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特別定額給付金と教会への献金

みなさん、どうも。
自由に書けるnoteだからこそ、今回は少しセンシティブな話をしようと思う。

今回は宗教について話します。
日本に住んでいる外国人のほとんどは「なんで日本人って宗教と政治の話を避けるんだろう?」という疑問を持っているものです。
さらに今回は宗教にお金を絡めて話をするのでより一層触れてほしくないって思う人もいるだろう内容になってます。

前振りはこれぐらいにして単刀直入に本題に入ります!

皆さんもらうことになります特別定額給付金の10万円を宗教団体に寄付しますか?

なぜこの質問をしているか、説明しますと:
ある日仕事から家に帰り、ながしに積んであった食器類を洗っていると母親がバイトから帰ってきた。ちょうどその時、Spotifyでフォローしているブラジルのキリスト教対談ポットキャスト「Bibotalk」を聞いていて、それがきっかけだったのかわからないけど母親が急に聞いてきた、

「あのさ」
「なに母さん?」
「今度もらえる10万円さぁ」
「うん」
「あれさぁ十分の一を教会に献金する?」
「う~ん、どうだろうね?臨時的に給付される感じだから、十分の一じゃなくて普通の献金とかでいいんじゃない?」
「いや、私はむしろ十分の一として献金したほうがいいと思う。家計だけじゃなくて、コロナのせいで会社とかお店も大変じゃん。教会も同じだと思う。だから1万円をプラスして献金しよう」
「確かにその点で考えるとそうかもね。うん、いいよ、そうしよう」

このようなやり取りがあったのだが、ここでもう一つ説明しよう。

キリスト教は大まかにいうとカトリックとプロテスタントに分かれています。(実際にはもっと多くの分類、宗派といいますか、があるが説明しだしたらきりがないのであしからず)
自分は幼いころからプロテスタントの教会通っている。
教会も一つの団体である以上、出費は発生するものです。お寺や神社やモスクもそうですね。なので、何かしらの収入源が必要になってきます。キリスト教では基本的に収入源は「献金」に頼っている。この「献金」には2種類はり、不定期かつ決まった金額がない献金と、一か月の収入の十分の一の金額の献金、便宜上こちらは「十分の一献金」、があります。

聖書の第2コリント人への手紙9章6〜12節では
私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。
と書いてあり、無理にではなく心で思った金額を捧げなさいと書いてあります。ですが一方、マラキ書3章8~10節
人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。あなたがたは、のろいをもって、のろわれる。あなたがたすべての国民は、わたしの物を盗んでいるからである。わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。
や、レビ記27書30節では
地の十分の一は地の産物であれ、木の実であれ、すべて主のものであって、主に聖なる物である。
と書かれているので、基本的な解釈では収入の1割を捧げなさいということになる。

自分の通っている教会では、「十分の一献金」は月に一回収入の1割を専用の封筒に入れて教会に渡す。それとは別個に、神様に感謝する形で1円からでもOKな「献金」を教会に自分が渡したいと思ったときに渡す。というような形です。

さて、説明はこれぐらいにして本題に戻りましょう。

問題というか、疑問としてあがるのがこの10万円を “ 収入 ” と定義してその一割の1万円を献金するのか?もしくは、自分の労力の対価としてもらえるものではないから一割ではなくて、献金したい金額を自分で決めればいいのか?っていうことです。

別にこのことに正解・不正解があるわけではないです。ただ、ふとした疑問があったのでここで共有しただけです。

もっと言うならこの機会に、お寺のお坊さんや神社の神主やイスラム教の方たちにこういっただけではなく、宗教とお金の付き合い方について教えてほしいとも思っています。


まぁ、オチがはっきりしていない終わり方ですけど、今回はこれぐらいにしようと思います。

でわでわ (・ω・)ノシ


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