見出し画像

マルセル・デュシャンについて② - 彼が作品を通して挑戦したこと

今日は、前回の続きから。

そうそう。前回は言わなかったけど、デュシャンは「コンセプチュアルアートの祖」と言われている。つまり、彼の登場まで、この"コンセプチュアルアート"なるものは存在しなかったのである。

最初は全く持って理解に及ばなかったけど、このコンセプチュアルアートとは、重要度において【(物理的な)作品 < 概念(コンセプト)】ということ。つまり、作品が持つ概念や意味の方が、物理的な作品そのものよりも重要だ、ということなのである。

ここからは怒涛の勢いで、デュシャンの凄さを熱弁していく。

商業主義の拒否、という強い意思

私は、彼のコンセプチュアルアートというのは、「商業主義を拒否しなければいけない」という狂気にも似た意思に端を発したと考えている。

その商業主義と深く結びつけたのが、【網膜的芸術】だったのだろう。彼はこの「視覚的快楽だけを重視する芸術」を批判した。代わりに、精神的快楽を重視する【概念的芸術】でなければいけないと思った。

この気持ちは、作品を制作する私にもよくわかる。この"作品"というのは、おそらくキャンバスの上に絵具を塗るか垂らすかして描かれたものであったり、またはリトグラフやエッチングや木版のような版画であったり、または石材や木材を削ったものであったりするかもしれない。つまり、"作品を作る"と、その作品は"物理的な広がり"として存在してしまう。どうしても、目に見える、手で触れる形で存在してしまうのだ。そして、残念ながら、その作品は市場において価値を持ってしまうことがある。

だから、売買されてしまう。

彼は、芸術というものが、商業主義に飲まれていくのがどうしても嫌だったに違いない。20世紀初頭というのは、ヨーロッパで広告ポスターというものが登場した時代だったからだ。

1927年には、杉浦非水という人物が『アフィッシュ』という雑誌を刊行し、ヨーロッパのポスターデザインを日本に伝えている。私は、数年前、汐留のアドミュージアムの常設展で、初めてこの雑誌を読んだ。そこで、今も忘れられない内容を目にしたのである。多少の差異はあるかもしれないが、おおよそこのような内容だった。

芸術家は悩んでいる。商業主義的なものでありつつ、芸術的なポスターを作るにはどうすればいいかと。大衆に"媚び"ながらも、芸術というものを兼ね備えられないかと。

画像1

▲雑誌『アフィッシュ 』
左上がが創刊号。私がアドミュージアムで読んだのはこれだった。

私は、こうやって芸術家が悩み抜いた結果として、誰もがわかりやすくてスタイリッシュなデザインが生まれた、つまり新たな芸術の形が生まれたと考えている。

一方で、彼は「芸術×商業主義」ブレンド指向には行かず、別の方向を自ら切り開いた。「(物理的な)作品を作らずして、作品を作るにはどうすればいいのか」という問いに、一つの答えを出した。それが、コンセプチュアルアートという形だったのだ。

今回はここまで。次回もお楽しみに!(また勝手にライター口調)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?