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夕暮れ,ビルが立ち並ぶ

朝起きると,陽射しが射していて朝だと認識する.そして身体中がバキバキになっていて,無駄に過ごしてしまったなんて思ったりする.コーヒーを入れようにもその気力は無く,ペットボトルの水に口をつけてごくごくと飲んで,そこで喉が乾いていたことに気づく.血管や筋肉の細胞の一つ一つに水が流れていく感覚がして,目が覚める,と思いきやそうでもなく,ただ闇雲にスマホをいじる.そんな感じ.

君が見ていた景色ってやつを僕も見てみたいとずっと思っている.脳は本当に見たいものしか見れないようになっているらしかった.自分が生きている時間,他のすべての生き物も同等に時間が流れている.どこかで人が生まれて死んでいく.誰かが泣いている.それを忘れてしまう.垂れ流しにしているニュースから知ったりするけれど,死はいつの間にか遠い存在になってしまい,リアルな想像ができなくなってしまった人がきっと大勢いる.自分はどうだろうか,と立ち返ることがあって,その度に不安になる.

早い段階で人の死を経験した.(こんなこと書くnoteにするつもりじゃなかったんだけれど,noteは僕の頭の中の言葉をそのままバーっと書くことにしているから,話がまとまっていなかったり急に暗くなったり明るくなったりする.)高校生の頃だ.小学生の時に知り合い以上友達未満だったやつだった.交通事故らしかった.初めての参列で,友人と「終わったあと寿司でも食べよう」なんて冗談言いながら向かった.死という言葉は知っていたけれど,あまりにもかけ離れていて,リアルではなくなっていたんだ,だって経験していなかったんだもの.僕はそこで死を間近でみて,そこには悲しみというものが重く重く蓋をしていた.人は血が通わなくなったあとは人形と同じだと感じた.そっくりそのまま作り上げた偽物だった.それに対して多くの人が言葉を送っていた.その言葉は届いたのだろうか.(僕と友人はその後黙ってそれぞれ帰路についたよ)

旅をしたかった.というか,しようと思っている.何も考えずふらっと,財布とスマホだけ持って.途中でぶっ倒れてもいいように土曜日とかがベスト.日曜日の昼くらいに起き上がってひっそり家に帰れば月曜日には間に合う.鎌倉とか行こうかな,とか思ったりしている.そばとか食べたいね.行く先々に新しい発見があって,それが僕を形作っていく.できるだけ遠くに足を運びたい,けど宇宙はいいや.生命が生命に出会うとき,何らかの作用があると思っている.というより,生命が何か行動をするとき,周り巡って何か起こる.バタフライエフェクトであり,ジェネバ機構って感じ.誰かの円運動は,僕を断続運動させる,カチッと.だから屋久島の屋久杉とか見てみたい.僕の何万倍と生きている生命の前にたてば,なんか変わりそう.

ずっと暇している.人生は長い退屈しのぎだって,誰か行ってなかったっけ?

夕暮れ時,四角い鋼鉄のビルに灯りがついて,なんか不穏な空気が漂うよね.太陽の夕日に感じる,あの温かみではなくて,なにかどんよりとしたもっさりとした暗いものを感じる.僕はそんなとき軽く笑って「暗いな!相変わらず」とか独り言を呟くんだけど,今考えると完全に変な人だな 笑.あの灯りのそれぞれに人は生活していて.生活の中で喜怒哀楽が存在していて,不思議な感覚だ.自分が認知できる部分って本当にごく僅かだってこと,本当に気づけている?僕はよくわすれてしまうよ.だから,こういった時にしっかり思い出さないとって思っている.今も誰か生まれて死んで,それの連続で,少しさびしい気もするけど,風呂に入れば忘れてしまうレベルの話.薄情な気もするけれど,全部背負ってはいけない.うまくできていると思う.

夜は温かい色味の電気のほうが,少し心が落ち着くのでそうして,ミネストローネスープを作って,都内のパン屋で買ったパンを食べた(晩ごはんなのに,朝食みたいだね 笑).美味しかったから明日の夜もミネストローネ.

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