澄み渡る秋空の日に

さて、今回は肝心のブラジルから日本へ来た経緯を話そう。

日本での外国人の動向に詳しい人ならわかると思いますが、1990年に日本では入管法が改正され海外に住んでいる日系の来日が容易になった。前回の投稿でも書いた通り自分は日系だ。父親は日系3世ということで、当時安定した職業についていたものの決して裕福であるとは言えず“一獲千金”をある意味狙って日本に渡ることを決めたという。
91年1月に自分が生まれ、その三か月後の4月に日本へ父親は来たのだが、実は母親とはうまくいっていなかった。うまくいっていなかったのと日本へ来るのを理由に一旦別れるというのが二人の取り決めだったそうだ。

ここでちょっと両親のことを晒すことにしよう。
父親は比較的真面目な人ではある。三人兄弟の末っ子ということで看護師として忙しいながらも祖母(父親から見た母親)からはすごく甘やかされた。しかしその反面、三人兄弟の長男をひいきしていた祖父からはむしろ疎まれていたと言える。両親からの正反対の接し方が原因なのかはわからないが、他人に特に女性からの承認欲求を求める傾向があった。
母親は比較的不真面目な人である。幼いころに両親が離婚し親戚に預けられたり貧しい生活を送った。若いころから恋多き少女だったと今でも自分で言うぐらい、離婚が原因で父性に飢えていたのかわからないが、とっかえひっかえ彼氏を作っていた。
承認欲求が得られない父親と父性を求めて依存したい母親、微妙に互いを満たしあえない二人は絶えず喧嘩をしていた。

もちろん、自分が生まれてきている時点で完全に別れることはできずに最終的にやはりお互いのことが忘れられないとのことで、母親と自分も日本へ来ることになった。

1992年11月某日
澄み渡る秋空の日に来日した自分と母親。
母親曰く、日本についたその瞬間に日本を大好きになったと言う。
もちろん25年以上も前のことなんて自分は覚えていない。でも父親に呼ばれた時にはちょっと疑いの目を向けながらも父親の腕に抱かれに駆け寄ったそうだ。

さて、
次回は保育園時代のことでも綴ろうかな。
ではでは(・ω・)ノシ

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