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織田信長役でキムタクが訪れた岐阜市の歴史探索

岐阜市の歴史は多岐にわたりますが、岐阜城を中心とした戦国時代の武将や岐阜藩の歴史、近代化の過程などが重要な要素となっています。観光地や文化財として今も見ることができ、地域の魅力となっています。

昨年の11月に俳優の木村拓哉さんや地元・岐阜市出身の伊藤英明さんらが登場した、「岐阜信長まつり」の前夜に訪れた岐阜城の周辺には、いくつかの観光スポットがあります。岐阜城周辺のおすすめ観光地5選を紹介。


①岐阜城


岐阜市のシンボルとも言える岐阜城は、戦国時代に築かれた城跡です。国の特別史跡に指定されており、本丸や二の丸などの建物が再建されています。城内からは岐阜市街や美しい景色を一望することができます。

前夜に訪れた木村拓哉さんは、イベントの挨拶でこのように言われていました。「きっと当時(戦国時代)は、今のような街の光はなかっただろうが、月光に照らし出されるあの天守閣から見る風景を、きっと信長も見ていたんだろうな。天守から見る星空は、今よりもっとすごいんだろうなという思いに浸っていた」

「信長と濃姫の2人の時間をもっと持ってもらいたかったなと、すごく感情的な気持ちになった」とのこと。

尚、岐阜城の夜景期間は以下の通りとなります。

令和5年7月15日(土曜日)から令和5年8月31日(木曜日)まで
令和5年9月2日(土曜日)から令和5年11月26日(日曜日)まで

上記のうち、9・10・11月は土・日・祝日のみ
※天候等により中止の場合があります。

岐阜城は、1201年に建てられたといわれています。鎌倉時代に活躍した幕府の執事であり、昨年のNHKの大河ドラマで放映された「鎌倉殿の13人」のうちの一人である二階堂行政が中心となって築造されたと伝わっています。

標高300mを超える金華山の頂上に築いた砦が始まりの岐阜城。難攻不落の城として長い間君臨し、その攻略の難しさは「美濃を制すものは天下を制す」と言われたほどです。

戦国時代に入ってからは美濃の大名 斎藤道三が居城し、岐阜城をおさめていましたが、築造から約300年、三英傑の1人 織田信長が城を攻略します。

1567年に攻め入った信長はこの地一帯を制圧し、地名を「井の口」から「岐阜」へ変更。また、それまで「稲葉山城」と呼ばれていた名称を「岐阜城」に変え、信長は城主となりました。

その後、信長は日本の中心に位置する岐阜城を本拠地とし、「天下布武」という朱印を用いるようになります。天下布武とは「天下統一」と同じ意味を持つ言葉で、この頃からその大きな野望に向けて動きだすことになりました。それと同時に城下町の発展にも力を注ぎ、岐阜の街は賑わっていきました。

本能寺の変で信長が倒れた後、関ヶ原の戦いの前哨戦にて信長の孫にあたる織田秀信が岐阜城城内に立てこもりますが、相手の福島正則らに落城されてしまいます。

②織田信長公居館跡


岐阜県岐阜市にある歴史的な遺跡です。この場所は、戦国時代の日本で活躍した武将であり、後に大名となった織田信長の居館があった場所として知られています。

織田信長は、16世紀の日本の戦国時代に大きな勢力を超え、日本統一のために戦いました。 彼は岐阜市を拠点とし、この地域での政治・軍事活動を展開いたしました。

織田信長公居館は、岐阜市内の岩崎町地区に位置していました。 ただし、現在はその居館の建物は存在せず、跡地を示す案内板や解説が設置されています。私たちは、歴史愛好家や観光客が訪れて織田信長の足跡をたどることができます。

岐阜市は織田信長と深い関わりを持つ地域であり、織田信長公居館跡以外にも、織田信長ゆかりの地や歴史跡が点在しています。例えば、岐阜市内には岐阜城や長川良鉄道岐阜駅には織田信長の銅像があります。これらの場所を巡ることで、織田信長の歴史と岐阜市の関係をより深く理解することができます。

③岐阜市歴史博物館


岐阜県岐阜市にある博物館です。 岐阜市内には複数の博物館がありますが、岐阜市歴史博物館は岐阜市の歴史や文化に焦点を当てた展示を行っています。

岐阜市歴史博物館は、岐阜市の中心部に位置しており、岐阜城や岐阜県庁舎、岐阜市役所などの近くにあります。 博物館の建物自体も重厚感があり、近代的なデザインが特徴です。

博物館の展示内容は、岐阜市の歴史や地域の文化に関連するさまざまなテーマをカバーしています。 岐阜市の起源や発展、歴史的な出来事や人物、伝統工芸品、民俗文化などが展示されています。展示物には古文書や写真、工芸品、武具、農具などが含まれており、豊富な資料や展示品を大切に岐阜市の過去を知ることができます。

また、博物館では定期的に特別展示やイベントも開催されています。これらの展示やイベントは、季節やテーマに応じて様々な内容が展開され、多くの来場者を魅了しています。

④瑞龍寺


瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、岐阜県岐阜市にある仏教寺院です。正式名称は「東福寺派瑞龍山佛光寺」といいます。瑞龍寺は、室町時代に創建された古刹であり、岐阜市内でも歴史のある寺院の一つです。

瑞龍寺は、臨済宗東福寺派に属しています。 寺院の境内には本堂や庫裏(くり)、山門、塔頭などがあります。 また、美しい庭園や石仏、仏像などが配置されており、静寂な雰囲気の中に心を落ち着かせることができます。

禅宗の修行の場として知られており、多くの僧侶や修行者が訪れています。また、一般の参拝客も境内を訪れ、お参りや瞑想を行うことができます。

瑞龍寺の特筆すべき点の一つは、国宝である「瑞龍寺縁起絵巻」と呼ばれる絵巻物を所蔵していることです。 この絵巻物は、平安時代の貴重な作品であり、瑞龍寺の歴史や仏教の教えが描かれています。

周辺には自然が豊かで、四季折々の美しい景色があります。 特に紅葉の季節には多くの人々が訪れ、美しい紅葉を楽しむことができます。

⑤板垣退助像

「板垣死すとも自由は死せず」
この言葉は自由民権運動を推し進め、後に大隈重信とともに日本最初の政党内閣を組織した板垣退助の名言として知られています。

明治15年(1882年)4月に板垣退助は、岐阜県で刺客によって襲撃され、この言葉を発したと言われています。この言葉があまりにも有名になりすぎたため、板垣はこの時に暗殺されたと誤解している人も多いでしょう。しかし、実際には彼は一命を取りとめ、この後も政治家として精力的に活動を行いました。

おまけ(おすすめ料理)

「騎馬武者行列」の前日に伊藤英明さんと木村拓哉さんが訪れた「麺食・香楽」が聖地となっています。
「麺食・香楽」は伊藤英明さんが子どもの頃から行きつけのお店として岐阜市民にとっては有名です。
木村拓哉さんが岐阜で食べたベトコンラーメン「香楽」がおすすめです。

これらは岐阜市内の一部の観光スポットですが、他にも多くの見所があります。 岐阜市に訪れる際には、観光地マップや観光案内所の情報を活用しながら、自分の興味や好みに合わせた観光プランを立ててみてください。

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