無角_嘉佐々光_1

無角和牛の話

■無角和牛とは
文獻を參考に、簡單にまとめてみた。
山口縣阿武町で飼育されてゐる、角がなく黑色の毛の和牛である。
1916年(大正五年)阿武町が國からイギリス・スコットランド産の無角牛アバディーン・アンガスを貸附され、黑毛の在來種に交配し。24年かけて無角で典型的な肉牛タイプの牛へと改良したもの。體高は黑毛和種とほぼ同じであるが、體重が多く、枝肉歩留65%と肉量が多く、また早熟、早肥で粗肥料の利用性に優れた品種にする事に成功。
1963年(昭和三十八年)には約一萬頭に増え、當時は黒毛和種より高價であつた。
(母曰く、出荷する子牛は當時の金額で二十萬圓程度の値がついていたらしい)
その後、消費者は霜降り肉重視の嗜好へと變化し、赤身である無角和牛は肉市場での評價が半値近くとなる。
1994年(平成六年)には250頭餘りに減少、絶滅も心配されたこの年九月に山口縣と阿武、萩の九市町村、農協、經濟連が參畫し、第三セクター方式による社團法人無角和種振興公社が設立された。
脂肪分の少ないヘルシーな赤肉として道の驛、スーパー、生協、專門店で販賣されてゐる。北部に近ければ近い程目にする機會が多くなるが、私の住んでいる山口縣東部では無角和牛よりも安價な高森牛などが多く賣られてをり、全く見かけない。

■無角遺傳子
無角遺傳子は有角遺傳子に對して優性である。なほ、飼育の際は有角の品種でも除角されてゐる。
因みに除角したウシの放牧地に有角のウシを混ぜると、明らかに角のあるウシが行動上優位となり、トラブルの原因となる。

■無角和牛と私の母、關連性
私の母は阿武町の出身である。
無角和牛の種牛を育てて出荷する繁殖農家を家業のひとつとしていたらしく、血統の良い母牛に種附けをし、子牛を賣つて收入としてゐたとの事。ある程度當然の話だが、初期投資が可能な比較的金のある家でしか、かういつた牛の飼育はやつてゐなかつたといふ。今ではさうでもないが、昔はそれなりの家だつた、という事はよく聞かされてゐた。
祖父が亡くなつた昭和50年前半頃まで飼育されてゐた樣だ。部落にある何軒かの家で小規模な組織的に育成していたらしく、おそらく參加している農家が話し合い等の結果、祖父が亡くなるのと同じ頃、一齊に出荷をやめたのでは無いかと話していた。

■母と牛
私の母は昔から生き物全般が苦手である。牛などといふ巨大な生物は以ての外だ。牛舍に居る時は近づかなければそれなりに平氣だつたらしいが、敷地内に放してある時は生け垣を登つてまで牛を囘避していたという。
「惡い事をすると牛の前に連れて行かれたが、何をしたのかは全く覺えていない」とのこと。そんな母からの聞き書きなので、多少の記憶違ひなどは御容赦戴きたい。

■牛の生活
おそらく、普通の和牛とあまり變はりはないと思われる。特記事項としては、除角が必要ない事だらうか。
普段は牛小屋の中に居る。子牛は敷地内の圍まれた場所に多少放す事もあつたらしいが、牛が鐵線が張られた圍いから出るのは農作業の役牛として田圃などを耕す時ぐらいだつたといふ。
茅などの草を干したもの(夏のアスファルトの上がよく乾くので、朝に刈つた草を干して10時に裏返す作業が夏休みの子供の仕事だつたさうだ)や栽培している大麥などを食べさせていたとのこと。サイロもあつたらしい。
削蹄という、牛の蹄を削つて整える作業に專門の人が訪れる事もあつたさうだ。
勿論、今でも肥料としてお馴染みの牛糞は當然肥料となる。
出荷の際は、何時もと違う氛圍氣が牛にも分かるさうで、かなり抵抗するらしい。因みに、普段でもその出荷する爲の場所には牛は絶對に近寄らない。
そのうち牛も觀念して出荷されるらしいが、母曰く「必要な事とはいへ、あまり見たい光景だとは思はない」と云つてゐた。

■參考圖書
・學習研究社「日本の家畜・家禽」(フィールドベスト圖鑑 特別版)/監修・著 秋篠宮文仁 小宮 輝之
  良書であつたので機會があれば是非手に取つて頂きたい。
・東京書籍「日本の馬と牛」 市川 健夫

■參考寫眞

山口県畜産試験場 見島牛 無角和種 黒柏
http://www.nrs.pref.yamaguchi.lg.jp/hp_open/a17606/00000001/misimausi.html

あれ? これが讀めるってことは、お金を戴いたってことですか?
ありがたうございます。
なんかリクエストあれば正字正かなでなんか書きます。

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