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「ふってあげる。」が、結果的にwin-win。(※一般論としてのお話だよ)

「ふってあげる」って歌、昔、なかったっけ?
あったね。
いや、曲は、全然覚えてない。
今回のネタも、その詞や曲とも、全く関係ない。
でも、タイトルの一言、字面としてのワンワードが、なんだかササるんだよね。
てなわけで、今回はそのワンワードをテーマに掘り下げよう。


え、それにしても、なんでこんなつけ離す言葉を唐突に、って?
いや、巷のニュースとかね見ながら、なんとなく言いたいことが浮かんできて。
いきなりふと、この歌の題名がよみがえったのだよ。記憶の片隅から。

誤解のないように断っておくと、
別に今の私の人間関係とかnoteの皆さんと嫌なことあったわけじゃないので笑。
あと、
現に良好にうまくいっている人との関係を、むやみにつけ離すって意味でもないよ。
変に「孤独を気取る」とかね。
そういう、タカビー(←古い!)な、独りよがった話じゃなくて。

要するに、

誰かへの依存心というか、人を頼む横着心を、排していこう、って話ね。

人を頼る心があると、いつしか、それが甘えになって、あげくのはては、不満になるんだ。


雇い先に対しても。社会に対しても。
その惰弱さと受け身な姿勢を、見直そう、って話だからね。


さてさて、本題。

今の生活のさまざまな悩みって、結局、しがらんでるというか、何かにしがみついてる、執着してることから始まってる。
実は、そういうケースって、思っている以上に多い。

だったら、まず

自分自身の、執着とかこだわりを、ふっきらないと。

それが楽になる方法。
こっちから「ふってあげる」ことだ。
それが、結果的に長い目で見れば、広く見れば、慈悲的だと思うんだな。


例えば。
こういうタイムリーというか、センセーショナルなネタに、安易に触れたくないんだけど。
某コンビニもそうでしょう。
(細かいことは、あっちやそっちの人に聞いてね。)
ブランドやネームバリューに寄りかかってかどうかは知らんけど、

人としての、足場というか、ふむべきステップをふみはずすと、人が離れる。


どんなごもっともな理論や理屈をつけたって、人が離れていく。
数字とか計算とか、そーゆーことじゃないんだな。
それに当人たちが、気づいてない。

まあ、一応断っとくけど、店や企業をディスりたいんじゃないよ。
世の中の摂理、ってお話をしてるからね、今は。

ま、ともあれ、そういう人たちに文句やクレームなんか言ってもしょうがない。
相手に気づかせてあげたいんなら、口で言ってもダメ。
人は変わらないよ。
変えようとしても。
変えるんなら、まず私がわ、自分自身の行動を変えないと。
じゃあ何ができる?
そう、そこで、こっちから「ふってあげる」ってこと。
難しいことじゃない。フツーにみんな、やってるでしょ?

気づかせてあげるには、ふってあげるのが、実はイチバンいい薬なんだよ。
自分だけじゃなくって、お互いのために。

そうすれば、自分たちで勝手に考えるから。
自浄努力なり、なんなり、するから。
こっちが何をどうしろなんて、いちいち求めなくてもね。
自分たちで考えなさいっての。
そもそもさ、世の中の不条理なんて理由がないものの方が圧倒的に多いんだから。
それでも、人間っていきものは、勝手に理由を求めたがるんでしょ?

教えてあげるなんておせっかいは、小さな慈悲だけど、長い目で見るとよくない。
かえって逆恨みされたりする。
こっちは何も悪くないのに、こっちのせいにされたりもする。まさにヌレギヌだ。

「たとえば、かがみにうつった自分の顔がみにくいからって、かがみにおこるのはまちがいだよ。」
ご存知、ある猫型ロボットの漫画のいちセリフね。
これ、ついついやってしまってる人、実に多い。
実に、実に、多い!


そうそう、今、自分がやっている仕事にも、あてはまるかもしれない。

乗り気じゃない時は、乗り気じゃなくたっていい。
相手に何を求められようとも。
カタチとして残せる最低限のものは、そりゃ仕事だから、ちゃんと残さないといけない。
でも、示されてるもの以上に、相手の意図やましてや理想なんて、
「おもんばかる」必要はない。

その結果、逆に相手にフラれたって、いいんじゃないかな。
そりゃ、お互い様なんだからね。
例えば、仕事場からいきなり三行半、突きつけられてもね。
自分自身の覚悟なんて、いうまでもなく、すでにしてるはずでしょ。
そもそもさ。
うたかたの、その場しのぎのような安心なんて、いざ世がちょっと動けば、簡単に弾けてしまうからね。
どっちみち、生きることに絶対の安心、安穏なんてないよ。
そう考えれば、ちょっとは気楽になる。


もっといっちゃうとさ。
例えば、教育だってそうだよ。
これまた、ややこしい話になるので、ちょっとだけ触れて終わらすけど。

「教えない」ことが、実は究極、最高の教育なんだよ。

ちょっと逆説的なんだけどね。
まあこの話題は、これで1、2本、記事書けちゃうくらいになるくらい、深い。
だから、今回は触れないよ。


まとめ

さっきの猫型ロボット漫画の作者さんが描いた別作品のセリフ。

「こっちが追うと、逃げていく。こっちが逃げると、追ってくる」

これは至言だね、ホント。

引用するたび、いつも思う。
さっきのコンビニのくだりにしても、仕事の話も。
「ふってあげる」の背景にある論理は、究極、そういうことかも。
(そうじゃないかもしれないけど笑)

まあまあ、人生、ケ・セラ・セラ。
なるようになっちゃうものだから。

視野を、外に向けていこう、ってことだね。
しがらみやとらわれから、まず自分の意識を解放しないと。
だからこそ、多様な文化があることって、逆に救われるんだ。
世界の、異文化の人たちを見聞きし、触れると、よく分かるよ。
そして、そんな時、人という「いきもの」として、心底、励まされる。

そういえば、某・伝説的アーティストの「風に吹かれて」の詞なんかも、思い出すね。
あれ、嘆きの詩でもあるようだけど、なぜか元気が出るんだな、不思議に。
世の不条理と非情に出くわす経験が、積もってくるとね。

2024.9.25



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