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【雑記】積ん読(つんどく)でも大丈夫!

私はあまり小説や教養の本を読まないのですが、ビジネスや啓発系の本は平均以上に読む方かなと思います。

仕事で喫緊必要なものは一気に読んだりもしますが、買ったものの読まないまま放置している本もいくらかあります。ようは積ん読(つんどく)というやつです。

しかし最近、積ん読でもいいじゃんという風に思えてきました。

まず興味を持って買ったことが大事

本は誰かに勧められたり、ネットニュースでITやビジネスの記事に合わせて紹介されたりしたらまずはどんな本かは調べてみます。

このときの判断としては、
・即買う(紙でも電子でも)
・Amazonならウェイトリストにいれておく
・何もしない
があり、大半はウェイトリストの肥やしとなります(笑)。

ここでウェイトリストではなく購入に至るものこそ、自分のリソース(お金と時間)の投資をかけると決めた本となります。

その後、読まなかったなー…ということもしばしばありますが、まず自分のリソースをかけると決めたもの、そして購入時点ではお金は払っているわけなので、何かしらその本から得ようとしていた「意思」があったということです。

まずその「意思」があったことが大事なのです。

積んでおけば読む機会は訪れる

何かしら読もうと「意思」を持って買ったものは、本当に必要になったときに自分の記憶の引き出しから引き出されるものです。

購入する段階で良いな、読みたいなと思った本がそのまま積ん読状態になっていました。だいたいはある程度読み始めており、その時点でそのまま読み続ける気力や興味が薄れてしまって、そのままになりがちです。

しかしあるとき、「ああ、あの本買ってたな…」と思い出すタイミングが訪れます。実際最近ありました。読んでみると購入当時読んでいても響かなかった内容ですが、今は非常に興味を持って読めそうな内容でした。

購入当時には響かなかったけど、そこから色々と経験したり状況が変わったりして、その本が今必要となっただけかもしれません。

しかし買っていたからこそすぐに手に取り読むことを再開するハードルは下がります。当時の読もうと思った「意思」が繋がっているわけです。ある意味、セレンディピティですね。

積ん読に罪悪感を持たなくても良い!

先ほども書きましたが、本を買って読むというのは自分への投資です。お金と時間を投資して、自分の経験からは得にくい他者の気づきを言語化したものを取り込んで、その中でより良いものを自分に取り込もうとする姿勢です。

そして投資にはタイミングが必要だったりします。積ん読になった本は自分の意思や興味のラインには乗っていても、そのとき必要とならなかっただけです。

私は今後も自分がピンと来て買いたい!と思った本は積ん読になることを恐れず購入してみたいと思います!



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