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叶わぬ夢は、多すぎるくらいがいい。夢中になれる時期も期間も、予想なんてできない。

今ハマってるピアノ。
振り返ればずいぶん幼い頃から、無意識にではあれ、ずっと憧れていた世界だ。
もちろん、始めた時期としては遅すぎる。
この道で、今さら、何かが大成できるわけでもない。
打算的に、何かの成果や見返りを、期待しているわけでもない。

でも、それにしても、なんだろう、このハマりようは。
気がつくと、今現在の自分の生活の中で、これほどまでに情熱を注ぎ込めるものが、実は他に何も見当たらなくなってる。
なんでいつの間に、そんなにハマってしまったんだろう。
自分でも不思議なくらいだ。


そして、つくづく思う。

叶わぬ夢というものは、いくつあっても、持ってるだけでもいいものだ、と。


中には、予想もしなかった動機やタイミングで、歳をとってから、いきなり始めたくなるモノもある。
全く手付かずで、一生終わってしまうものだって、当然あるだろう。

でも何より、「打ち込めるもの」が、つねに何かしらある。
どんなに年老いても、途切れず、何か常にあり続ける。
それは幸せなことだ。

だから、今、たいして興味のないものや、どうしても取りかかれないものがあってもいい。
夢は、何個でも、何十年でも、持ち続けたほうがいい。
いな、一生のうちに、やりきれないくらい、いっぱい抱えておいたほうがいい。
もちろん、全てを同じ情熱量でやる必要はない。
同時並行で思い入れていく必要もない。
その時、一番盛り上がっているものを、思う存分にやればいいのだ。
そうすれば、あとで振り返ってみれば、充実していたという人生を、生ききれるのではなかろうか。

これは、私の身近にいる人間にもあったことだ。
「若いうちに仕事に明け暮れて、老後に何もなくなってしまった・・・」
そんな「老後」の時間が、気がつけば現役で働く時間以上に長くなっていた。
そんな実例を、目の当たりにした。
もちろん、そういう生き方もまた、本人の自由ではあろう。
悔いがあるかどうか、そこまでは、わからない。
ただし、私は、あまり憧れを感じない。


ハマれるタイミングが来たら、迷わず熱中する。

情熱だって、賞味期限があるかもしれないから。


先日、プールに行った。
台風だなんだの都合で、結局、1週間以上ブランクを空けた。
かつて数年前、泳ぎ込んでいた頃に比べれば、ずいぶん距離も日数も減ったものだ。
かつては1日、5〜6kmは当たり前、長い日は数時間かけて10キロ以上泳いでる日もあった。
あのハマりようは、一体なんだったのだろう。
自分がイルカになってしまうんじゃないか、ってくらい、泳いで泳いで泳ぎまくっていた。

でもそのおかげで、水泳の基本的なフォームや体づくりは大体出来上がった。
それ以上の記録を目指すとかいうのでなければ、1週間に1回の水泳でも、フォームはそう簡単には崩れない。
あの頃、水泳にどっぷりハマっておいて、本当によかった。
今でもつくづく思う。

今現在ハマってるピアノも、仕事も、他の趣味も、きっと同じなのだろう。

何事も、集中して打ち込める時期がある。
ある意味では、そこが一番伸びる時期だ。

一方。

熱烈に打ち込める体力や時間、あるいは情熱自体も、いつかピークを超え、あるいは衰える。


無限の時間や永遠の若さを持っている者であれば、話は別だろうが。


だから、ハマれるものがみつかったら、迷わずその瞬間、とことん、やり切った方がいい。
悔いが残らない。思い残すことがない。
そこまで徹底的にやり切れれば、何より幸せだ。

こればっかりは、打算や合理性じゃないんだな。
人の評価でもない。
本人でないとわからない感覚だ。

利害損得だけに振り回される人生は、あまりに窮屈。

どうせ一生生きるなら、自己満足だけで終わったとしても、むしろいい。

泣いても笑っても、いつか終わりが来る、時限付きの人生。
ならば。
いつどう終わるかなんて、不安にうなだれ続けてる人生なんて、息苦しい。
未来への過剰な不安より、今、現在を、自分の手の届く行動で充実させきる。
その方が、後で振り返って、有意義だったとわかる時がくるよ。

2024.9.13

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