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国会審議議事録 踏切事故編 Part1 

さて、本日からは、踏切事故についての国会審議の模様を引用していきたいと思います。
事故現場は、現在は道路が線路下をくぐるように改修されて立体交差化されていますが、当時は警報器がない第4種踏切で、ここでトラックが立ち往生したことが事故の発端でした。
同区間は、カーブが続いており、そのカーブを曲がりきったところに踏切があることから、列車の進入がわかりにくいきらいが有ります。
更にこの事故で問題となったのは、事故列車の乗務員が自分の子供を運転室に乗せていたことで、衝突直前に子供を連れて運転席から逃げ出したことも後になって判明し大きな問題となったのでした。

事故現場となった男里踏切跡、事故当時は写真のような立体交差ではなく踏切が存在した。

昭和40年代、現代ほども踏切は整備されておらず、列車との衝突事故など多数を占めている状況にありました。
特に昭和42年4月1日に発生した、南海電鉄男里踏切での事故は、国会でも大きく取り上げられました。
その全文を何回かに分けて掲載したいと思います。

第055回国会 運輸委員打合会 第1号
昭和四十二年四月四日(火曜日)
   午前十時二十六分開会
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         天坊 裕彦君
    理 事
                谷口 慶吉君
                岡  三郎君
    委 員
                江藤  智君
                金丸 冨夫君
                平島 敏夫君
                大倉 精一君
                木村美智男君
   政府委員
       運輸省鉄道監督
       局長       増川 遼三君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        吉田善次郎君
   説明員
       運輸省自動車局
       整備部長     堀山  健君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○運輸事情等に関する調査
 (南海電鉄踏切事故に関する件)
    ―――――――――――――
○委員長(天坊裕彦君) ただいまから運輸委員打合会を開会いたします。
 運輸事情等に関する調査を議題といたします。
 南海電鉄の事故に関する件について運輸省当局から報告を聴取いたします。増川鉄道監督局長。
○政府委員(増川遼三君) 南海電鉄の踏切事故につきましては、資料をお手元に配付してございますので、それを御参照しながらお聞き取り願いたいと思います。
 今回、南海本線樽井-尾崎間、樽井第九号踏切道(第三種)上におきまして下り線を支障して停止しております大型トラックと、下り急行第一八○五列車が衝突脱線いたしまして、川中に転落事故を惹起いたしました。とうとい人命を失い、多くの重軽傷者を出すに至りましたことはまことに申しわけのないところでございまして、衷心より遺憾の意を表する次第でございます。今回の事故によりまして、なくなられました方々の御冥福をお祈り申し上げますとともに、御遺族の方々に対しまして心からお見舞い申し上げる次第でございます。
 運輸事業におきます輸送の安全確保につきましては、常々最も意を注いでおるところでございますが、今回の大事故につきましては徹底的に原因を究明しまして、再びかかる事故の起こらないようつとめる所存でございます。また不幸にしまして死亡された方々には十分なる敬弔の意を尽くすとともに、負傷された方々の治療には万全の対策を施すよう南海電鉄並びに森吉運輸株式会社を指導いたしておるところでございます。さらに事故の補償措置につきましても最大限の誠意をもって当たらしめる考えでございます。
 なお省内におきまして南海電車の事故対策本部を設置いたしまして、事故の被害状況あるいは復旧状況等の確認をいたすとともに、運輸大臣には、現地を視察していただき、また専門の調査員を現地に派遣いたしまして調査に当たらしておるところでございます。また南海にしましても、先ほど申し上げましたように、被害者の救済あるいは鉄道の復旧という点につきまして指示をしたところでございます。
 このたびの事故の状況でございますが、概況書にも書いてございますように、樽井踏切におきまして、七十五キロから八十キロアワーの速度で当該踏切のところを通行中であった電車が、その踏切の約五十メートルないし六十メートルくらい手前だと推測されるのでございます、ここでトラックを発見しまして、直ちに非常制動の措置をとったのでございますが、及ばなかったわけでございます。場所がちょうど川の――男里川という川のすぐ手前でございまして、トラックの頭部を運転台の下にかかえましたまま突っ走りまして脱線し、河中に転落をしたと、とういうかっこうになっておるのでございます。一両目があおむけの状態で転落、続きまして二両目がその上に転落いたしました。三両目は二両目のかどに引っかかり、かつ四両目との連結という関係であやうく転落を免れた次第でございます。
 当該電車の運転士は二十六歳で経験四年三カ月でございます。車掌は二十四歳、経験一年四カ月でございました。過去におきまして責任事故というものは起こしておりません。
 なお、復旧につとめまして、四月三日の初列車から上下線とも開通を見ましたことは非常に幸いでございました。通勤客の輸送には支障を来たさずに済んだ次第でございます。
 なお、当該踏切の関係でございますが、幅員が二・一メートル、長さが十二メートルという非常に狭いところでございまして、しかも道路の関係は、踏切に接続しております部分で二・四メートルないし二・六メートルという道路の状況でございます。この道路が先にまいりますと次第に広がっておりまして、国道から入りますところは約四メートル幅の道路でございます。その辺の状況は非常によくて、大型車でも通行可能な状況でございます。したがいまして、そこから入ってまいりますと、次第に道路が狭くなり、その最も狭くなっておりますのがこの踏切道ということになっておりまして、これに対します大型車の通行の規制ということにつきましても、十分な措置が講ぜられてなかったのではないかというふうに考える次第でございます。私どもといたしましては、大阪陸運局に指示いたしまして、こういった観点から現地の対策を直ちにとらせるようにいたしておる次第でございます。
 以上、はなはだ簡単でございますが、御報告申し上げます。
○委員長(天坊裕彦君) ただいまの報告に対して質疑のおありの方は、順次御発言願います。
○岡三郎君 いま鉄監局長から説明があったわけですが、大臣は視察現場で倒れたと、こういうことで了承できるわけですが、政務次官はどうしているわけですか。
○委員長(天坊裕彦君) 衆議院の予算委員会で同じ問題を扱っているそうで、そちらに出席しております。
○岡三郎君 新聞によるとですね、福永官房長官がこれについて何か動いていると、こういう情報があるわけですね。いまの話によると、衆議院の予算委員会に入っているということで、実際に言うて、きのう衆議院のほうは予算委員会ですでにやっておるわけです。ということになれば、きょうの委員会のここへ来て、一応やはり報告をして、そうして衆議院の予算委員会に入るなら入るというふうな手続をとってもらわないと、衆議院の予算委員会があるから、そこへ全部入ってしまっておるというんでは済まぬと思う。そういう点で、やはり参議院の運輸委員会が開かれておるわけですから、一応こちらのほうにも出席して、事情を述べて、こういうわけでここへ長らくいるわけにいかぬというととで退席せられるようにするならばいいと思うんですけれども、何か見るというと、政府委員のほうは不足のような感じがするわけです。鉄監局長は申しわけないということもあまり言ってないしね。一体運輸省のほうは、いま現場に行ってる人はどういう人ですか。
○政府委員(増川遼三君) 鉄道監督局民営鉄道部の運転係長でございます。
○岡三郎君 そうすると、運輸大臣が行って倒れて、あと責任ある者は行っていないのですか、現在。
○政府委員(増川遼三君) 本省からは現在は派遣しておりませんが、現地の大阪陸運局長以下、諸幹部が全部現地のほうの指導をいたしております。
○岡三郎君 運輸大臣が、倒れたあとならば、やはり当然その調査を、民鉄部長なり、鉄監局長が行って、やはり具体的に調査してその報告をすべきであると思うのですよ。現地の大阪陸運局長にまかしておるということは、やはりこれは本省として怠慢だというふうに思う。しかし、その点はこれ以上触れません。質問いたしますがね。
 いま話を聞いているというと、それに対する、死亡せられた人や、けがした人に対する問題についての取り扱いについて、どうするのかというふうな質問がすでに衆議院でなされておるわけです。そういう点について、総理からいろいろ説明があり、いろいろと答弁されておるが、運輸省としてやはり報告する場合においては、やはりこれに伴う原因というものについては大体わかっておるわけですから、これに伴って、いまの森吉運輸あるいは南海電鉄と相談してと、こう言っておりますがね。やはりこういう問題について、これから、いろいろと話が進められておるわけですが、もうちょっと誠意のある答弁と、それからこういう事故に対する具体的な措置というものについて説明がないというと、何かこう形式的にやられているような形の感じがするわけです。そういう点で、端的に言って、鉄監局長では答えられない部面が多いのですね、実際言うて。だから、ちょっと質問のほうも困るわけだが、端的に申し上げますが、隣に来ているのはだれです。
○委員長(天坊裕彦君) 自動車局の堀山整備部長です。

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