引いた目で見てたわ(笑)

大室:昔から『SPA!』買ってる人はサブカルの残り香を感じつつも読んでるんだと思うけど、今読み始める人っていうのは、多分サラリーマンの最大公約数のところを読もうとしてる。ちなみにその最大公約数を分かりやすく補助線引いて、第一特集のフォントをデカくしたのは金泉さんなんですけどね(笑)

朝倉:なるほど(笑)

大室:まぁそれはすごく編集長としては正しい判断だったんだと思うんですけど。

朝倉:『SPA!』における中興の祖なんだね。

『SPA!』と『週プレ』と『やれたかも委員会』

大室:ただですね、この種の変化は男性誌共通って感じるかもしれないけど、例えば『週プレ』と『SPA!』って似てるようでちょっと違っていて。『週プレ』っていうのは、グラビアアイドルも出しているし、まあ男性誌の代表っと感じですよね。そして昔の週プレは、マッチョな価値観もそれなり目立っていたんですけど、今の週プレってもうちょっと弱っちいんですよ。童貞感が強いというか……。
そういう意味では女の人を崇めてるとも言える。ここは『SPA!』との違いかな。『SPA!』がエッジ→俗化、なら、『週プレ』はマッチョ→童貞感。つまり、現時点では『週プレ』のが相対的にピュアな雰囲気なのよ(笑)。
話は変わるけど、最近、『やれたかも委員会』っていうのが非常にネット上で話題になったけど、あれって女性も「面白い〜」とよくシェアしていて。

朝倉:『やれたかも委員会』はいいの?

大室:あれはタイトルこそ「やれたかも」だけど、どちらかというと、「あの時、ああしといたら良かったな」っていう男の人の女性に対する甘酸っぱい気持ちを描いている。それを女性審査員が「やれたとは言えない」って言って冷や水を浴びせるパターンが多いんだけど。

朝倉:なるほど。女性が主役のエピソードもあるしね。

大室:そう。だからそういう思い出を語っていて、女性との関わりに対し性欲だけでなく関係欲も扱っている。つまりちゃんと一人の人格としての表現だから、タイトルこそ「やれたかも」だけど、反発は少ないんです。

朝倉:性を軸にしたストーリーではあるけれど、そこで描かれている相手の女性は憧れの対象だもんね。

大室:でも今回の『SPA!』のランキングに関しては少し違うのが、「ヤレる女子大」っていうランキング方法って、「どこの湖だったらブラックバス釣れる?」みたいな話と一緒で人格として扱うという空気が感じられない。あれは非常に失礼だし、あとちょっと雑でしたね。ホモソーシャルな空気の悪い部分が表出してしまっていた。

朝倉:まぁ、そうだよね。少なくとも今のご時世から考えたら受け容れられるものではない。そもそも時代に関係無くダメなものはダメなんだろうけど。

大室:ちなみに『SPA!』って女性編集者がすごく多くて。女性編集者ってそのへんすごく上手いんですよ。もちろん男性の欲望自体は否定しない。だけど女性編集者の目が入ると、書き方として「これは統計としてこう言っている、『SPA!』が言ってるんじゃなくて統計が言っている」とか、そういうテクニックを上手く使う。

朝倉:それは女性編集者が男性向け雑誌である『SPA!』におけるポリティカル・コレクトネスのカナリア役を担っているということ?

大室:カナリア役である部分もあるし、これを聞いたら多くの人はこう思うから、これを言うためには……。って、実際の書き方を工夫するのも上手い人が多い。

朝倉:なるほどね。

大室:そう。今回のはあまり詳細は言えないけども、ちょっとチェックが行き渡らなかったらしいですね。

朝倉:なるほどねぇ。

大室:だからちょっと今回は他にも色んなことが重なって、ああなったんですけれども、ただまぁ今までだったらホモソーシャルなノリで「課金コンテンツだし、俺らが部室で読んでる分にはいいじゃん」って言ってたんだけど、今は電子化もされ目につきやすいし、スクショで拡散され文脈を共有しない方の目にも触れれやすい時代というのは自覚しなきゃいけない。

朝倉:そうだねぇ。本件に限らず、時代の先導役を担っていたはずのメディア側が、時代を読めなくなってきているということなのかもね。

衰退期に組織は先鋭化する

大室:あとはやっぱり、今回の事件を受けて、結構多くの人が「『SPA!』って昔からそうだったじゃん」と言ってたけど、部数が少なくなってきてる、パイが少なくなってきてる中で目立とうとすると、物事っていうのはどんどん過激になっていくという側面は無視できない。
イベントサークルがバブルの時よりも下火になっている時に、スーフリが先鋭化していったんですよ。あと、学生運動最盛期よりも、下火になった時代に連合赤軍は先鋭化していったし。

朝倉:もう学生運動が終わった後だもんね。

大室:あとヤンキー文化が終わりを迎えようとしていた時代に関東連合も先鋭化していった。要するに、全てのパイが少なくなる時っていうのは、ちょっと先鋭化しがちっていう構造もあったのかなと思います。

朝倉:今の紙メディアって、部数が落ちて衰退期に入ったことで、際立つために先鋭化せざるを得ないという、ある種のカルト化構造のサイクルに陥っているのかな?

大室:カルト化構造と言えないことはないかもしれない(笑)
ただ『SPA!』の場合は、少なくともカルト化ではない。

朝倉:けど現象としては同じじゃない?

大室:後期スーフリもイベサーノリを先鋭化したとも言えるし、ベタにしたとも言える。オウム真理教も新興宗教によくある終末思想を先鋭化したとも言えるし、ベタにしていったとも言える。『SPA!』も発行部数が減る業界の中で、分かりやすいところにフォーカスしちゃったって感じかな。だから、『SPA!』の場合はカルト化というか、ベタ化かな(笑)。

ついに時代が阪急電車に追いついてきた

朝倉:なるほどねぇ。
ところで、今回の件に対する批判の中には「電車の中吊り広告など、誰の目にもつくようなところにこういったひどい内容を載せるな」っていう声もある。内容に応じてゾーニングはして欲しいって気持ちはよく分かるわ。

大室:海外なんかもそうだもんね。

朝倉:コンビニの成人誌はやっぱり「コンビニに置いてあるのってどうなのよ」って思うもんね。

(編集注:本稿のVoicy収録後に、セブンイレブンからの成人誌撤去が報じられました。)

大室:うん、ちょっと思うね。

朝倉:小さい時、僕は阪急沿線に住んでたんだけど、阪急電車って大衆誌や男性誌の中吊り広告を絶対に出さないのね。すごく品が良い。で、大阪に行ってJRや市営地下鉄に乗ると、その手の中吊り広告がぶら下がっているわけですよ。当時、7歳とか8歳とかだったけど、子供心に怖かったもん、そういった広告が掲載されている電車に乗るのが。意味はわかんないけど、何だか後ろめたいものだっていう印象が、子供心に植え付けられたもんね。

大室:最近だと東京のコンビニもあんまり目につくところには置かなくなってきたけど、やっぱり北海道のセコマはそこはブレないね。今後はどうなるか分からないけど。

朝倉:去年、我々一緒に行ったね。

大室:セイコーマートはなんなら縦じゃなくて、棚にばぁーっとエロ本を置いてある時あるからね。あそこに行くたびに、「人はこんなに熟女が好きだったのか?」って驚くくらい置いてある(笑)
あのコーナーが過度に充実してますからね。

朝倉:コンビニ機能も兼ねてる信長書店みたいなね(笑)

大室:そうそう(笑)
都内だとエロ本はおろか、本棚自体がないコンビニも増えてきているし。だからそんなコンビニの本棚一つとっても、時代は変わってきてると思います。

朝倉:時代は変わる!!


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